令和8年(2026)9月27日(日)  旧暦8月17日 赤口
今朝の撮影 Data
Hasselblad X2DII  4/28V 2,5/55V
現像 Adobe Photoshop Lightroom CC
撮影枚数 XX枚
- 最北の 岬に立てば爺の声 白き道には旅友の影 -

 あほまろは、日本最北端の街・稚内で朝を迎えました。
 今朝の稚内は小雨模様。それでも、長年染みついた習慣というものは旅先でも変わらないようで、いつもの時間になると自然に目が覚めてしまいましたよ。

 せっかく最北の街で迎えた朝なのですから、ホテルの部屋でじっとしているのももったいありません。傘を手に外へ出て、高校生の頃に初めて稚内を訪れた日のことを思い出しながら、稚内駅から港へ向かい、北防波堤ドームなどを巡って、いつものように早朝散歩を楽しんでまいりました。

 あの頃のあほまろにとって、稚内はまさに「日本の果て」でした。列車に揺られて、はるばるたどり着いた最北の街。その稚内を、ずいぶん長い年月を経た今、再び早朝に歩いているのですから、人生というものは不思議なものですね。
 高校時代、この先も線路が続いておりましたが、すでに使われてませんでしたよ。

小雨に濡れた稚内駅。高校生の頃に初めて訪れた時の稚内駅前は、もっと人の気配があり、最北の街らしい独特の賑わいがあったように記憶しております。しかし今朝歩いてみると、人影もほとんどなく、雨に濡れた広い道路に信号の灯りだけが赤や緑に映り込んでおりました。

 駅のホームには、「最北端の線路」と書かれた看板が立っています。
「最南端から北へ、乗りつぐ線路はここが終点です。」
 そう書かれた看板の向こうには、線路の終わりが見えています。鉄道にとっては単なる終点なのでしょうが、雨に濡れた今朝の姿を眺めていると、どことなく看板まで寂しそうに見えてしまいましたよ。

 そして駅舎の中では、ベンチでは若者たちが横になって眠っておりました。どうやら、ここで一夜を過ごしたのでしょう。
 その姿を見た瞬間、あほまろは思わず高校生の頃の自分を思い出してしまいました。
 あの頃、列車に乗り遅れてしまい、行くところもなく、この稚内駅で一晩を過ごしたことがあったのです。今のような立派で明るい駅舎ではありません。当時は寒々とした木造駅舎で、夜ともなれば北の冷気が容赦なく入り込んできたものでした。
 それでも高校生のあほまろには、それすら旅の一部だったのでしょうね。寒かったことより、「日本のいちばん北まで来た」という興奮のほうが勝っていたような気がいたします。

 それから長い長い年月が過ぎました。
 今朝、同じ稚内駅で夜を明かした若者たちを見ながら、あほまろは、遠い昔の自分に出会ったような不思議な気持ちになりましたよ。
 もっとも、今の駅舎は立派なうえに暖房まで効いております。あほまろが高校生だった頃に比べれば、ずいぶん快適な「駅宿」でございますね。

 駅は新しくなり、街の姿も変わりました。しかし、旅の途中で列車に乗り遅れ、駅で朝を待つ若者だけは、昔も今も変わらないようです。 小雨の最北端で、そんな半世紀以上も昔の自分を思い出した、今朝のあほまろなのでありました。

 そして、稚内の港を象徴する建造物といえば、やはり「北防波堤ドーム」です。

 かつて稚内と樺太を結んでいた「稚泊航路」の発着場へ向かう人々や鉄道、道路を、宗谷湾から押し寄せる強い風や高波の飛沫から守るために造られた防波施設です。
 古代ギリシアの神殿を思わせる重厚な円柱が、海岸線に沿って緩やかな弧を描きながら延々と続いていく光景は、何度見ても圧倒されます。現在では稚内を代表する観光名所として整備されていますが、ここは単なる美しい建造物ではありません。

 この場所から多くの人々が樺太へ渡り、また樺太から帰ってきたのでしょうね。小雨に濡れた柱の間を歩いていると、今朝の静かな港の風景の向こうから、汽笛や列車の音、旅立つ人々の声まで聞こえてくるような気がいたしました。

 高校生だったあほまろが見上げた北防波堤ドームと、今朝のあほまろが見上げた北防波堤ドーム。
 建物は同じでも、見ているこちらだけが、ずいぶん歳を重ねてしまいましたね。

 最北の街の小雨は、そんな昔の記憶まで静かに濡らしてくれた朝なのでした。

 ここからは望めませんが、稚内港には、南極観測船「しらす」が停泊しておりましたよ。表紙の写真は、ホテルの窓からの眺めです。
 遠くから眺めるだけで、残念ながら近くまで行くことはできませんでしたが、今日は一般公開も予定されているようです。しかし、あほまろたちは旅の予定がありますので、せっかくの機会ながら見学することはできませんけどね。旅というものは、見たいものほど予定の合わないところに現れるようでございます。

