令和8年(2026)8月18日(火)  旧暦7月5日 赤口
今朝の撮影 Data
SONY α1 II
Sigma 20-200mm F3.5-6.3 DG
iPhone 17 Pro Max
現像 Adobe Photoshop Lightroom CC
撮影枚数 676枚
- 暦では 秋が来たぞと霧まとい 夏は知らぬと居座る真夏日 -

 今日は、日本の季節を細やかに七十二に分けた「七十二候」の第三十九候、「蒙霧升降(ふかききりまとう)」にあたります。二十四節気では「立秋」の末候。暦の上では、いよいよ秋が少しずつ深まり始める頃なのです。
「蒙霧升降」と書いて「ふかききりまとう」。
 いやはや、漢字だけ眺めておりますと、朝から漢文の試験でも始まりそうで、あほまろなどは霧より先に頭の中が「もうもう」としてしまいますよ。
「蒙霧(もうむ)」とは、文字どおり、あたりを覆い隠すほど深く立ちこめる霧のこと。「升降」は霧が立ちのぼったり、低く垂れこめたりする様子を表した言葉とされ、山あいや水辺などに白い霧が漂い始め、夏の盛りにはなかった秋の気配が見えてくる頃を表しているので。七十二候というものは面白いものですよね。
 現在の気象予報のように「最高気温32℃、降水確率何%」などと数字で季節を知らせるのではなく、鳥が鳴いた、虫が動いた、草に露が宿った、霧が立ったと、自然の小さな変化を拾い上げて季節を知らせてくれるのです。
 昔の人にとって、季節とはカレンダーをめくって知るものではなく、肌で感じ、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、目で確かめるものだったのでしょう。

 ところで今朝、NHKの天気予報でも、この「蒙霧升降」が取り上げられておりました。その中で霧にまつわる美しい言葉として紹介されていたのが、「樹雨(きさめ)」でした。
 濃い霧に包まれた森を歩いていると、空から雨が降っているわけでもないのに、木の下ではポツリ、ポツリと水滴が落ちてくることがあります。霧をつくっている細かな水滴が木々の葉や枝に付着し、それが集まって大きな滴となり、やがて雨のように落ちてくる現象です。
 なるほど、実に美しい光景ですね。
 霧が木々に抱かれ、木々がその霧を雨にして地上へ返してくれる。
 空から降る雨ではなく、木から降ってくる雨。
 それを「樹雨」と呼んだ日本人の感性には、なんとも風情があります。

 しかし、ここであほまろ、テレビを見ながら「ちょっと待ってくださいよ」と思ってしまいました。
「樹雨」という言葉そのものは霧から生じる水滴を指しますが、俳句の世界では一般に夏の季語として扱われる言葉です。特に青葉の茂る頃、霧の水分をたっぷり受けた木々から滴が落ちる情景を思わせます。
 たとえば、「樹雨音 蝉の声待つ 夏近し」そんな句に詠まれるような世界なのです。
 ですから、「蒙霧升降」の説明として霧と樹雨の仕組みを結びつけること自体は間違いとは言い切れませんが、季語としての「樹雨」は秋ではなく初夏の言葉ですよ。
 NHKさん、現象としてはなるほどですが、季節の言葉として紹介するなら、もうひと言説明が欲しかったところでした。

「樹雨とは 夏の季語ぞと知りながら テレビの予報に秋雨が降る」(阿呆人也)

 天気予報は明日の天気を外すこともありますが、季語の季節まで少々曇らせてはいけません。
 もっとも、現代の気候そのものが、昔の暦をずいぶん困らせております。
「立秋」と言われても、外へ出れば真夏。
「涼風至る」と言われても、吹いてくるのは熱風。
 そして今日、「深き霧まとう」と言われても、浅草の空には久しぶりの夏空が広がっておりました。
 七十二候のほうが、「話が違うじゃないか」と困っているかもしれませんね。それでも不思議なもので、暦は決して大きく季節を外しているわけではありません。

 日中にはまだ厳しい残暑が続いていても、日の出前に外へ出てみれば、盛夏の頃とはどこか空気が違います。
 ほんの少しだけ風が軽くなったような気がする。 夜明けも少しずつ遅くなり、鳥たちが動き始める時間にも微妙な変化が見えてくる。セミはまだ元気に鳴いておりますが、その声さえ、真夏の盛りとはどこか違って聞こえてくるから、人間の感覚とは勝手なものです。
 夏が始まった頃の蝉時雨には「夏が来た」と喜び、立秋を過ぎて同じ蝉の声を聞けば、「夏もそろそろ終わるのかな」と寂しくなる。
 蝉にしてみれば、「こっちは同じように鳴いているだけだよ」と言いたいでしょうからね。

