今朝は天気予報が大外れとなり、思いがけない雨の朝となってしまいました。あほまろは曇りの予報を信じ、傘を持たずに出かけてしまったため、散歩の途中でかなり濡れてしまいましたよ。それでも、大切なレンズだけは何とか雨から守りながら、いつものコースを巡ってまいりました。
そんな折、ちょうど早朝犬友のウメちゃんがやって来て、「予備の傘がありますよ」とビニール傘を貸してくださいました。おかげで、その後は安心して散歩を続けることができました。ウメちゃん、ありがとうございました。
小雨に煙る境内を眺めているうちに、ふと、こんなことを思いました。
もし、歌川広重が雨の浅草寺を描いたとしたら、どのような作品になっていたのでしょう。
『名所江戸百景』で見せるような、画面いっぱいに鋭く斜めに走る無数の雨脚。藍の濃淡を巧みに用いた「藍ぼかし」で霞む境内。そして突然の雨に慌てて笠を押さえ、足早に行き交う人々の姿──。そんな躍動感あふれる情景が、一枚の錦絵として残されていたのかもしれませんね。
もっとも、あほまろが歩いていた早朝の境内には、参拝客の姿はほとんどありませんでした。そこで今回は、その静かな雨の浅草を題材に、生成AIの Adobe Firefly と ChatGPT を使って、「もし広重が現代の浅草を描いたら」というイメージをいろいろ試してみました。
どこまで江戸の浮世絵の雰囲気に近づけたのか、どうぞご覧になってください。
まず、こちらは今朝の情景写真です。
写真から生成AIの Adobe Firefly で、浮世絵風に加工してもらったらこのようになりましたが、浮世絵の雰囲気とはかけ離れた画像になってしまいましたよ。
そして、ChatGPT で創ると、良い雰囲気に仕上がりましたが、何か物足りなさが残りますよね。
最近は、街を歩いていても、雑誌を開いても、テレビやインターネットの広告を眺めても、生成AIによって作られた写真や映像を目にする機会が本当に増えましたね。初めて見た頃は、「とうとうここまで来たか」と驚かされたものですが、何枚も見続けているうちに、今度は別のことが気になり始めました。
確かに美しいのです。いや、美しすぎると言った方が正しいのでしょう。人物の肌は陶器のようになめらかで、髪の一本一本まで整い、光も影も計算し尽くされたように配置されています。しかし、その完璧さゆえに、どこか人形やプラスチック製品、あるいはCGを眺めているような不思議な違和感が残るのですよ。
それは、人間の目が意外にも「不完全さ」に慣れ親しんでいるからなのでしょうね。
現実の世界には、少し傾いた影もあれば、わずかに揺れる髪もあります。雨粒は一粒ごとに形が違い、朝霧の濃さも一定ではありません。人の顔だって左右対称ではなく、笑顔にも微妙な癖があります。そんな無数の「ゆらぎ」を、私たちの脳は長い年月をかけて「これが本物だ」と学習してきたのです。
だからこそ、あまりにも整いすぎた画像を見ると、「何か違う」と感じてしまうのでしょう。
もっとも、人間とは不思議なものであります。昔はカラー写真に違和感を覚えた人もいたでしょうし、テレビが白黒からカラーへ変わった時代にも、「色が付くなんて落ち着かない」と言う人がいたそうです。生成AIの画像も、見慣れてしまえば、それが当たり前の時代になるのかもしれませんね。
そんな話を先日、広告デザイナーをしている友人としておりました。
広告デザイナーという仕事は、単に美しいデザインを作る職業ではありません。商品の魅力をどう伝えるか、どんな人に届けるか、企業のブランドをどう育てるかまで考え抜き、「売れる仕組み」を形にする仕事なのです。
ところが近年は、紙媒体からデジタルへの移行に加え、生成AIや高性能なデザインツールの普及によって、企業が自社で広告を制作するケースが急速に増えました。そのうえ広告予算そのものも縮小傾向にあり、従来の制作業務だけでは仕事が成り立ちにくくなってしまったそうです。
「注文が本当に減ったよ。」
友人は苦笑いを浮かべながらそう話していましたが、その笑顔の奥には、時代の波にもまれる職人の寂しさが滲んでおりました。
実は、この悩みはプロカメラマンにも共通しているようです。
「きれいな写真を撮るだけ」なら、AIでもかなりのところまで再現できる時代になりました。商品写真やイメージカット、背景合成などは、これからますますAIへ置き換わっていくでしょう。
しかし、本当に写真の価値とは、そこだけなのでしょうか。写真とは、本来「その瞬間に、その場所へ立っていた証拠」でもあります。
