今日も高気圧に覆われ、早朝の外気温は17℃。本来なら爽やかな散歩日和でございました。
ところが、あほまろの足には痛風の予兆が続いており、痛いというほどではないものの、どうにもすっきりしない足模様のまま、今朝も浅草寺境内をビクトリー君と一緒に歩いてまいりましたよ。
日中の東京は25℃まで上がる予報で、週末から来週前半にかけては、季節を先取りした暑さになるようです。三社祭は雨の心配こそ少なそうですが、あほまろの足元だけは、しばらく薄曇りのままかもしれませんね。
5月5日の「立夏」を過ぎ、浅草の街もすっかり初夏の装いとなってまいりましたよ。境内を吹き抜ける風には、どこか若葉の香りが混じり、「風薫る五月」という言葉を、肌で感じる季節になりましたね。
日の出も日に日に早まり、あほまろの早朝散歩も、ついこの前まで暗闇の中を手探りで歩いていたのが嘘のように、今では境内の隅々まで柔らかな朝の光に包まれておりますよ。
今日も朝から日差しが強まり、浅草寺の石畳には初夏の気配がじんわりと立ち上がっておりました。もっとも、元気なのは太陽ばかりで、あほまろの足だけは、痛風予備軍として相変わらず“梅雨入り前線停滞中”なのでございますけどね。
そんな境内で、毎年あほまろが密かに楽しみにしているのが、表紙に掲載したイチョウの定点観察なのですよ。
見上げると、若葉の間に小さなイチョウの実が、そっと膨らみ始めておりました。今月の初め頃から少しずつ姿を現し、今はまだ小粒で緑色。まるで翡翠の粒でもぶら下がっているような可愛らしさなのでございます。
けれども、この小さな実たちは、夏の強い陽射しを浴び、秋風に揺られながら、ゆっくりと黄色く熟してゆくのですね。そして晩秋には、ぽとりぽとりと地面に落ち、境内には独特の香りが漂い始める――。あの香りだけは、いくら「風薫る五月」が好きなあほまろでも、“風まで逃げ出す芳香”としか申せませんけどね。
それでも、春から秋へ、季節の歩みを静かに教えてくれるイチョウの姿は、あほまろにとって毎年欠かすことのできない風景なのです。
イチョウには「雄木」と「雌木」があり、実をつけるのは雌木だけ。しかし困ったことに、見た目だけではなかなか判別がつかないのでございます。
しかも、近くに受粉を助ける雄木が無ければ、雌木であっても実はならないのです。一昨年、あほまろが定点観察を続けているこのイチョウに実がほとんど成らなかった年がありました。
あの時は、「もしや周囲の雄木が大胆に剪定されてしまった影響では…」などと、境内の木々の恋愛事情にまで首を突っ込んで考えてしまいましたよ。
あるいは、大豊作の翌年に実付きが悪くなる「隔年結果(かくねんけっか)」だったのかもしれません。人間も木も、頑張りすぎた翌年は少し休みたくなるのでしょうね。もっとも、あほまろの場合は毎年休みたがっておりますけど。
さらにイチョウは、開花期である4〜5月の雨不足や、低温、高温などの気候にも左右されるそうです。自然というものは、黙って立っている木でさえ、その年ごとの空や風と相談しながら生きているのですね。
そして驚いたことに、イチョウは非常に稀ではありますが、雌木が雄木に、あるいは雄木が雌木に“性転換”することもあるのだとか。
なんとも現代的なお話ですが、毎年律儀に実をつけてくれるこの木は、どうやら変わらず“雌木人生”を歩んでいるようですよ。
境内の片隅で、小さな実を揺らしながら季節を刻み続けるイチョウ。そんな姿を眺めていると、あほまろもまた、毎朝こうして同じ場所を歩き続けることで、自分自身の季節を確かめているのかもしれませんね。
「若緑 実りの秋を夢に見て 風に揺られる銀杏の小粒」(阿呆人也)
初夏の爽やかさと足元の不安も詠んでみました。
「風薫る境内歩く老いの足 育つ銀杏育つな痛風」(阿呆人也)
銀杏は育ってよし、痛風は育たず散ってよし、でございますからね。
三社祭は、今週15日(金)〜17日(日)ですよ。
浅草寺の裏広場は、表のあの賑わいがまるで幻であったかのように、観光客の喧騒も届かぬ静寂に包まれた空間でございます。
あほまろにとっては、散歩の途中にふと足を止め、心を休める大切なくつろぎの場所なのです。
今朝の日の出は午前4時39分。
境内のハナカイドウも、花の季節を終え、小さな実を静かに結び始めておりましたよ。
春には、あれほど華やかに咲き誇り、参拝客たちの目を楽しませてくれていた花たちも、いまは役目を終えたように花びらを落とし、その代わりに枝先には、小さな命の粒が揺れているのでございます。
まだ青く、米粒ほどの可愛らしい実ですが、これもまた季節が確かに前へ進んでいる証なのですね。
満開の頃には、「きれいですね」と足を止めていた人々も、実を付け始めた今の姿には、あまり気づかないかもしれません。しかし、あほまろは思うのです。本当に大切なのは、花が散った後にも、こうして次の季節へ向かって黙々と生きている姿なのではないかと。
