明日から、浅草寺境内の南側、二尊仏さまの裏手から三地蔵さまの周辺にかけて、大規模な工事が始まるようです。
周辺に敷かれている石や、長い年月そこにあった木々も撤去されるとのことで、工事が本格的に始まれば、今まで見慣れてきた景色は大きく姿を変えてしまうのでしょう。
あほまろは毎朝、二尊仏さまと戦災木と三地蔵さまの前を通り、手を合わせております。
それは特別なことではありません。朝になれば散歩に出かけ、雷門をくぐり、仲見世を抜け、本堂や浅草神社を巡り、いつもの場所でいつものように手を合わせる。ただそれだけのことです。
昨日もそうでした。今日もそうでした。だから、明日も同じだと思っていました。
ところが、工事のためのフェンスが巡らされれば、しばらくの間、いつもの場所まで近づけなくなるかもしれません。いつもの角度から二尊仏さまを眺めることも、三地蔵さまの前に立って手を合わせることも出来なくなるかもしれないのです。
そう考えると、今朝まで何でもなかった景色が、急に惜しく見えてくるから不思議なものですね。
人間というものは勝手なもので、「明日もある」と思っているものには、なかなか有り難みを感じません。
いつもの道。いつもの木。いつもの石。いつものお地蔵さま。そして、いつもの朝。
それらがそこにあることを疑いもしないから、「当たり前」と呼んでしまうのでしょう。
しかし、その「当たり前」という言葉ほど、実は頼りないものはないのかもしれません。
木は切られます。石は動かされます。建物は建て替えられ、人も動物も歳をとります。そして昨日までそこにあったものが、ある朝突然、そこには無くなっていることだってあるのです。
毎朝写真を撮り続けている間だけでも、ずいぶん変わりました。だから写真を撮っているのでしょうね。
今日の景色を今日撮っておかなければ、明日にはもう撮れないかもしれない。
写真とは、美しいものを残すだけではなく、「あの頃は、これが当たり前だった」という証拠を未来へ残しておくことも重要な記録なのです。
そして今、あほまろの身の回りでも、もうひとつの「当たり前」が静かに変わろうとしております。
わが家のヒロちゃんです。
ヒロちゃんが元気でいることも、ずっと当たり前でした。
ところが先月の中旬頃から具合が悪くなり、今では自分のベッドで静かに横になっている時間がほとんどになってしまいました。
時々ベッドから降りてきて、お水を飲んだり、おしっこをしたりしますが、それが済むと、また自分の寝床へ戻って静かに横になります。
以前のように、夜になるとあほまろのベッドへやって来ることもなくなりました。
考えてみれば、ヒロちゃんとの暮らしも、「当たり前」が何度も入れ替わってきた年月でした。
ヒロちゃんがまだ推定一歳ほどで、浅草神社周辺で野良猫として暮らしていた頃、毎朝散歩にやって来るナナちゃんと仲良くなりました。
犬と猫ですから、本来なら警戒してもおかしくありません。それなのに、毎朝会っているうちに、いつしか二匹が一緒にいることが、ごく普通の光景になってしまったのです。
今日もいる。
明日もいる。
ナナちゃんが来れば、ヒロちゃんがいる。
ヒロちゃんがいれば、ナナちゃんが近づいていく。
そんな日々が一年ほど続くと、それが永遠に続くような気さえしておりました。
けれど、雨の日には雨に濡れ、寒い日には寒さに耐え、境内のどこかで雨風をしのいでいるヒロちゃんを見るたびに、あほまろはだんだん放っておけなくなりました。
そしてとうとう、
「もう野良猫はおしまいだよ」
と、わが家へ迎え入れたのでした。
それから十四年間。ヒロちゃんは、すっかりわが家の一員になりました。
ナナちゃんがいて、ヒロちゃんがいる。二匹が家の中にいる。
それが、わが家の「当たり前」になりました。
けれど、その当たり前も永遠ではありませんでした。
ナナちゃんが他界したのです。
ナナちゃんがいなくなったことは、あほまろにとってもちろん大きな出来事でしたが、おそらくヒロちゃんにとっても、それまでの世界が突然変わってしまったのでしょう。
いつもそこにいたナナちゃんがいない。
待っていても帰ってこない。
動物に「死」というものがどこまで理解できるのかは分かりません。でも、昨日までいた仲間が今日はいないという変化は、きっと分かっていたのでしょう。
そして不思議なことに、ナナちゃんがいなくなってから、ヒロちゃんは少しずつ、あほまろに近づくようになったのです。
それまでナナちゃんに向けていた安心や温もりの一部を、あほまろに預けてくれるようになったのかもしれません。
やがて夜になると、あほまろのベッドへ入ってくるようになりました。身体をぴったり寄せて眠る。それが三年間続きました。
最初は嬉しくて仕方がなかったことも、毎晩続けば、いつしかそれが普通になってしまいます。
「今夜も来たね」
そんな言葉さえ交わさなくなります。
だって、来るのが当たり前だったのですから。
ところが今、そのヒロちゃんは、あほまろのベッドへ来なくなってしまいました。
そうなって初めて気づくのです。あの小さな身体がベッドに乗ってくる気配。布団が少し沈む感触。身体を寄せてくる温もり。
それらは決して「当たり前」などではなかったのですね。
一晩一晩が、ヒロちゃんからもらっていた贈り物だったのでしょう。
人間は、それを失いかけて初めて「幸せだった」と気づくことがあります。
でも本当は、幸せだったのではありません。
その時も、ちゃんと幸せだったのです。
ただ、当たり前すぎて気づかなかっただけなのでしょう
