令和8年(2026)8月12日(水)  旧暦6月30日 大安
今朝の撮影 Data
SONY α1 II
Sigma 20-200mm F3.5-6.3 DG
iPhone 17 Pro Max
現像 Adobe Photoshop Lightroom CC
撮影枚数 189枚
- 雨の「茜雲忌」と、妻の誕生日 -

 関東から東北の太平洋側では、台風15号が運び込んだ暖かく湿った空気の影響が残り、雨の降りやすい天気が続いております。
 台風というものは、通り過ぎれば「はい、それでは失礼いたします」と、風呂敷でも畳んで静かに帰ってくれるものではありません。本人は立ち去ったつもりでも、置き土産だけはしっかり残していくのです。
 今回の置き土産は、たっぷりの湿気と雨でした。

 今朝も空はどんよりと重く、雨は降ったり弱まったりを繰り返しておりました。気温そのものはそれほど高くなくても、台風が連れてきた暖かく湿った空気のおかげで、肌にはじっとりとまとわりつくような蒸し暑さが残っております。
 あほまろは毎朝の散歩を欠かしませんが、さすがに今朝は、いつもの時間に飛び出す気にはなれませんでした。
 窓の外を眺めながら、
「もう少し弱くなってからにするか……」
 と、雨脚が弱まるのを待って出かけたのでした。
 ところが、雨というものは人間の都合など聞いてくれません。
 小雨になったのを見計らって出かけたというのに、浅草寺の本堂前までやって来たところで、まるで空の底が抜けたかのような猛烈な雨になってしまったのです。
 ザアーッ、どころではありません。バシャバシャ、ドドドド……。
 そんな擬音を全部まとめても足りないほどの雨でしたよ。傘を差してはおりましたが、あれほど激しく降られてしまうと、傘というものは「雨に濡れないための道具」ではなく、単なる「濡れている本人が持っている飾り」に成り下がってしまいます。 上から降る雨は防げても、横殴りの雨には勝てません。足元では跳ね返った雨水がズボンを濡らし、気がつけば頭のてっぺん以外は、ほとんどずぶ濡れになっておりましたよ。

 それでも、雨に煙る浅草寺の境内には、晴れた朝とはまったく違う趣があります。
 濡れた石畳には堂宇の灯りが映り込み、宝蔵門も五重塔も、雨の幕の向こうにぼんやりと浮かんでおります。普段なら観光客で賑わう境内も、激しい雨の早朝となれば人影もまばらです。
 雨音だけが境内いっぱいに響き渡り、まるで浅草寺そのものが静かに呼吸しているようにも感じられました。
 しかし、風情があるからといって、いつまでもずぶ濡れになって眺めているわけにもいきません。

 毎朝の散歩は大切ですが、豪雨と意地比べをしたところで、あほまろに勝ち目などありませんからね。
「今日は、このくらいで勘弁してやろう」
 と、誰に向かって言うでもなく、浅草寺の開門を待たずに早々と引き揚げてまいりました。
 負けたのはこちらなのに、「勘弁してやろう」と言えるところが、人間の便利なところなのでございます。

 こんな朝でも、雷門には観光客がいらっしゃいましたよ。台風が去っても居残った雨ですが、せっかく浅草まで来た観光客まで追い返すことはできなかったようですね。雨の雷門も、また旅の思い出なのでしょう。

 そして、今日、8月12日は、あほまろにとって雨以上に忘れることのできない日でもあります。
 1985年(昭和60年)8月12日、日本航空123便が群馬県多野郡上野村の山中に墜落しました。
 乗員乗客524人のうち520人が亡くなった、単独機としては世界でも類を見ないほど多くの犠牲者を出した航空事故でした。 今年で、あの日から41年になります。
 8月12日は「航空安全の日」とされ、また「茜雲忌(あかねぐもき)」とも呼ばれております。

 「茜雲忌」という美しくも悲しい響きを持つ呼び名は、事故の遺族らでつくる「8・12連絡会」が編集したメッセージ集『茜雲』に由来するとされています。
「茜色に染まる夕空。」
 本来ならば一日の終わりを穏やかに告げる美しい色ですが、この日ばかりは、その茜色の向こうに帰ることのできなかった人々の姿を思わずにはいられません。
 あほまろにとっても、決して歴史上の出来事だけではありませんでした。あの事故では、あほまろの友人と知り合いも犠牲になりました。
 ですから、毎年8月12日を迎えると、41年前の出来事が単なる昔話ではなく、突然、昨日のことのようによみがえってくるのです。

