今日は21℃と、ずいぶん暖かな朝になりました。夕べ、夜中にふと目を覚ますと、ヒロちゃんが一生懸命にあほまろのベッドに上がろうとしていましたよ。
最近は自分の寝床で静かに横になっていることが多く、以前のように夜になるとあほまろのベッドへやって来ることもなくなっていたので、その姿を見た時には、ちょっと驚いてしまいました。
「ヒロちゃん、こっちにおいで」
そう声をかけて、久しぶりに一緒の布団で眠ることになりましたよ。
ヒロちゃんの身体をそっと撫でながら、あほまろは、初めて出会った頃のことを話して聞かせてあげました。
「あの頃のお前は、まだ浅草神社で暮らしていたんだよな」
「毎朝、ナナちゃんがやって来るのを待っていたんだよな」
「まさか、あれからこんなに長く一緒に暮らすことになるなんて、あの頃は思ってもいなかったよ」
もちろん、ヒロちゃんがどこまで聞いていたのかは分かりませんが、久しぶりにすぐそばに感じるヒロちゃんの温もりがうれしくて、あほまろは昔話を続けているうちに、そのまま眠ってしまったようでした。
そして朝――。
目を覚まして隣を見ると、ヒロちゃんの姿がありません。
いつの間にか自分でベッドを降り、いつもの自分の寝床へ戻って、何事もなかったように静かに眠っておりましたよ。
せっかく久しぶりに添い寝をしてくれたのだから、朝まで一緒にいてくれても良さそうなものですが、そこはやっぱり猫ですね。
来るのも勝手なら、帰るのも勝手。
人間の都合などお構いなしなのが、猫らしくて良いのでしょう。
そんな夜を過ごしたせいでしょうか。今朝はすっかり寝過ごしてしまい、いつもより30分も遅い目覚めとなってしまいましたよ。
外へ出てみると気温は21℃。10月半ばとは思えないほど暖かな朝でした。こんなに暖かいと布団の中も心地よく、ヒロちゃんとの久しぶりの添い寝も手伝って、ついつい二度寝をしてしまったのでしょうね。
まあ、30分の寝坊くらいなら、ヒロちゃんがくれた「秋の朝の休暇」だったと思うことにいたしましょう。
そんな少し遅い朝の浅草を歩いていると、季節は確実に先へ進んでいることに気づかされましたよ。秋も少しずつ深まり、本格的な秋から晩秋へと季節が歩み始めましたね。
早朝の仲見世を歩いていると、ついこの前まで肌にまとわりついていた夏の空気はすっかり消え、頬に触れる風にも、どこか秋の気配が感じられるようになりました――。
早朝の仲見世を歩いていると、ついこの前まで肌にまとわりついていた夏の空気はすっかり消え、頬に触れる風にも冷たさを感じるようになりました。閉まった仲見世の店先を照らす灯りの向こうでは、木々の葉が赤や黄色へと色を変えています。
今朝のような静かな仲見世を歩く二人の後ろ姿を眺めていると、季節までが肩を寄せ合いながら、ゆっくり秋の奥へ歩いていくように見えてしまいましたよ。
足元には、いつの間にか落ち葉が増えてきました。
風が吹くたびに、カサカサ、コロコロと乾いた音を立てながら石畳の上を転がっていきます。その音に混じって、植え込みの奥からは、まだ名残を惜しむような虫の声も聞こえてきます。
秋の虫たちも、そろそろ今年最後の演奏会なのでしょうかね。
夏の盛りには、あれほど賑やかに鳴いていた虫たちなのに、晩秋が近づくにつれて、その声にもどこか寂しさが混じって聞こえるから不思議です。もちろん虫たちは、そんな人間の感傷など知ったことではないのでしょうけどね。
でも、季節の音というものは不思議なものです。
目で見る景色よりも、風の匂いや落ち葉を踏む音、そして遠くから聞こえてくる虫の声のほうが、ずっと昔の記憶を突然連れてくることがあります。
そんな秋の気配に包まれて歩いていると、あほまろはふと、2009年のちょうど今ごろ、初めてヒロちゃんと出会った秋を思い出してしまいました。
あれから、もう17年になるのですね。
当時のヒロちゃんは、浅草神社の境内で暮らしていた野良猫でした。
もちろん、その時のあほまろには、その小さな猫がこれから先、自分の人生の長い時間を一緒に過ごす家族になるなんて、想像もしていませんでしたよ。
出会いというものは、いつだってそうなのでしょう。
「本日より、この猫があなたの人生に深く関わります」
なんて、観音さまが立て札を出して教えてくださるわけではありませんからね。