明日から、三地蔵さまの周辺には工事のフェンスが巡らされるかもしれません。見慣れた石がなくなり、木々がなくなり、工事が終われば、そこには新しい景色が生まれるのでしょう。
最初はきっと違和感を覚えるはずです。
「あそこには木があったのに」
「ここには石があったのに」
そう思いながら眺めるでしょう。
しかし半年、一年と過ぎれば、今度は新しくなった景色のほうが「当たり前」になってしまいます。
人間には、変化を受け入れて生きていく力があるからです。
それは幸いなことでもあり、少し寂しいことでもありますね。
だからこそ、あほまろは写真を撮り続けているのかもしれません。
変わる前の木を撮る。
動かされる前の石を撮る。
毎朝のお地蔵さまを撮る。
ハトを撮る。カラスを撮る。
そして、ナナちゃんを撮り、ヒロちゃんを撮ってきました。
写真の中では、「当たり前だった昨日」が消えないからですから。
今のヒロちゃんが、これからどうなるのかは分かりません。
ただ、あほまろはもう、昔のように元気になってほしいと無理を言うよりも、ヒロちゃんが自分の好きな場所で、安心して静かに過ごしてくれれば、それで良いと思っています。
時々お水を飲みに起きてくる。
それだけでも、
「ヒロちゃん、お水飲めたね」
と思うようになりました。
以前なら気にも留めなかったことです。
当たり前が少なくなると、小さな出来事が、とても大切に見えてくるものですね。
もしかすると人生というものは、「当たり前」を増やしていくことではなく、当たり前だと思っていたものが、実はどれほど有り難いものだったのかを、少しずつ教えられていく時間なのかもしれません。
明日の朝、いつもの景色が変わっているかもしれません。
それでも、あほまろはいつもの時間に出かけます。
二尊仏さまと三地蔵さまに近づけなければ、フェンスの外から手を合わせれば良いのです。
帰宅したら、ヒロちゃんに、
「ただいま」
と声をかけます。
返事がなくても良いのです。
そこにヒロちゃんがいてくれる。
今は、それだけで充分です。
そして、今日という一日も、明日になれば「昨日」になります。
だからこそ、今日見えるものを見て、今日会えるものに会い、今日そばにいてくれるものを大切にしておきたいものですね。
当たり前とは、永遠に続くものではなく、失うまで奇跡だと気づかなかった日常のことなのかもしれません。
そんなことを、明日から姿を変える境内の景色と、静かに眠るヒロちゃんが、あほまろに教えてくれているような気がする今朝なのでした。
「当たり前 昨日も今日も あるものと 思えば明日は 思い出となる」
そして、ヒロちゃんにはもう一首。
「来ぬ夜は 布団の隅が 広すぎて 猫のぬくもり 今さら恋し」(阿呆人也)
当たり前だった頃には狭いとも思わなかった布団が、来なくなった途端に広く感じる――そんな「空いた場所」こそ、長い年月を一緒に暮らした証なのだと思いました。
今朝は雲が多かったけど、かすかにオリオン座が見えてましたよ。
今朝の日の出は午前5時44分。平成中村座です。
ハナカイドウの実。
十月桜。
おはようございます。今朝は開門4分前にやって来た、山本さん、野崎さん、中村さん、高橋さん。
梶原さんも加わって、おはようございます。
子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。
日本のナイチンゲールと称される瓜生岩子像。
少しずつ色づき始めたイロハモミジです。
定点観察を続けているソメイヨシノの木。あほまろは、風格ある幹や力強く伸びる枝ぶりはもちろんのこと、とりわけ葉の移ろいに心を惹かれております。
昨年から落ちることなく枝に残り続けている二枚の葉。これからもあほまろは毎朝逢いに来ますので、いつまでも頑張ってくださいね、
令和の大改修を終え、広々とした境内西広場。
お店の取り壊し作業が終わった伝法院通り。
あほまろは今日も秘密基地にて、「浅草は、朝が深い」の原稿書きに勤しみますよ。
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おはようヒロちゃん。
今朝の朝の朝食は、自家製チャーハン。デザートは牛乳かんてん。
妻のコレクションは、知子ちゃんと祥子ちゃん。
昨日の東京スカイツリー。
あほまろお帰りなさい。
夕べの夜の夕食の晩ご飯は、タケノコとじゃこおむすび。デザートは柿。
妻のコレクションは、八千代さんとエミリーちゃん。
MemoiPhone 17 ProMAX
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昨日は、第5回「浅草阿波おどり」が盛大に開催されました。
あほまろも夢中になってシャッターを切っていたら、いつの間にかものすごい枚数になってしまい、まだ写真の整理が追いついておりませんよ。
そんなわけで、今日はその中から一部だけを先に掲載しておきます。
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」の掛け声そのままに、踊り手も観客も一緒になって熱気に包まれた浅草六区。いつもの街が、この日ばかりは鳴り物の音と威勢の良い掛け声に包まれ、大いに盛り上がっておりました。
それでは、写真から伝わってくる浅草六区の賑わいを、どうぞご覧ください。。
MemoSONY α1 II
Sigma 20-200mm F3.5-6.3 DG