今朝もまた、ビクトリー君が「あほまろ、今日はこっちだよ」とでも言いたげに、おみくじ売り場へ飛んで行きました。
以前、7月17日の日記にも同じようなことを書きましたが、ビクトリー君は時々、あほまろをおみくじへ誘うような行動をするのです。もちろん、本人に聞いたわけではありませんから本当のところは分かりません。しかし、毎朝顔を合わせていると、ハトにも何となく言いたいことがあるように思えてくるものなのですよ。
まして今朝は、お盆の終わりです。
「ご先祖さまも帰ることだし、あほまろもこれからの運勢を占ってみたらどうだい」
そんなことでも言っているように、おみくじの棚へ飛んで行ったのでした。
それでは、ビクトリー君のお告げに従ってみましょう。
久しぶりに百円を納め、おみくじの筒をガラガラと振りました。浅草寺のおみくじは、筒から出てきた棒の番号と同じ番号の引き出しから紙を取り出す、昔ながらの方式です。
さて、出てきた番号は――。第五十六番「末小吉(すえしょうきち)」。
「あれっ、これ、前にも見たぞ」
そうなのです。前回と同じ第五十六番だったのですよ。百本もあるのに、また同じ番号だったのです。
これは偶然なのか、それとも観音さまが「前に言ったことを、まだちゃんと分かっておらんようだな」と、もう一度同じ宿題を出されたのでしょうか。
学校なら追試、病院なら再検査、おみくじなら再指導、といったところでしょうかね。「末小吉」と聞くと、何となく肩身の狭い「吉」のようにも聞こえます。
大吉が胸を張って歩いている後ろを、小吉や末吉と一緒に遠慮がちについて行くような名前です。しかし、浅草寺のおみくじでは、吉凶にも細かな段階があり、末小吉は下位に位置する控えめな「吉」なのです。
浅草寺のおみくじは「凶が多い」ことでも知られております。
一般に紹介されている百本の内訳では、大吉が17本、吉が35本、半吉が5本、小吉が4本、末小吉が3本、末吉が6本、そして凶が30本とされています。
つまり、末小吉は百本のうち、わずか三本。確率にすれば3%です。
大吉が17%なのですから、「末小吉を引き当てる」ということだけを考えれば、大吉よりずっと珍しいことになります。
もちろん、珍しいから運勢まで大吉になるわけではありません。運勢は控えめでも、引き当てる確率は大当たり。
しかも、その3%を前回に続いてまた引いてしまったのですから、これはもう「運が悪い」のか「運が良い」のか、だんだん分からなくなってまいりました。
もっとも、こういうところが、おみくじの面白さなのでしょう。人生だって、大吉ばかりでは面白くありません。良いことばかり続けば、それが当たり前になって、ありがたみまで薄れてしまいます。少しくらい思うようにならないことがあり、時には立ち止まり、首をかしげるからこそ、小さな幸せにも気付くことができるのです。
何より、末小吉には「末」という字があります。「末」は終わりでもありますが、その先へ続いていく時間でもあります。今すぐ大輪の花が咲くわけではない。しかし、焦らず歩いていれば、末には小さな吉が待っている――。そんなふうに読めば、これはなかなか味わい深い運勢ではありませんか。
あほまろは、おみくじを未来を断定する予言だとは思っておりません。むしろ、その日の自分に与えられた助言のようなものだと思っているのです。
あほまろはビクトリー君の指図――いや、「ご神託」とでも申しましょうか――に従って、時々おみくじを引いているのですよ。
今朝の第五十六番に記された漢詩の意味を読み解いてみると、おおよそ、
「人生には喜びもあれば憂いもある。年老いる前から白髪が増えるほど苦労を重ねることもある。しかし、幾度となく心を悩ませ、それでも努力を続けた先には良き人との出会いがあり、その助けによって道が開けていく」
という教えのようでした。
なるほど。長く生きておりますと、喜びと憂いは交互にやって来るものだということくらいは、嫌でも分かってまいります。