冷たい朝の空気、蝉の声、雨の匂い、開門を待つ静寂、そして偶然出会った人や鳥たちとの小さな物語。それらはシャッターを押した人だけが知ることのできる時間であり、現場に立たなければ決して味わえない体験なのであります。
そして何より、二十数年間、一日も欠かさず歩き続けた浅草の朝の積み重ねだけは、どれほど優秀なAIであっても、一夜にして作り出すことはできないのであります。
毎朝同じ場所へ立ち、同じように見えて少しずつ変わる景色を見つめ続けること。それは写真を撮るというより、時代そのものを記録しているのかもしれません。
便利な時代になりました。AIはこれからも、私たちの暮らしを大きく変えていくことでしょう。
それでも、あほまろはこれからもAI画像に頼ることなく、自分の足で浅草を歩き、自分の目で見て、自分の心が動いた瞬間だけを写していきたいと思っております。
写真とは、機械が作る「美しさ」ではなく、人が積み重ねた「時間」を写すものなのですから。
「絵空事いくら巧みに描こうと 雨の匂いは写せぬAI」(阿呆人也)
あほまろは散歩の途中で足を踏み入れる観音裏広場。ここは特別な場所でございます。観光客の喧騒から少し離れ、季節の草花や鳥たちと静かに向き合えるこの場所では、慌ただしく流れていた時間が、ふっと緩やかにほどけていくような気がするのです。
毎朝の日記の題材も、この広場を歩きながら生まれることが少なくありません。
ねむの花はすっかり散ってしまいましたが、朝を迎えると葉は大きく開き、小雨に濡れながらも元気な姿を見せておりました。葉先に宿る無数の雨粒が、まるで小さな宝石を散りばめたように輝き、花の季節を終えたあとも、生命の息吹を静かに感じさせてくれました。
今朝の日の出は午前4時52分。
トックリバチ(ドロバチ類)が泥で作った巣の中にはすでに丸い穴が開き、無事に旅立っようですね。毎朝歩いている境内でも、まだまだ知らない小さな命の営みが隠れているものですよね。
雨に濡れたハナカイドウの実。
一年のうちで最も水を使う8月には、「水の日(8月1日)」と「水の週間(8月1日~7日)」が設けられています。これは、限りある水資源の大切さについて考え、一人ひとりが節水への意識を高めることを目的としているそうです。
そんなことを思いながら浅草寺の手水舎を眺めていると、龍神の口からは今日も飲料用の水道水が絶え間なく流れ続けておりました。もちろん、参拝者が心身を清めるための大切な水であり、衛生面を考えれば循環水ではなく水道水を使う理由も理解できます。
それでも、先日の地震で深刻な被害を受けた熊本のことを思うと、この清らかな水を少しでも届けてあげられたら……。そんなことを考えながら、龍神が吐き出す水の流れを、しばらく眺めていたあほまろなのでした。
梶原さん、おはようございます。今日は運転免許の更新ですね。まだまだお元気ですが、どうか油断なさらず、安全第一で行ってらしてください。免許証よりも梶原さんのお元気な笑顔が一番大切ですからね。
おはようございます。今朝は開門1分半前にやって来た、野崎さんと高橋さん。
益美さんも加わって、みなさんおはようございます。
子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。
日本のナイチンゲールと称される瓜生岩子像。
夏の境内をご覧下さい。
深い緑に包まれたイロハモミジ。
定点観察を続けているソメイヨシノの木。あほまろは、風格ある幹や力強く伸びる枝ぶりはもちろんのこと、とりわけ葉の移ろいに心を惹かれております。
このソメイヨシノには、昨年から一度も落ちることなく枝に残り続けている三枚の葉があるのです。今では新しく茂った深緑の葉にそっと覆われ、その存在に気づく人はほとんどおりません。
令和の大改修を終えた西広場。
お店の取り壊し作業が終わった伝法院通りでは、これから石垣や塀の補修工事が始まるようです。
あほまろは今日も秘密基地でダラダラ過ごしますよ。
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夕べの睡眠は85%でした。
おはようヒロちゃん。
今朝の朝の朝食は、久しぶりのトウモロコシとソーセージにバターパン。デザートはブルーベリーとスイカ。
妻のコレクションは、瘋癲のリリーさんとレアちゃん。
昨日は、浅草サンバカーニバルの報道説明会でした。
昨日の東京スカイツリー。
しゅと犬くん。
あほまろお帰りなさい。
夕べの夜の夕食の晩ご飯は、久しぶりのトウモロコシとクロワッサン。デザートはスイカ。
妻のコレクションは、音威子府の春さんと留さんの若い頃。
MemoiPhone 17 ProMAX