ただ、ある秋の日に一匹の猫と出会った。
最初は、それだけのことだったのです。
ところが、その「それだけ」が積み重なって、いつしか掛け替えのない存在になっていきました。
毎朝顔を合わせ、名前を呼び、写真を撮り、やがてわが家へ迎え、一緒に季節を重ねてきました。
春には桜を見て、夏には暑さをしのぎ、秋には落ち葉を眺め、冬には暖かな部屋で丸くなる。
一年という時間を何度も何度も一緒に巡っているうちに、「ヒロちゃんがいる」ということそのものが、あほまろの日常になっていたのですね。
人間は勝手なもので、毎日続いているものは、明日も当然続くと思ってしまいます。
朝になれば日が昇る。秋になれば葉が色づく。そして家に帰れば、そこにいつものヒロちゃんがいる。
そんな当たり前を、あほまろもずっと疑うことなく過ごしてきました。
けれど、季節が夏から秋へ、秋から晩秋へと移っていくように、生きているものにも、それぞれの時間が流れているのですね。
だからでしょうか。
今年の落ち葉の音は、いつもの年より少し大きく聞こえるのです。
虫の声も、どこか遠くから聞こえてくるような気がします。
17年前の秋に出会った小さな命との時間を思い返しながら歩いていると、あの日の浅草神社の空気まで蘇ってくるようでした。
あの日、ヒロちゃんと出会えたこと。
それから長い年月を一緒に過ごせたこと。
考えてみれば、それだけでも、とても幸せな巡り合わせだったのでしょうね。
仲見世の灯りの中を歩いていく二人の後ろ姿を見送りながら、そんなことを考えてしまいましたよ。
人も猫も、そして季節も、同じ場所にいつまでも留まっていることはできません。秋はやがて晩秋となり、木々は葉を落とし、虫たちの声も聞こえなくなります。
けれど、葉が散ったからといって、その木が過ごした秋まで消えてしまうわけではありません。
記憶も同じなのでしょう。
過ぎ去ってしまった時間は戻りませんが、一緒に過ごした時間まで失われることはありません。
だからあほまろは、今年の秋を、いつもの秋より少しゆっくり歩いてみようと思っていますよ。
落ち葉の音を聞きながら。
冷たくなった風を頬に感じながら。
そして時々、17年前の秋に出会った、小さなヒロちゃんの姿を思い浮かべながら……。
今日も浅草の秋は、何事もなかったように、静かに深まっていくのでありました。
「散る葉見て 出逢った秋を思い出す 十七年も猫に借りたり」(阿呆人也)
考えてみれば、ヒロちゃんと暮らした17年は、あほまろがヒロちゃんに与えた時間ではなく、ヒロちゃんから借りていた幸せな時間だったのかもしれませんね。
今朝もオリオン座が綺麗に見えておりましたが、この写真では、判りませんよね。
今朝の日の出は午前5時46分。平成中村座。
ハナカイドウの実。
十月桜。
境内の工事はまだ進展無しでした。
中村さん、おはようございます。
おはようございます。今朝は開門3分半前にやって来た、野崎さん。
子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。
日本のナイチンゲールと称される瓜生岩子像。
少しずつ色づき始めたイロハモミジです。
定点観察を続けているソメイヨシノの木。あほまろは、風格ある幹や力強く伸びる枝ぶりはもちろんのこと、とりわけ葉の移ろいに心を惹かれております。
昨年から落ちることなく枝に残り続けている二枚の葉。これからもあほまろは毎朝逢いに来ますので、いつまでも頑張ってくださいね、
令和の大改修を終え、広々とした境内西広場。
お店の取り壊し作業が終わった伝法院通り。
あほまろは今日も秘密基地にて、「浅草は、朝が深い」の原稿書きに勤しみますよ。
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おはようヒロちゃん。夕べは久しぶりに一緒に寝られましたね。
今朝の朝の朝食は、チーズとソーセージにロールパン。デザートは巨峰。
妻のコレクションは、ツイギーちゃんと小町ちゃん。
昨日の東京スカイツリー。
しゅと犬くん。
あほまろお帰りなさい。
夕べの夜の夕食の晩ご飯は、肉丼風味。デザートはミカンと無し。
妻のコレクションは、なごみちゃんとレンちゃん。
MemoiPhone 17 ProMAX