あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成17年6月26日 (日) 旧暦5月20日赤口

- 植木市 -

日記


 “暑いよ暑いよ、涼しい国に疎開したいよ”、人間ってのは全く勝手なことばかり考える動物なのですね・・・。あほまろの日記を読み返してみると、冬の寒いときは暑いところに行きたいと言ってたかと思うと、暑い夏の日には寒いところに・・・。なんてこと平気で書いているんですよ。でも、春と秋の真っ盛りのころには暑いとか寒いとかって言葉が全く出てこないんです。やっぱりこの時期が、ちょうど良い気候なのでしょうね。
 あほまろのクセ。散歩から帰ってきて、パソコンに向かい日記を開いた途端に、まず頭の中の大部分を占めているモノをイッキに文字にしてしまうのです。そらから文章の構成なんて考えず、思いついたことを書き綴っているのです。後日、自分の文章を読み返して赤面すること、屡々なんです。これも、“暑い”ですね・・・。
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 今朝もモモちゃんとポーちゃんが一緒です。ポーちゃんのためにちょっと足を伸ばして観音裏で行われている「お富士さまの植木市」の会場まで行ってきました。早朝なので、まだどこも開いていませんが、普段は何の変哲も無いアスファルトの車道の両側にずら〜っと並んだ緑の木々と花々。誰も居ない植物園の中を歩いているかのようでした。
 この「お富士さまの植木市」、本来は旧暦5月の晦日(末日)と6月の朔日(一日)に開催されていたのでしたが、明治5年の新暦切り替えによって一月づれたために、6月晦日と7月朔日に変更されたのです。しかし、当次は新旧暦を切り替えたといっても、まだそれを知らない人も多く、いつも通りに旧暦のまま市にやって来る人が多かったために2度の開催を余儀なくされたのでした。
 現在では、平日には人が集まらないことを理由に、5月と6月の最後の土日に開催しております。象潟町会の柳通りを中心におよそ350店の植木屋が、アスファルトの上を、ジャングルのような緑に変身させてくれるのです。
 今年も「フラワーフェスティバル」が同時開催され、浅間神社の真ん前の富士小学校の生徒たちが丹誠込めて育てた花々の鉢を、植木市に訪れた人たちに買ってもらったお金が「緑の基金」に寄付されるのです。“私が作った鉢を買ってください”、“緑の募金、お願いします”、子供たちの声は浅間神社一帯にこだましてました。
 先生の話によると、以前には一個一個の鉢には育てた子供たちの名前が書かれていたのですが、自分の鉢が買われると、泣き出してしまう子も多く、育てる時には付けられていた名札も、販売する前に取り去ってしまうことになったそうです。
 でも、育てた子供の名前が書かれた鉢が有ったら、その子の成長を見守ってあげているようで楽しいかも。でも、枯れさせてしまったら、やっぱり可愛そうかな・・・。
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 植木市が開催される象潟地区には、芸者さんを手配する「見番」があります。毎年、地元の植木市に協賛して様々な行事に協力をしているのです。先月の植木市には「お点前」でお茶を振る舞いました。また、今月は見番の二階において、芸者衆と幇間衆の踊りが歩廊されました。こちらは有料ですが、花柳界でお遊びをしないみなさまにとって、芸者衆の本格的な踊りを鑑賞するチャンスなんて滅多にありません。そんな訳で、お客様のほとんどが女性ってのも判りますね。
 特に、始めて見る幇間芸には訪れたみなさん大受けでしたよ。こんなの、あほまろにとって、さほど珍しいことじゃないのですが・・・、なんて通ぶってますが、最近はしょっちゅうあちこちでお目にかかるんですよ。
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 「地震雷火事親父」世の中で恐ろしいものを順番に並べた言葉ですね。自然災害の次に恐いのが「親父」っての、ちょっと不思議とは思いませんか。なぜ、こんな話題を出したかといえば、今日は「雷記念日」です。
 『930年(延長8年)に平安京の清涼殿に落雷があり、大納言の藤原清貴が亡くなった。この落雷は政治的な策略によって太宰府に左遷されそこで亡くなった菅原道真のたたりであると信じられ、道真公は名誉を回復した。またこれにより、菅原道真は雷の神「天神」と同一視されるようになった。』
 そんないわれが書かれています。雷といえば、浅草寺で有名な「雷門」その中に安置されている「風神・雷神」と、災害を起こす神さまが祀られているのです。“神様を怒らせないようにお参りをすると災害から除けられる”、そんな訳で、ほおずき市で有名な7月10日の四万六千日だけ限定の「雷除け」も授けられるのです。
 これによって一年間「雷と風」の災害に遭わずに過ごせるというありがたいお札なのです。
 そこでもう一度、「地震雷火事親父」の話題。この「親父」、 実は「大山嵐(おおやまじ)」ってことなのです。 山嵐(やまじ)とは台風のことを指す言葉なので、おのずとこの意味全体が自然災害を表しているってのが判りますね。
 「地震雷火事大山嵐」、江戸のお役人が使える上司、庶民が仕える親方、大家さん、それに子ども達は親父。みんな避けて通れない自然災害と同様に恐い存在だったのでしょう。「雷親父」って表現、それもこのことわざから派生したのじゃないのかな・・・。


今朝の写真
CANON EOS-KissDN,CANON ZOOM 17-85 F4-5.6 IS
撮影枚数35枚
昨日の写真
CANON EOS-1 DsMK2,CANON ZOOM 17-35 F2.8 他
撮影枚数316枚