あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成17年5月25日(水) 旧暦4月18日先負
- 雨期に備えて -

____________________________________
 毎年三社祭が終わると仲見世に可動式の屋根がつきます。これから始まる梅雨
除けと、真夏の日除けまで訪れる人達に快適な空間を与えてくれるのです。屋根
が付いたなんて言葉では一言で済んでしまいますが、およそ300メートルにも
なるこの鉄骨を取り付け、毎年わずか一晩で済ましてしまうんです。それも、昨
夜の激しい雷雨の中での作業、本当にご苦労様でした。
 久しぶりに見るこの屋根、急に仲見世が狭くなったようにも見えませんか。
来月初めには、ここの軒下に新緑の飾りが並ぶのですよ。
------○------
 三社祭が終わったばっかりだというのに、観音裏広場で今日もまた大きなイベ
ントが開催されます。「消防殉職者慰霊祭」です。このイベントの詳細は昨日の
日記でも書いたので過去日記を参照してください。
 早朝から鳶頭たちが忙しそうに会場設営を行っています。“火事、喧嘩、伊勢
屋、稲荷に犬のくそ”、と江戸名物を並べた言葉が有るように、江戸では毎日の
ように火事と喧嘩が絶えなかったようです。決死の消化活動に携わる火消し連中
は血の気の多い若者でなければ勤まらないのも確かですが、その火消し同士の喧
嘩は歴史に残るほど有名ですね。
 浅草寺本堂前を背中に「一番」の火消半纏で鳶頭が歩いています。年の頃なら
とっくに古希を過ぎている方ですが、後ろから見ていると、足取りの軽やかさは
さすが鳶職で鍛え上げた雰囲気が満ちあふれているのです。「一番」といえば、
神田の「い」「よ」「は」「万」組に所属する鳶頭なのでしょう。もしかしたら
組頭の方なのかな、前に回って見てみようと思ったのですが、何か失礼なので後
ろ姿から勝手な想像をしていました。
 江戸時代の文化年間には、この神田の一番組と浅草の新門辰五郎率いる十番組
との喧嘩は20年以上も続き、霊岸島の火事現場でついに衝突し、喧嘩に加わっ
た5〜6千人の火消したちは火事がおさまっても喧嘩は続いていたなんて話が残
っています。
 歌舞伎の演目で有名な「め組の喧嘩」は、芝明神社でめ組と相撲取りとの些細
なことから始まった大喧嘩も有名ですが、それとは規模が違う大喧嘩だったよう
です。
 一番組の伝統を守った火消半纏、腰回り入った大きく白い一本の線をみている
と、そんな伝統の臭いも感じられるのです。過去の争いがウソのように、かつて
のライバル新門が宮頭を勉める浅草寺に集まって、仲良く先祖の供養が出来るっ
ての、先代たちも草場の影から喜んでいるでしょうね。
------○------
 三社祭の写真を公開してから毎日もの凄いアクセスです。掲示板も盛り上がっ
てはいるのですが、まるで2チャンネルのようになってしまいました。色々意見
を交わすのは良いですが、特定の人や団体を名指ししての誹謗中傷だけは書き込
まないでください。中傷された団体の方より怒りのメールを頂いてようやく気付
いた書き込みもあります。しかし、四六時中掲示板をチェックする訳にもいかず
それがあほまろの意思でも有るかのようなお叱りには困惑しております。
 掲示板の性格上、即座の対応が難しいことのご理解、お願いいたします。

今朝の写真
CANON EOS-KissDN,CANON ZOOM 17-85 F4-5.6 IS
撮影枚数25枚

____________________________________