浅草寺西側の新奥山周辺では、長く続いていた大規模な改修工事もようやく一段落しました。工事中は囲いや資材が並び、毎朝歩いているあほまろでさえ、「ここはどこだったかな」と思ってしまうほど景色が変わっておりましたが、それもようやく落ち着き、新しい境内の姿にも少しずつ目が慣れてきたところです。
ところが、浅草寺の変化はこれで終わりではないようですよ。今度は境内の南側、二尊仏周辺も大きく姿を変えるようなのです。 この辺りには、長い年月を浅草寺とともに過ごしてきたイチョウの古木が何本も残っています。来週からは、この周辺の樹木の伐採が始まり、これまで木々に囲まれていた場所も、ずいぶん広々とした空間へ変わっていくようです。
写真に残してみると、普段は何気なく通り過ぎている一本一本の木にも、それぞれ違った表情があることに気づかされますね。
真っ直ぐ伸びている木もあれば、幹に深い傷を抱えながら、それでも枝を伸ばし、葉を茂らせている木もあります。
中でも、あほまろが気になっているのが、お地蔵さまの前に立つ古いイチョウです。
幹の内部には大きく黒く焼け焦げたような跡が残っています。
浅草は昭和20年3月10日の東京大空襲によって甚大な被害を受け、浅草寺の旧本堂をはじめ、多くの建物が焼失しました。境内やその周辺の樹木にも、その時代の傷跡を今に伝えているものがあります。
人間であれば、とても耐えられなかったであろう炎を受けながら、それでも枯れることなく、戦後の浅草を見つめ続けてきた木々があるのです。
あほまろは、この黒く残った幹を見るたびに、これは単なる傷ではなく、浅草が焼け野原だった時代から今日までをつないできた「生きた記憶」なのではないかと思ってしまうのですよ。
このイチョウも、今回の整備で伐採されてしまうのでしょうかね。
今のところ、あほまろには詳しいことは分かりません。
できることなら、歴史を背負った古木だけでも残してほしいと思うのですが、樹木にも寿命があり、内部の腐朽や倒木の危険など、外から眺めているだけでは分からない事情もあるのでしょう。
それでも、長年そこにあったものが姿を消すというのは、やはり寂しいものですね。
あほまろが毎朝歩いている浅草寺境内は、何十年も同じように見えて、実は少しずつ変わり続けています。昨日まで当たり前のように立っていた木が、ある朝突然なくなっている。
いつも写真を撮っていた場所が工事囲いの向こう側になっている。
逆に、長い工事が終わって囲いが外されると、そこには今まで見たことのない広い空が現れる。
そんなことを繰り返しながら、浅草寺境内も時代とともに姿を変えてきたのでしょう。
考えてみれば、あほまろが毎朝写真を撮り始めた頃の浅草と、今の浅草だって、ずいぶん違っています。
けれども、人間の記憶というものは案外いい加減なもので、「昔はどうだったかな」と思い出そうとしても、細かなところまではなかなか思い出せません。
そんな時、昔撮った一枚の写真を開くと、
「ああ、ここにはこんな木があったんだ」
「この頃は、こんな景色だったんだ」
と、忘れていた時間が突然よみがえってくるのです。
だからこそ、あほまろは変わってしまってから昔を惜しむのではなく、変わる前の姿をきちんと残しておきたいと思うのであります。
これから新しく生まれる風景も、同じように残しておかなくてはいけませんね。
今は「ずいぶん変わってしまったな」と寂しく感じる景色であっても、十年、二十年と時が流れれば、それもまた誰かにとって懐かしい浅草の風景になっているはずです。
古いものを残すことも歴史なら、新しいものが生まれる瞬間を記録することも歴史なのでしょう。
あほまろにできることは、そのどちらかを選ぶことではありません。古い木がまだそこに立っている朝も。
切られて広い空が現れた朝も。そして、その場所に新しい浅草の風景が生まれた朝も。
ただ黙ってカメラを向け、「この日の浅草は、こうだった」という証拠を未来へ残しておくことなのです。
建物も建て替えられます。
人だって、いつまでも同じ場所にいることはできません。
それでも写真の中には、その日の光も、空も、木々も、そしてそこで暮らした人々の時間も残ります。
そう思えば、毎朝同じ場所でシャッターを切り続けてきたことにも、少しくらい意味があったのかもしれませんね。
今日の写真も、今は何でもない境内の記録にしか見えないでしょう。
しかし何十年か後、この写真を見る人が、
「昔の浅草寺には、ここにこんな大きなイチョウが立っていたんだね」
そう言ってくれたなら、それで十分なのです
変わっていく浅草を嘆くだけではなく、変わっていくからこそ残しておく。
それもまた、浅草が時代とともに歩み続けている証なのでしょう。
そして、あほまろの朝の散歩も、そんな浅草の時間を拾い集める旅なのかもしれませんね。
「古木去り 広がる空も また歴史 惜しむシャッター 明日を写さん」(阿呆人也)
今朝の外気温は18℃でした。まだ大丈夫だろうと半袖で出かけたのですが、冷たい北風が吹いていたため、思った以上に寒かったですよ。