晴れの日ばかりではありません。雨の日もあれば、台風の日もあり、時にはカメラの設定を間違えて、せっかくビクトリー君が飛んで来てくれたのに、写真がブレブレになる朝だってあります。
それでも翌朝になれば、また浅草寺へ向かうのです。
そして、そこで待っていてくれるものがあります。考えてみれば、あほまろには確かに「良き出会い」がありました。
ただし、人ではなく――ハトでしたけどね。
毎朝、境内でビクトリー君たちと出会い、その姿を追いながら歩き、写真を撮り、そこから日記の題材まで授けてもらっているのです。
漢詩には「良き人との出会いによって道が開ける」とありますが、あほまろの場合は、どうやら観音さまが「人だけとは書いておらんぞ」と、ビクトリー君を遣わしてくださったのかもしれませんね。
良きハトとの出会いによって、毎朝の散歩道が開けている。そう考えると、この「末小吉」も、まんざら悪いものではありません。
そこで一句ならぬ、狂歌をひとつ。
「末小吉 末には吉と鳩がいう 百円納めてまた五十六」(阿呆人也)
これでは、おみくじを引いたのか、ビクトリー君に引かされたのか分かりませんね。
さて、そんな今朝は、お盆休み、いわゆる夏休みの最終日でもあります。
長い休みを利用して、故郷へ帰った方、海や山へ出かけた方、家族旅行を楽しんだ方も多かったことでしょう。今日あたりは、大きな荷物と楽しかった思い出、それに少々の疲労を抱えて帰宅する方も多いのでしょうね。
あほまろは、相変わらず浅草の秘密基地で、ダラダラと過ごしておりましたよ。
「せっかくの夏休みなのにもったいない」
などと言われそうですが、人混みと混雑が大の苦手なあほまろにとって、わざわざ日本中が混雑する時期を選んで混雑の中へ出かけるほど、修行好きではございません。
高速道路の渋滞に並び、新幹線の混雑に揉まれ、観光地では人の頭越しに景色を眺め、それでも「楽しい夏休みでした」と言わなくてはいけないのですから、夏休みというものも、なかなか厳しい修行でございますね。
秘密基地でダラダラ。これも立派な夏休みの過ごし方――と、あほまろは勝手に決めているのであります。
ところが、季節だけはダラダラしてくれません。今朝の浅草は、朝から湿気がまとわりつくような蒸し暑さでした。
まだまだ夏だなと思いながら境内を歩いていると、日の出前の薄暗がりの中から、秋の虫たちの鳴き声が聞こえてきました。
姿は見えなくても、草むらや木々の下から、小さな声が幾重にも重なって聞こえてくるのです。
暦の上では、すでに立秋を過ぎました。
「暦の上では秋です」と言われても、汗を拭きながら聞けば、「どこが秋なんだ」と文句のひとつも言いたくなります。
しかし、お盆が終わる頃になると、不思議なもので、朝晩には少しずつ季節の変化が現れてくるものです。空気はまだ夏。肌にまとわりつく湿気も夏。
けれど、耳に届く音だけは、ひと足先に秋へ向かっているのです。夏の蝉が懸命に鳴いているその足元で、今度は秋の虫たちが出番を待っている。季節というものは、ある日突然、夏から秋へ看板を掛け替えるわけではありません。
蝉の声の向こうから虫の音が聞こえ、日の出が少しずつ遅くなり、朝の影が長くなっていく。そんな小さな変化を重ねながら、いつの間にか季節は次の頁へ進んでいるのですよね。
今日の東京の最高気温は28℃との予報です。猛暑続きだった真夏に比べれば、「28℃なら涼しいじゃないか」と錯覚してしまいそうですが、湿度が高ければ、やはり蒸し暑く感じられます。
昔なら28℃と聞けば「暑い」と言っていたはずなのに、近頃では「今日は28℃しかない」と喜んでしまうのですから、人間の感覚というものも実に勝手なものですね。
猛暑に飼い慣らされてしまったのでしょうか。
そして、お盆休みが終われば、明日からまたいつもの暮らしが戻ってきます。休みの終わりを惜しむ人もいるでしょう。