 人間の記憶というものは不思議なものですよね。昨日の夕飯に何を食べたのかは忘れてしまうのに、何十年も前の悲しい出来事だけは、消えてくれません。
 むしろ年を重ねるほど、その記憶の輪郭が濃くなっていくことさえあります。
 今朝、激しい雨の浅草寺で、あほまろは静かに手を合わせました。  屋根を叩く雨音。
 石畳を打つ雨音。
 樋から勢いよく落ちる雨水。
 境内を包むすべての音が、今朝だけは読経のようにも聞こえてきました。
「どうか、安らかに」
 そう願いながら、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りしたのでありました。

 群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」でも、今年も遺族や関係者による慰霊登山や追悼の行事が行われ、520人の犠牲者を悼むとともに、二度と同じ悲劇を繰り返さないよう、空の安全への誓いが新たにされていることでしょう。

 事故から41年。当時を直接知らない世代も増えました。
 だからこそ、記憶を伝えていくことには意味があるのでしょう。事故というものは、数字だけになってしまった瞬間から風化が始まります。
「520人」という数字の一人ひとりに名前があり、家族があり、帰るはずだった家があり、その晩の予定があり、明日の約束があったのです。
 それを忘れないことこそ、残された者にできる小さな供養なのかもしれません。

 ところが、8月12日は、あほまろの家では悲しい記憶だけの日ではありません。
 もうひとつ、絶対に忘れてはいけない大切な日なのでございます。
 妻の誕生日なのです。
 これは忘れたら大変ですよ。航空安全の日を忘れるのもいけませんが、妻の誕生日を忘れれば、わが家の安全にも重大な影響を及ぼしかねませんからね。

 今夜は子どもたちも戻って来るので、久しぶりに家族そろって誕生日を祝ってあげる予定です。
 考えてみれば、不思議な巡り合わせです。同じ8月12日という一日の中に、大勢の方々を悼む祈りがあり、一方では一人の人間がこの世に生まれてきたことを喜ぶ祝いがあります。
 人の世というものは、悲しい日と嬉しい日を別々の暦に分けてはくれません。どこかで誰かが泣いている日に、別の場所では赤ちゃんが生まれます。
 誰かとの別れを惜しむその日に、誰かとの新しい出会いがあります。そして、亡くなった人を思い出しながら、生きている人の誕生日を祝う。
 一見すると矛盾しているようですが、それこそが人間の暮らしなのかもしれませんね。

 今朝、あほまろは浅草寺で亡くなった方々に手を合わせました。
 そして今夜は、家族そろって妻の誕生日を祝います。
「生きている」ということは、きっと、そういうことなのでしょう。
 亡くなった方を忘れず、今そばにいる人を大切にする。過ぎ去った年月を数えながら、これから迎える一年を祝う。
 そう考えると、誕生日というものも、ただ年齢が一つ増えるだけの日ではありませんね。

 若い頃なら、
「また一つ年を取ってしまった」
 などと嘆いたものですが、ある程度の年齢になれば、一年を無事に重ねられたこと自体がお祝いなのでございます。
 まして夫婦そろって年齢を重ねられるのであれば、それはなかなかありがたいことです。
 もっとも、
「おたがい幾つになっても、年を撮るのは嬉しいものです」
 と書いてしまったら、これは写真好きのあほまろらしい誤変換ですね。
「年を取る」より「年を撮る」。
 毎朝カメラを持って浅草を歩いているあほまろには、むしろこちらのほうが似合っているのかもしれませんね。

「歳ひとつ 取るよりわれは撮っておく 妻の笑顔と雨の浅草」(阿呆人也)

 子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。

。

 日本のナイチンゲールと称される瓜生岩子像。

 雨の境内をご覧下さい。

 お店の取り壊し作業が終わった伝法院通りでは、これから石垣や塀の補修工事が始まるのです。

 あほまろは今日も秘密基地でダラダラ過ごしますよ。

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 おはようヒロちゃん。

 玄関で雨に濡れたあほまろを待っててくれました。

 今朝の朝の朝食は、野菜とブルーベリーを入れた玉子焼きにクロワッサン。

 妻のコレクションは、ジョルジャさんと大谷真美子さん。

 ソフトバンクよりお父さんグッズが届きました。

 昨日の東京スカイツリー。

 あほまろお帰りなさい。

 夕べの夜の夕食の晩ご飯は、炊き込みごはん。デザートはメロンとブドウの豪華版。

 妻のコレクションは、のぞみちゃんとこまちちゃん。

Memo
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