「これはたまらん、今日は早めに引き上げよう」と思っていたのですが、いつものハトたちの顔を見てしまうと、そう簡単には帰れません。寒さを堪えながらハトたちと遊んでいるうちに、結局いつものように開門まで居残ってしまいましたよ。
今日の午前中は雲が広がり、風もやや強いようですが、午後になると次第に晴れ間が戻ってくるようです。最高気温は25℃に届くか届かないかといったところで、日中は比較的過ごしやすい陽気になりそうですね。
とはいえ、早朝と日中の気温差が大きくなってきました。もう「まだ半袖でも大丈夫」などと強がっている季節ではありませんね。
明日からは気温にかかわらず、長袖を着て出かけることにいたしましょう。もっとも、寒くてもハトたちが待っていると思えば、あほまろの足はいつものように境内へ向かってしまうのでしょうけどね。
今朝の日の出は午前5時40分。平成中村座。
ハナカイドウの実。
十月桜。
境内をひと巡りしているうちに、いつの間にか日の出の時刻を迎えておりました。
とはいえ、今朝は厚い雲に覆われているため、朝日が顔を出すことはありません。それでも空は少しずつ明るさを増し、夜の色を残していた境内にも、ゆっくりと朝が降りてきましたよ。
本堂の灯りがまだ温かく輝く向こうには、東京スカイツリーの姿もくっきりと浮かんでおります。
日の出とは、必ずしも太陽が見えることではないのですね。
毎朝歩いていると、時計を見なくても、空の色や境内の灯りの変化で「ああ、今日も朝が来た」と感じる瞬間があるのです。
こうして浅草寺は、今朝も静かに新しい一日を迎えたのでありました。
日の出前に、ビクトリー君と遊んでくれたおねえさん。
本堂では、お二人並んで朝のお参りです。
よく見ると、男性が一歩前で、女性はその後ろから静かに手を合わせておりましたよ。
昔は「女は三歩下がって男の影を踏まず」なんて言葉もありましたが、今どきそんなことを言ったら叱られてしまいますね。
それでも、この写真だけを眺めていると、なぜかそんな古めかしい言葉を思い出してしまったあほまろなのでありました。
中村さん、おはようございます。
おはようございます。今朝は開門3分前にやって来た、野崎さんと高橋さん。
子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。
日本のナイチンゲールと称される瓜生岩子像。
そろそろ色づき始めるイロハモミジです。
定点観察を続けているソメイヨシノの木。あほまろは、風格ある幹や力強く伸びる枝ぶりはもちろんのこと、とりわけ葉の移ろいに心を惹かれております。
昨年から落ちることなく枝に残り続けている二枚の葉。これからもあほまろは毎朝逢いに来ますので、いつまでも頑張ってくださいね、
令和の大改修を終え、広々とした境内西広場。
お店の取り壊し作業が終わった伝法院通り。
あほまろは今日も秘密基地にて、「浅草は、朝が深い」の原稿書きに勤しみますよ。
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夕べの睡眠は75%でした。
おはようヒロちゃん。
今朝の朝の朝食は、ハムとチーズトースト。デザートは柿。
妻のコレクションは、レアちゃんとリボンちゃん。
昨日の東京スカイツリー。
二十年ほど前までは、わが家から遠く富士山を望むことができました。冬の空気が澄んだ朝などには、建物の向こうに富士山の白い姿がくっきりと浮かび、それを見るのも楽しみのひとつだったのですよ。
ところが次々と高いビルやマンションが建ち、富士山は少しずつ建物の陰へ隠れ、今ではまったく見えなくなってしまいました。
そして今度は、わが家の真裏でもホテルの建設工事が進んでおります。写真をご覧の通り、大きなクレーンが伸びて、工事現場では着々と建物の基礎が造られております。聞けば完成するホテルは15階建てで、わが家よりも高くなるとのこと。
これが完成したら、今まで見えていた空も、また少し狭くなってしまうのでしょうね。
二十年前には富士山が見えた。
その富士山が消え、今度は空まで少しずつ消えていく。
なんだか寂しい話ではありますが、ここは浅草、東京のど真ん中です。いつまでも昔と同じ眺めを望むほうが無理なのでしょう。
考えてみれば、街というものは生き物と同じで、古いものが姿を消し、新しいものが生まれながら、絶えず姿を変えていくものなのですね。
先ほど境内の古いイチョウを眺めながら、「昨日まであった風景が、明日には無くなってしまうかもしれない」と書きましたが、わが家の窓から見える景色も同じこと。
だからこそ、工事中のこんな光景も写真に残しておくことにいたしましょう。
二十年後、この写真を見ながら、
「そういえば、ここにホテルを建てていた頃もあったな」
と懐かしく思い出す日が来るかもしれませんからね。
もっともその頃のあほまろが、この景色を眺めているかどうかは分かりません。
それでも写真だけは、ちゃんと覚えていてくれるのですよ。
「富士山を 隠したビルを恨んだら 今度は裏で空を消し去る」
しゅと犬くん。
あほまろお帰りなさい。
夕べの夜の夕食の晩ご飯は、リホーム中なので、久しぶりに近所の寿司屋さんから出前一丁。
妻のコレクションは、ルナちゃんとマドンナちゃん。
MemoiPhone 17 ProMAX