仕事を思い出して、今夜あたりから急に元気がなくなる人もいるかもしれません。
けれど、浅草寺の境内では、そんな人間の都合などお構いなしに、秋の虫たちが次の季節を知らせています。
「夏休み 終わる知らせを虫が鳴き 人はため息秋はひそひそ」(阿呆人也)
人間はカレンダーを見て「休みが終わる」とため息をつきますが、虫たちはカレンダーなど持っておりません。
それでも、ちゃんと季節を知っています。
もしかすると、人間より虫の方が、よほど暦に正直なのかもしれませんね。
そして、あほまろの暦を教えてくれるのは、虫だけではありません。日の出の時刻、境内の風、木々の色、蝉の声、秋の虫の音、そして毎朝飛んで来るハトたち。
今朝はビクトリー君が、第五十六番「末小吉」を授けてくれました。
大吉ではありませんが、それで良いのです。毎日が大吉でなくても、朝になれば歩くことができ、浅草寺へお参りができ、いつもの仲間に会えて、ビクトリー君が飛んで来てくれる。
そんな小さな「吉」が毎朝ひとつずつ積み重なっていくことの方が、一枚の大吉より、ずっとありがたいことなのかもしれません。
お盆が終わり、夏が少しずつ遠ざかっていきます。
ご先祖さまを送り、夏休みを送り、蝉の声を送りながら、浅草はこれから静かに秋を迎えていくのでしょう。
末小吉――。
「末には、小さな吉がある」。
そう思えば、なかなか良い言葉ではありませんか。
明日もまた、日の出前の浅草寺を歩きましょう。
そしてビクトリー君。次におみくじへ誘ってくれる時には、できれば「大吉」の棚の前で待っていてくださいね。
もっとも、ハトに欲を見せた途端、今度は「凶」を引かされそうですけどね。
「吉凶を 鳩に任せて朝参り 末まで歩けそこに大吉」(阿呆人也)
そんなことを思いながら、秋の虫の音に耳を傾けた、お盆休み最後の浅草の朝なのでございました。
あほまろにとって観音裏広場は、写真を撮る場所であると同時に、心を整え、今日という一日の物語を見つけるための、かけがえのない場所なのでございます。
今朝の日の出は午前5時00分。
ハナカイドウの実。
おはようございます。今朝は開門2分半前にやって来た、野崎さん、高橋さん、金山さん。
梶原さんも加わって、おはようございます。
おはよう益美さん。
子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。
日本のナイチンゲールと称される瓜生岩子像。
セミが鳴く晩夏の境内をご覧下さい。
深い緑に包まれたイロハモミジ。
定点観察を続けているソメイヨシノの木。あほまろは、風格ある幹や力強く伸びる枝ぶりはもちろんのこと、とりわけ葉の移ろいに心を惹かれております。
昨年から落ちることなく枝に残り続けている三枚の葉があります。新しく茂った深緑の葉にそっと覆われ、その存在に気づく人はほとんどおりませんが、あほまろは毎朝、その葉の姿を探してしまうのでございます。
令和の大改修を終え、広々とした境内西広場。以前とはまったく違う景色になりましたが、開放感あふれる新しい浅草寺の表情が広がっております。
お店の取り壊し作業が終わった伝法院通りでは、これから石垣や塀の補修工事が始まるのです。
あほまろは今日も秘密基地でダラダラ過ごしますよ。
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夕べの睡眠は86%でした。
おはようヒロちゃん。
今朝の朝の朝食は、ステーキと玉子焼きに栗おこわ。デザートはシャイマスカット。
妻のコレクションは、つばきちゃんとモミジちゃん。
昨日の東京スカイツリー。
あほまろお帰りなさい。
夕べの夜の夕食の晩ご飯は、刺身と焼き鳥。デザートは海苔だけ。
妻のコレクションは、いちごちゃんとりんごちゃん。
MemoiPhone 17 ProMAX