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 さて、今日も「THE ROYAL EXPRESS」の旅は続きますよ。
 旅の二日目は、大雪山系の麓・上川町からロイヤルバスに乗り、宗谷本線の和寒駅へ向かいました。

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 和寒駅に到着すると、ホームでは大里氏が、見送りに集まってくださった町民のみなさんを前に、バイオリンを奏でておりました。
 青く輝くロイヤルエクスプレスの車体を背景に響くバイオリンの音色。小さな駅のホームが、ほんのひととき立派な演奏会場になったようでしたよ。

 そして、ロイヤルエクスプレスの車両で巡る北海道の旅も、今回が最後です。そのことをご存じなのでしょう、ホームには大勢のみなさんが集まり、列車が動き始めると、旗を大きく振って見送ってくださいました。

 車内から手を振り返す乗客たち。そして、列車が見えなくなるまで手を振り続けてくださる町のみなさん。
 列車というものは、ただ人を運ぶだけではないのですね。やって来る列車を待つ人がいて、去って行く列車を見送る人がいる。その一瞬の出会いもまた、鉄道の旅なのでしょう。

 あほまろは最後尾から、遠ざかっていく和寒駅を眺めました。

 沿線には、ロイヤルエクスプレスにレンズを向ける「撮り鉄」のみなさんの姿も見えましたよ。こちらは「乗り鉄」、向こうは「撮り鉄」。同じ列車を愛していても、片や車内から外を眺め、片や外から列車を追いかける。どちらが幸せなのかは分かりませんが、あほまろは冷暖房完備で食事まで出てくる「乗り鉄」で良かったと思っておりますけどね。

 車内では、いつも親切に接してくださるクルーのみなさんとも、ゆっくりお話をすることができました。
 この方々とも、この旅が終わればお別れなので寂しいですね。
 何度も乗っているうちに、乗客とクルーという関係を越えて、旅先で再会する顔なじみのようになっていた方々ですから、楽しく話をしながらも、「これが最後なのだな」と思うと、少し寂しさが込み上げてまいりますよね。

 そして、お待ちかねの昼食です。
 この日の昼食は、カボチャの産地として知られる和寒の名店「冬音」によるお料理でした。地元のカボチャを生かした料理が美しく盛り付けられ、車窓を流れる宗谷本線の風景を眺めながらいただく食事は、これもロイヤルエクスプレスならではの贅沢ですね。
 もっとも、「乗り鉄」のあほまろは料理ばかり眺めているわけにはまいりません。食事の途中でも車窓が気になって仕方がないのですよ。

「あっ、キマロキ・ヨだ!」
 昨年ここを訪れた時の記憶が、ぱっと蘇りましたよ。雪深い北海道で鉄路を守った巨大な排雪列車。その姿を今度はロイヤルエクスプレスの車窓から眺めることになるとは、鉄道好きにとっては、昔の知り合いに旅先で偶然再会したような気分でございました。

 さらに北へ、北へ。
 列車はやがて音威子府駅に到着し、ここで10分ほど停車しました。音威子府にも、あほまろには思い出があります。

 昨年、小説の取材のためにこの付近を訪れ、駅前の民宿に泊まり、音威子府の様々な方だたを取材したのでした。

 その時の記憶を辿りながら駅構内を歩いてみると、

 あの民宿の方が駅構内で音威子府そばのお店を再開しておりましたよ。
 昨年訪れた場所へ、今年はロイヤルエクスプレスで戻ってくる。そして、そこで懐かしい方と再び出会う。旅というものは、初めて見る景色だけが面白いのではありませんね。

 一度訪れた場所へ戻ってきた時、そこに自分の記憶が残っている。それを拾い直すのも、旅の楽しみなのでしょう。

 音威子府を発車すると、ロイヤルエクスプレスはいよいよ宗谷本線をさらに北へ進みます。車窓に広がる北海道の大地を眺めながら、列車は日本の最北へ、最北へ。

 条件に恵まれれば遠くに利尻富士の姿を望みながら、

 長い宗谷本線の旅も終盤を迎え、ついに終着の南稚内駅へ到着しました。

 しかし、今日の旅はまだ終わりません。南稚内駅から再びロイヤルバスに乗り込み、今度は日本最北端の地、宗谷岬へ向かったのでした。

 高校生の頃から、何度も北を目指して旅をしてきたあほまろですが、こうしてロイヤルエクスプレス最後の北海道の旅で再び最北の地へ向かっていると、若い頃から続いてきた長い「乗り鉄人生」の線路まで、少しずつ一本につながっていくような気がいたしましたよ。

