関東地方は今日も引き続き大気の状態が不安定です。
いつもの散歩の時間には小雨程度でしたので、傘を持って思い切って出かけることにしました。しかし、雨は弱まったかと思えば、また急に強くなるという繰り返し。これではのんびり開門を待っているわけにもいきませんので、今朝は開門を待たず、お盆のお参りだけを済ませて早々に戻ってまいりました。
昨夜ほどの激しい雨ではありませんでしたが、今日も雷を伴って非常に激しい雨の降るおそれがあるようです。現在も千葉県を中心に、大雨や土砂災害に関する警報が出ております。警報が出ている地域のみなさんは、傾斜地の近くや川沿い、低い土地など、危険が予想される場所には決して近づかないよう、くれぐれもお気をつけくださいね。
お盆でご先祖さまを迎える時期ですが、こちらまで危ない目に遭って、ご先祖さまのところへ出向いてしまっては洒落になりませんからね。
昨夜から今朝にかけて、千葉県は記録的な豪雨に見舞われました。
暖かく湿った空気の影響で線状降水帯が相次いで発生し、千葉市では24時間雨量が350ミリを超え、平年8月の降水量の3倍以上に相当する雨が一気に降ったとのことです。一時は大雨特別警報も発表され、鉄道や道路にも大きな影響が出ました。
そんなニュースの中で、あほまろが特に気になったのが、成田空港の様子でしたよ。
大雨によって電車やバスなどが運休し、なんと約6600人もの方々が帰宅できず、空港ターミナル内で一夜を明かしたそうです。ニュースの映像には、配られた金色の寝袋などに身を包み、床に横たわって夜を過ごす人たちの姿が映し出されておりました。
その光景を見た瞬間、あほまろの頭の中に、ずいぶん昔の記憶が蘇ってきたのでした。
「ああ、あほまろにも、こんな夜があったな……」
あれは昭和の終わり頃だったでしょうか。一人でオーストラリアから帰国した時のことでした。
真冬の日本を抜け出して、季節が反対の真夏のオーストラリアへ出かけたので、出発の際に着ていたセーターやコートなどの冬物は、空港まで送ってくれた会社の運転手に預けてしまったのです。
何しろ向こうは夏ですからね。
南半球へ行くのに分厚いコートを抱えて歩くのも邪魔だと思ったのでしょう。今なら「帰国した時に寒かったらどうするんだ」と考えるところですが、若い頃というものは、先のことより目の前の荷物が軽くなることの方が大切なのでございます。
ところが、帰国の日、日本は大雪でした。本来なら午前11時頃に成田空港へ到着する予定だった飛行機が大幅に遅れ、ようやく成田へ着いたのは午後8時頃でした。
やれやれ、やっと日本に帰ってきた。そう安心したのも束の間、外は大雪です。
高速道路は閉鎖され、鉄道などの交通機関も止まり、迎えの車が来ているのかどうかさえ分かりません。空港には同じように足止めされた人があふれ、ロビーの椅子など、とっくに満席でした。
そして、何より困ったのが、まだ携帯電話など無かった時代だったということですよ。今なら飛行機を降りた瞬間にスマートフォンを取り出して、
「着いたよ」「電車止まってる」「迎えはどこ?」などと簡単に連絡できます。
地図を見れば迎えの車がどこにいるかまで分かり、家族にはメッセージを送り、ニュースで交通情報を調べ、場合によってはホテルまでその場で予約できます。
しかし、当時はそんな魔法の板などありません。連絡を取りたければ、公衆電話です。
ところが、その公衆電話の前には長蛇の列。ようやく電話の順番が回ってきても、相手が家にいなければそれまでです。留守番電話があればまだましですが、こちらから「既読」が付いたかどうかなど知る由もありません。
今では返信が数分遅れただけで、「どうした?」「何かあった?」などと心配されますが、昔は数時間どころか、半日連絡が取れなくても普通でした。
考えてみれば、携帯電話のなかった時代というのは、「待つこと」が生活の一部だったのでしょうね。
「午後3時、雷門前で、」そう約束したら、それだけです。