 今朝の外気温は26℃。朝にしてはまだ高めの気温でしたが、不思議とそれほど暑さを感じず、いつもより爽やかに感じられました。
 数字だけ見れば立派な夏の朝ですが、肌に触れる空気の中には、ごくわずかながら秋の気配が混じり始めているのでしょうか。
 もっとも、湿度はまだ高く、歩いているうちに汗はしっかり出てきます。暦が秋になったからといって、汗まで律儀に止まってくれるわけではありません。
 今日は高気圧の勢力が強まり、朝から久しぶりに夏らしい青空が広がっておりました。日中の最高気温は32℃ほどまで上がる予報ですので、昼間は再び汗ばむ暑さとなりそうですよ。

「蒙霧升降」と聞けば、深い霧の向こうから涼しい秋が静かに歩いて来るような情景を思い浮かべますが、現実の東京では、秋はまだ遠慮がちに玄関先まで来ただけで、夏が居間の真ん中にどっかり座り込んでいるようなものですね。
 季節というものは、ある朝突然入れ替わるものではありません。夏の中に秋が少し混じり、やがて秋の中に夏の名残が残り、それを何度も繰り返しながら季節は静かに移っていくのです。
 霧も、風も、日の出の時刻も、虫の声も、木々の色も、その小さな変化を教えてくれているのでしょう。

 あほまろが毎朝同じ時間に、同じ浅草寺境内を歩いていると、昨日と今日では何も変わっていないように見えて、実は何かがほんの少しずつ違っていることに気付きます。
 それこそが、七十二候の世界なのかもしれませんね。
「今日は秋です」と大声で宣言するのではなく、「ほら、昨日より少しだけ秋ですよ」と、自然が小さな声で教えてくれるのです。 そんな声を聞き逃さないためにも、あほまろは明日の朝もまた、まだ暗いうちから浅草寺境内を歩くのでしょう。

 とはいえ、立秋を過ぎたからと油断は禁物です。昼間はまだまだ厳しい残暑が続きます。熱中症にも十分注意し、こまめな水分補給を心がけてください。
 暦は秋でも、身体は暦どおりには動いてくれませんからね。
 日の出前の風の中に、蝉の声の向こう側に、そして毎朝少しずつ遅くなっていく夜明けの中に、もう秋はちゃんと潜んでいる「見えない秋」を探しながら歩くのも、この季節の早朝散歩の楽しみなのでございます。

「暦では 秋が来たぞと霧まとい 夏は知らぬと居座る真夏日」(阿呆人也)

 ここ観音裏広場は、あほまろにとって、毎日の日記の題材を思い巡らせる特別な場所なのでございます。
 ところが最近は、ここであれこれ考えすぎてしまうせいでしょうか、ひとつの話題から次々と思いが広がり、日記もどんどん長文になってしまいました。
「もう少し話題を簡潔にまとめなくちゃ」と、毎朝反省はしているのですが、実は現在、『浅草は、朝が深い』という自伝出版に向けて、これまでの記録や文章をまとめている最中なのです。その影響もあって、ひとつの出来事から昔のことを思い出したり、浅草の歴史へ話が広がったりと、ついつい筆が止まらなくなってしまうのでしょうね。
 しばらくは長話にお付き合いいただくこともあるかと思いますが、どうぞご勘弁くださいね。そのうち簡潔に戻るつもりではおりますが――さて、それがいつになることやら。

 今朝の日の出は午前5時02分。一瞬の朝焼けが去った直後の写真です。

。

 ハナカイドウの実。

 おはようございます。今朝は開門5分前にやって来た、野崎さんと高橋さん。

 おはよう益美さん。

 子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。

 日本のナイチンゲールと称される瓜生岩子像。

 セミが鳴く晩夏の境内をご覧下さい。

 深い緑に包まれたイロハモミジ。

 定点観察を続けているソメイヨシノの木。あほまろは、風格ある幹や力強く伸びる枝ぶりはもちろんのこと、とりわけ葉の移ろいに心を惹かれております。

 昨年から落ちることなく枝に残り続けている三枚の葉があります。新しく茂った深緑の葉にそっと覆われ、その存在に気づく人はほとんどおりませんが、あほまろは毎朝、その葉の姿を探してしまうのでございます。

 令和の大改修を終え、広々とした境内西広場。以前とはまったく違う景色になりましたが、開放感あふれる新しい浅草寺の表情が広がっております。

 お店の取り壊し作業が終わった伝法院通りでは、これから石垣や塀の補修工事が始まるのです。

 あほまろは今日も秘密基地でダラダラ過ごしますよ。

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 夕べの睡眠は73%でした。

 おはようヒロちゃん。

 今朝の朝の朝食は、久しぶりのトウモロコシと八百屋さん草津旅行のおみやげでいただいた、刺身コンニャクにクルミパン。デザートはスイカ。

 妻のコレクションは、リボンちゃんと千草ちゃん。

 昨日の東京スカイツリー。

 しゅと犬くん。

 あほまろお帰りなさい。

 腹減ったぞ!

 夕べの夜の夕食の晩ご飯は、久しぶりのトウモロコシとソーメン。デザートはスイカ。

 妻のコレクションは、アスリーちゃんと真美子さん。

Memo
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