「日本最北端の地」宗谷岬にやってまいりました。
 ここにもこれまで何度も訪れておりますが、岬に立って宗谷海峡の向こうを眺めるたび、あほまろにはいつも思い出す人がいるのです。それは祖父でした。
 空気の澄んだ日には、海の向こうに樺太、現在のサハリンを望むことができます。かつて南樺太が日本領だった時代、祖父は何度も樺太を訪れたことがあったそうです。

 子どもの頃、祖父は見慣れないロシアのお札などを取り出しては、遠い土地での出来事を話してくれたものでした。当時のあほまろには、それがどれほど遠い場所なのかも分からず、ただ珍しい外国のお札ばかり眺めていたように思います。

 それが今、自分自身が宗谷岬に立ち、その海の向こうを眺めているのです。祖父が語ってくれた昔話と、目の前の宗谷海峡が、長い年月を越えて一本につながっていくようでした。

 旅というものは不思議ですね。遠くへ行けば行くほど、昔の記憶へ近づいていくことがあるのです。
 そして旅が連れてきてくれるのは、昔の記憶ばかりではありません。新しい人とのご縁もまた、旅の大切な土産なのであります。

 杉浦ご夫婦とは、ロイヤルエクスプレス北海道ツアーで今回が三度目の「遭遇」となりました。あえて「再会」ではなく「遭遇」と書きたいところです。なにしろ旅好き同士というものは、約束をしたわけでもないのに、なぜか遠いところでまた顔を合わせてしまうのであります。

 原田ご夫婦とも、以前「四季島」などの鉄道旅でご一緒しました。
 最初は同じ列車に乗り合わせただけの人。それが二度、三度と旅先で顔を合わせ、いつの間にか名前を呼び合うようになり、気がつけば立派な旅仲間になっているのです。
 旅のご縁には、住所も肩書もあまり必要ありません。
「また、どこかの列車で」
 それだけで次の再会が成立してしまうところが、乗り鉄仲間のおもしろいところでしょうね。
 そんな仲間たちと記念写真を撮り、「日本最北端の地」を後にしました。

 ロイヤルエクスプレスと併走するロイヤルバス。ツアーの度に、その年の西暦のナンバープレートに取り替えているのでよ。

 そして向かったのが、ホタテの貝殻を砕いて敷き詰めた、宗谷丘陵の「白い道」です。夕暮れ時、白い道の向こうへ太陽が傾いていました。
 白く輝く道の両側には秋の草が風に揺れ、ススキの穂が夕陽を受けて金色に輝いております。まるで道そのものが夕陽へ続いているようでした。

 この景色を前にすると、誰でも少しくらい人生について考えたくなるものです。長い道を歩いてきて、曲がり角もあった。寄り道もした。時には道を間違えた。それでも振り返ってみれば、その全部が自分の歩いてきた一本の道なのでしょう。
 もっとも、あほまろの場合は歩くより列車に乗っている時間のほうが長かったような気もしますけどね。

 やがて日が沈み、最後に向かったのは稚内港北防波堤ドームでした。
そこでは、地元稚内の子どもたちによる、よさこいの歓迎が待っておりました。
 巨大な半アーチ形の防波堤の下に威勢の良い掛け声が響き、子どもたちが力いっぱい舞ってくれましたよ。

 朝から宗谷本線を北上し、日本最北端の宗谷岬に立ち、祖父の記憶を思い出し、旅仲間たちと笑い、白い道で夕陽を眺め、最後は子どもたちの元気な踊りに迎えられる――。
 なんとも贅沢な一日ではありませんか。旅の価値というものは、どれだけ遠くへ行ったかではなく、そこで何を思い出し、誰と出会い、何を心に持ち帰ることができたのかで決まるのかもしれません。
 宗谷岬から眺めた海の向こうには、祖父の記憶がありました。
 振り返れば、そこには今を一緒に旅している仲間たちがいました。
 そして夕陽の中には、まだこれから続いていく道がありました。
 今回がロイヤルエクスプレス車両で巡る北海道最後の旅と思えば、そんな何気ない景色のひとつひとつまで、いつも以上に胸へ残ってしまうのであります。

「最北の 岬に立てば 爺の声 白き道には 旅友の影」(阿呆人也)

 旅は終わりへ向かっていますが、旅で結ばれたご縁まで終着駅に着くわけではありません。むしろ、「またどこかで」から始まる次の旅が、もうどこかで待っているのでしょうね。

Memo
Hasselblad X2DII+XCD 4/28V
Hasselblad X2DII+XCD 2,5/55V
Leica M11P SAFARI