途中で、「ごめん、5分遅れる」などという便利な連絡はできません。相手が来なくても待つ。15分待つ。30分待つ。一時間待つ。
それでも来なければ、「何かあったのかな……」と心配しながら、さらに待つ。
恋人同士なら、その待っている時間さえ恋愛の一部だったのかもしれませんけどね。
今なら5分も待たされたらスマートフォンを取り出し、「今どこ?」と送れば済む話です。
便利になった代わりに、人間は少々「待つ力」を失ってしまったのかもしれませんね。便利というものは不思議です。便利になる前には不便だと思っていなかったことまで、便利を知ってしまった途端、とんでもない不便だったことに気付かされるのでございます。
「待ち人を スマホも無しで待った頃 今じゃ電波を待っている世に」(阿呆人也)
さて、そんな昔の成田空港で、あほまろは途方に暮れておりました。
航空会社から毛布は配られましたが、何しろあほまろの服装は、真夏のオーストラリア仕様です。外は雪。身体は夏。成田は真冬。
一緒にオーストラリアから来た方々もこれほど季節感の食い違いを驚いたことでしょうね。
しかし、毛布一枚に包まってみても寒くて眠れません。椅子もありません。仕方なく、あほまろは毛布をまといながら、夜の空港ロビーをあちらへこちらへと歩き回っておりました。今思えば、かなり怪しい姿だったでしょうね。
ところが、人生というものは面白いもので、もう諦めかけていたその時でした。人混みの向こうから、見覚えのある顔がこちらへ近づいて来たのです。
なんと、会社の運転手でした。
「いた!」
あの時ほど、人間の顔を見て嬉しかったことはありませんよ。
彼の話によれば、飛行機の到着が大幅に遅れたおかげで、大雪がひどくなる午前中に成田までは来ることができたそうです。
ところが、飛行機が到着したとの案内があっても、空港ロビーは帰宅できない人々で大混雑。携帯電話もありませんから、お互いにどこにいるのか確認する方法もなく、ずっとあほまろを探し回ってくれていたのでした。
今なら、「到着ロビーの柱番号○番にいる」と送れば、ものの数分で会えるでしょう。
しかし、当時は人間そのものを目で探すしかなかったのです。運転手も探す。あほまろも彷徨う。
そして偶然、二人の動線が一点で交わった。
今ならGPSがやってくれることを、昔は「縁」がやってくれたのでしょうね。何はともあれ、預けてあったセーターやコートに着替えることができましたよ。
「ああ、暖かい。」
普段なら何でもない一枚のセーターが、あの夜ばかりは高級毛皮よりありがたく感じられましたよ。その後は暖房の効いた車の中で待機することができ、朝方にはようやく雪も降り止んだのでした。
道路には雪が積もっておりましたが、車の数が少なかったためでしょうか、帰り道は意外にも普段よりスムーズだった記憶があります。
雪のおかげで帰れなかったのに、雪のおかげで道が空いている。世の中というものは、まことに皮肉なものでございます。
それでも、あほまろは思いました。これが帰国した時で、本当に良かったとね。
もし、これから外国だったら。
もし、言葉も十分に通じない外国の空港で、同じような大雪や豪雨に遭い、飛行機も鉄道も止まり、迎えも来ず、携帯電話も無かったとしたら――。
考えただけでも心細くなりますよね。
世界は広いままなのに、通信だけは驚くほど近くなりましたよね。
昨夜、成田空港で一夜を明かした約6600人のみなさんも、さぞ心細い夜だったことでしょう。お盆の時期ですから、帰省や旅行の途中だった方、海外から帰ってきたばかりの方、これから旅立つ予定だった方など、それぞれに事情があったはずです。
それでも、手元のスマートフォンで家族に無事を知らせることができた人も多かったことでしょう。
「空港で泊まることになったけど、大丈夫だから」
そんな一言を送れるだけでも、本人にも、待っている家族にも、大きな安心になるはずです。
昭和のあの夜、成田空港を毛布一枚で彷徨っていたあほまろには、それさえできませんでした。
