今朝もビクトリー君が、まるで「あほまろ、今日も運試しをしてみませんか」と言わんばかりに、おみくじ売り場へと誘導してくれましたよ。
先日引いたおみくじが「凶」だっただけに、あほまろとしては少々気が重く、「また凶が出たらどうしよう」と内心びくびくしておりました。しかし、ビクトリー君はそんな心配などどこ吹く風。おみくじ箱の上に飛び乗ったり、おみくじ筒の横を歩き回ったりしながら、「大丈夫、大丈夫」と励ましてくれているようにも見えたのでございました。
仕方なく――いや、ビクトリー君の熱心な営業活動に根負けし、老後の貴重な資金の中から、なけなしの100円玉をおみくじ箱へ投入して、おみくじを引いてみたのでした。
その結果は、第五十五番「吉」。
どうやら今回は、運の女神さまもビクトリー君の顔を立ててくださったようですね。
おみくじを広げると、当のビクトリー君は得意満面。まるで、「ほらね、僕の言うことを聞いて良かったでしょう」
とでも言いたげな表情で、お札をじっと眺めておりましたよ。
考えてみれば、鳩に案内されておみくじを引き、その結果に鳩が満足そうな顔をしている光景など、浅草寺広しといえども、そうそう見られるものではありません。もし鳩にも御利益の営業成績表があるのなら、今日のビクトリー君は間違いなく満点でしょうね。
もっとも、「吉」が出たからといって安心して怠けていては意味がありません。運というものは授かるものではなく、育てるもの。そんなことを考えながら歩き出したあほまろの後ろを、ビクトリー君は「次も任せてくださいよ」と言いたげに、得意そうな足取りでついて来るのでした。
おみくじは、本来、和歌や詩句を通して神仏のお告げを受け取るためのものです。そのため、そこに記されている漢詩や漢文は、神仏からの「ご神託」を格調高く表現したものであり、現代人には少々難解に感じられることもありますよね。
もっとも、添えられている現代語の運勢解説と照らし合わせて読むと、恋愛や失せ物、病気、商売などについて、何となくその意味を理解することができます。しかし、多くの方は「大吉だから良い」「凶だから悪い」と結果だけを見て満足してしまい、そこに込められた言葉をじっくり読み解こうとすることは少ないのではないでしょうか。
あほまろは、おみくじを単なる運試しとは考えておりません。おみくじを引くという行為は、「物事を始めるにあたり、まず神仏のご意思を仰ぐ」という、古くから伝わる信仰の作法のひとつだと思っております。
ですから、吉凶の結果に一喜一憂するのではなく、あほまろは偉そうに、そこに記された言葉を仏様からのメッセージとして受け止め、自らの心を見つめ直す機会として大切にしているのでございますよ。
東京ではすでに梅雨入りが発表されておりますが、暦の上では今日が「入梅(にゅうばい)」でございます。
「入梅」とは、梅の実が熟して黄色く色づく頃に雨季へ入ることから名付けられた雑節のひとつで、古くから梅雨入りの目安とされてきました。現代のように気象衛星も天気予報もなかった時代、人々は空の色や風の匂い、草木の変化を頼りに季節の移ろいを感じ取っていたのでございます。
特に農家にとって、梅雨入りの時期を知ることは田植えの日取りを決める重要な手掛かりでした。そこで江戸時代には、毎年の農作業に役立てるため、暦の上に「入梅」という節目が設けられたのでした。今ではスマートフォンひとつで週間予報が分かる時代ですが、先人たちは空を見上げ、大地の声に耳を傾けながら暮らしていたのですね。
もっとも、現代人は天気予報を見ても傘を忘れることがありますから、文明が進歩したからといって人間そのものが進歩したとは限らないようです。あほまろも、その典型かもしれませんけどね。
さて、この時期の花といえば、やはり紫陽花でしょう。
雨に濡れた紫陽花は、晴天の下で咲く花とは異なる美しさを見せてくれます。青や紫、桃色や白へと移ろう花色は、まるで梅雨空の気まぐれな表情を映しているかのようです。境内の片隅で静かに咲くその姿を眺めていると、雨の季節も悪くないと思えてくるのでございます。
しかし紫陽花には、美しさだけでは語れない歴史もあります。梅雨の頃は寒暖差が大きく、衛生環境も整っていなかった時代には病が流行し、多くの人々が命を落としました。そのため紫陽花は、亡くなった方へ手向ける花ともされ、流行病を鎮める願いを込めて寺院や墓地の周辺に植えられることもあったのです。
今でこそ「映える花」として人気を集めておりますが、その根底には、人々の祈りや悲しみ、そして再び立ち上がろうとする願いが秘められているのでしょうね。
浅草寺の境内にも紫陽花が咲いております。
あほまろは毎朝、その色づき具合や花の開き具合を眺めながら歩いております。誰かに頼まれたわけでもなく、学術的な調査をしているわけでもありません。ただ、毎日少しずつ変化する姿を記録し続けているのでございます。
考えてみれば、おみくじも紫陽花も似たようなものかもしれませんね。
おみくじは紙に書かれた言葉から神仏の意思を探り、紫陽花は花の色や咲き具合から季節の気配を読み取るもの。どちらも未来を占うものではなく、今の自分の心を映す鏡なのかもしれませんね。
先日まで固く閉じていた蕾が開き始めると、「もうそんな季節か」と感じ、雨に打たれながらも元気に咲いている姿を見ると、「もう少し頑張ってみるか」と思えてしまうのです。