人もまた同じなのでしょうね。若い頃の“花”ばかりを懐かしむのではなく、その後にどんな実を結ぶのかが、本当の生き方なのかもしれません。
もっとも、あほまろの場合は、実より先に痛風の芽ばかり育って困っておりますけどね。
「咲くよりも 実る姿に味がある 若さも老いも春のあと先」(阿呆人也)
おはよう、ビクトリー君。
今朝は、あほまろがビクトリー君と遊んでいるところへ、アメリカからやって来たご家族が声をかけてくださいましたよ。どうやら、早朝の浅草寺で舞うビクトリー君の姿が、とても珍しく映ったのでしょうね。
みなさん揃って笑顔になり、ビクトリー君を囲んで記念撮影が始まりました。いつもなら気まぐれに飛び回るビクトリー君ですが、今朝はまるで“浅草観光大使”にでもなったつもりなのか、おとなしく写真に収まっておりましたよ。
きっとこのご家族にとって、浅草の朝の静けさや、まだ人影まばらな境内の空気とともに、背中にV字模様を背負った一羽のハトのことも、日本旅行の忘れられない思い出として心に刻まれるのでしょうね。
あほまろも、その光景を眺めながら、「言葉が通じなくても、笑顔とハトは世界共通なのだな」と、妙に納得してしまいましたよ。もっとも、ビクトリー君のほうは、“モデル料は豆で”と、思っていたのかもしれませんけどね。
若い女性もビクトリー君の舞姿を見ておりましたよ。
今やビクトリー君は、浅草寺境内の人気者なのでございます。
早朝の静かな境内を軽やかに舞い、ときには参拝客のそばへ近寄り、ときにはあほまろの後をついて歩くその姿に、みなさん自然と笑顔になってしまうのですよ。
背中のV字模様もすっかりお馴染みとなり、「あ、あのハトだ」と声を掛けられることも増えてまいりました。観光客のカメラに収まることも多く、もしかするとビクトリー君本人も、自分が“浅草の顔”のひとりだと気付いているのかもしれませんね。
今朝は、北海道からいらっしゃった観光客の方も、ビクトリー君の姿を見つけて、楽しそうに写真を撮ってくださいましたよ。
人懐っこく佇むビクトリー君は、まるで浅草寺境内の案内役。観光で訪れたみなさんにとっても、早朝の浅草で出会った小さな人気者として、きっと旅の思い出の一枚になったことでしょうね。
それにしても、全国から観光客を集める浅草寺で、まさか一羽のハトが“撮られる側”になるとは、本人も思っていなかったかもしれません。もっとも、ビクトリー君はすっかりモデル気分で、「次は横顔も撮ってくださいね」とでも言いたげな表情をしておりましたよ。
おはようございます。今朝は開門3分前にやって来た、野崎さんと高橋さん。
子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。
奥山の奥に移動された「日本のナイチンゲール」と称される瓜生岩子像。
初夏の境内をご覧下さい。
境内の紫陽花が、ほんのりと色づき始めてまいりましたよ。
まだ咲き始めたばかりで、緑の中に淡い紅を差した程度ではありますが、その控えめな彩りに、もうすぐ訪れる梅雨の気配を感じるのでございます。
桜や藤のような華やかさとは違い、紫陽花は雨の季節を静かに受け入れながら、ゆっくりと色を深めていく花。まるで人生の年輪のように、日を追うごとに表情を変えてゆくのが魅力なのですよね。
開花し始めた「トウネズミモチ」
イロハモミジは見事に若葉を広げ、初夏の勢いを感じさせております。
定点観察を続けているソメイヨシノの木。あほまろはこの木の幹桜がことのほか好きで、散ってもなお、その様子を見届けているのでございます。
昨年から落ちることなく、新葉にそっと覆われながら、いまだに枝にしがみついているソメイヨシノの四枚の葉。新葉の下で存在を確認できましたよ。
「散りそびれ 時の流れに 抗(あらが)いて 幹しがみつく 意地の四枚葉」(阿呆人也)
広々とした境内。見慣れた風景が消えて、寂しくなってしまいましたが、これもまた時の流れというものなのでしょうね。
「移ろえば 残るものさえ遠くなり 時の無情を噛みしめて立つ」(阿呆人也)
あほまろは今日も秘密基地でダラダラ過ごしますよ。
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夕べの睡眠は88%でした。
おはようヒロちゃん。
今朝の朝の朝食は、豚汁にチーズパン。デザートはデコポン。
妻のコレクションは、サンバさんと千草ちゃん。
昨日の東京スカイツリー。
しゅと犬くん。
あほまろお帰りなさい。
あほまろが横になると、くっついてくるのですよ。
夕べの夜の夕食の晩ご飯は、タケノコご飯。デザートはデコポン。
妻のコレクションは、クルマスキーちゃんと祥子ちゃん。
MemoiPhone 16 ProMAX