便利になった世の中を、ついつい「スマホばかり見て」と皮肉りたくなることもあります。電車の中でもスマホ。歩きながらスマホ。食事中もスマホ。
しかし、災害の夜になると、その小さな機械がどれほど心強いものなのかを改めて思い知らされますよ。
昔は人を信じて待ちました。今は電波を信じて待ちます。どちらが幸せなのか、あほまろには分かりません。
ただ、どれほど便利な時代になっても、雨を止めるアプリはまだありませんし、雪を溶かすボタンもありません。そして最後に頼りになるのは、やはり人なのでしょう。
あの雪の夜、人混みの中からあほまろを探し出してくれた会社の運転手の顔を、昨夜のニュースを見ながら久しぶりに思い出しました。
マートフォンもGPSも無かった時代。それでも人は、人を探してくれたのです。
不便ではありましたが、あの頃には、待つ時間の中に相手を思う時間もあったような気がいたします。
昨夜の豪雨で足止めされたみなさんが、どうか無事に朝を迎え、それぞれの目的地へ向かえていることを願っております。
そして、あほまろも昭和の終わり頃の雪の成田空港を思い出しながら、今朝はポケットのスマートフォンを、いつもより少しありがたいものに感じたのでした。
「雪の夜に 毛布まといて人を待つ スマホはなくとも縁は圏内」(阿呆人也)
世の中、便利になればなるほど、昔の不便が懐かしく思えるのも、人間の勝手なところですね。でも、あの夜だけは――。
スマートフォンがあったなら、絶対に使っていたでしょうね。
今朝も午前3時50分に家を出て、午前4時ちょうどに雷門前へ到着しました。
そこから仲見世を抜けるまで、およそ10分。宝蔵門前まで来ると、ウメちゃんママにスマホで「境内です。」とメッセージを送るのが、いつの間にか毎朝の日課となっております。
そのメッセージを受けたウメちゃんママは、あほまろの居場所に合わせて、境内へ入るコースを決めているようです。
やがて本堂前で落ち合い、一緒にお参りをして写真を撮り、それから浅草神社へお参りして、そこでいったんお別れします。
その後、あほまろは弁天山や銭塚不動尊などを巡りながら、本堂の周囲を三周します。そうしているうちに、アンズちゃんやクパちゃん、それに守護さんたちもやって来るのですよ。
やがて犬友や朝友のみなさんも次々と集まり、午前6時の開門を待って本堂にお参りを済ませ、それぞれの日常へと戻っていくのです。
誰かが時間や順番を決めたわけでもありません。それなのに、毎朝ほとんど同じ時間に、同じ場所で、同じ顔ぶれが自然と出会うようになりました。
そんな誰が決めたわけでもない「いつもの日課」から、あほまろの一日は始まるのです。
しかし、今朝ばかりは雨脚が次第に強くなりそうだったため、午前6時の開門を待たずに帰ることにしました。
長年続けている日課にも、ときにはこんなイレギュラーな朝もあるのですよ。
子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。
日本のナイチンゲールと称される瓜生岩子像。
あほまろは、変わりゆく浅草の姿を見つめながら、失われていく風景だけではなく、新たに生まれる風景もまた、未来へ伝えるべき大切な記録として写真に残し続けていきたいと思うのでございます。
あほまろは今日も秘密基地でダラダラ過ごしますよ。
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夕べの睡眠は87%でした。
おはようヒロちゃん。
今朝の朝の朝食は、久しぶりのトウモロコシとクロワッサン。デザートはブルーベリーとメロン。なぜか、八街の南京豆もあった。
妻のコレクションは、ツイギーちゃんとテラちゃん。
昨日の東京スカイツリー。
しゅと犬くん。
あほまろお帰りなさい。
夕べの夜の夕食の晩ご飯は、娘が買ってきた中華。シューマイと小籠包など。
妻のコレクションは、チリちゃんとユキちゃん。
MemoiPhone 17 ProMAX