年齢を重ねるにつれ、人は大きな出来事よりも、小さな変化に心を動かされるようになるのでしょう。 紫陽花の色づきを見て季節を知り、鳩たちと遊び、おみくじを引いて一喜一憂する。そんな何気ない毎日の積み重ねこそが、あほまろにとっての幸せなのかもしれませんね。
「紫陽花の 色を占い朝ごとに 吉か凶かと空を見上ぐる」(阿呆人也)
浅草寺の裏広場は、表の賑わいがまるで幻であったかのように、観光客の喧騒も届かぬ静寂に包まれた空間でございます。
あほまろにとっては、散歩の途中で足を踏み入れるネムの花咲く観音裏広場、忙しなく流れていた時間が、ふっと緩やかにほどけていくような、不思議な感覚に包まれるのです。
誰にも気づかれることなく、ただ静かに在り続ける風景――それこそが、この場所の何よりの魅力なのかもしれませんね。
今朝の日の出は午前4時24分。
アメリカデイゴの花が、いよいよ満開となりました。 燃えるような真紅の花を空へ向かって咲かせる姿は、まるで南国の太陽をそのまま閉じ込めたかのようですね。原産地は熱帯アメリカともいわれ、沖縄では「県花」のひとつとして親しまれ、「海紅豆(かいこうず)」の名でも知られております。
そのため、この花を眺めていると、青い海と白い砂浜、照りつける強い日差しを思い浮かべてしまうのでございます。
しかし、現実の浅草はというと、朝晩の気温は意外に低く、今朝も長袖が欲しくなるほどの肌寒さでした。そんな空気の中で、南国の情熱をそのまま纏ったようなアメリカデイゴが咲いている姿を見ると、どこか不思議な気持ちになってしまいますよ。
まるで真冬の北海道で浴衣姿の人を見かけたような、あるいは浅草演芸ホールの楽屋にフラダンサーが迷い込んだような、そんな場違いにも似た違和感を覚えてしまうのでございます。
もっとも、それは花にしてみれば余計なお世話なのでしょうね。
「ここに植えられたから咲いているだけですよ」
そんな声が聞こえてきそうです。
人間はつい、「この花はここにふさわしい」「あの花はあそこに似合う」などと勝手な理屈を付けたがります。
しかし植物たちは、与えられた場所で黙々と芽を出し、葉を広げ、そして季節が来れば花を咲かせるだけなのでございます。
そう考えると、南国の花が浅草の空の下で咲いている姿も、案外悪くないものですね。
朝の涼しい風に揺れるアメリカデイゴを眺めながら、あほまろは「花も人も、案外居場所というものは自分で決めるのではなく、与えられた場所で見つけていくものなのかもしれないな」と、そんなことを考えてしまったのでございました。
「南国の夢を咲かせるデイゴ花 浅草の風ちと寒かろう」(阿呆人也)
あほまろがのんびり写真を撮っている傍らで、ミツバチたちは一日の糧を求めて懸命に働いておりました。まったく、早起きなのはあほまろだけではなかったのでございますよ。
入梅の紫陽花。
ハナカイドウの小さな実。
まだ青く幼い実を指先でそっとつまんでみると、見た目の可愛らしさとは裏腹に、まるでガラス玉のような硬さに驚かされましたよ。春にはあれほど華やかな花を咲かせていた木が、今は静かに次の季節への準備を進めているのでございます。
この実も、これから夏の日差しを浴びながら少しずつ成長し、秋には鮮やかな赤色に色づいて、まるで小さなリンゴのような姿を見せてくれるのです。
毎朝眺めていると、その変化はあまりにもゆっくりで気付きにくいものですが、こうして季節ごとの姿を比べてみると、植物たちは確かに時を刻みながら生きているのだと実感させられますね。
春の花から初夏の実へ、そして秋の紅い果実へ――。ハナカイドウは今日も、黙って季節の移ろいを教えてくれているのでございました。
「花終えてやっと実りの歳となり わが身重ねる海棠の実に」(阿呆人也)
おはようございます。今朝は開門3分半前にやって来た、野崎さんと高橋さん。
おはよう益美さん。
「トウネズミモチ」の花が終わり実が膨らんで来ました。これからの季節は実の成長を楽しみつつ、秋から冬にかけての黒熟に備える期間となります。
イロハモミジは、境内に夏の勢いを感じさせる風景が広がってまいりましたよ。
定点観察を続けているソメイヨシノの木。あほまろはこの木の幹桜の葉が好きで、その様子を記録し続けているのでございます。
昨年から落ちることなく、新葉にそっと覆われながら、いまだに枝にしがみついているソメイヨシノの四枚の葉。新葉の下ですよ。
見慣れた風景が消えて広々とした境内野工事が続いており、瓜生岩子像や定点観察の場所には入れなく、寂しくなってしまいましたが、これもまた時の流れというものなのでしょうね。
あほまろは今日も秘密基地でダラダラ過ごしますよ。
-------------------------------------------------------
夕べの睡眠は90%でした。
おはようヒロちゃん。
今朝の朝の朝食は、肉と野菜とゆで卵にバタートースト。デザートはデコポン。
妻のコレクションは、八千代さんとペコちゃんに、利伊さん。
昨日の東京スカイツリー。
しゅと犬くん。
あほまろお帰りなさい。
夕べの夜の夕食の晩ご飯は、久しぶりに近所の寿司屋さんから出前一丁
妻のコレクションは、宇宙人のシルバーにイイベ。
MemoiPhone 17 ProMAX