令和7年(2025)9月12日(金)旧暦7月21日 先負
今朝の撮影 Data SONY α1-2 SONY FE 24-240mm/F3.5-6.3 OSS iPhone 16ProMAX 現像 Adobe PhotoshopLightroomCC 撮影枚数xx枚
- 葉は散るも 粘る心は見上げたり 人は散り際 みな醜しや -
あほまろの通風の発作も、ようやく小康状態を迎えましたよ。 しかしながら、今朝はあいにくの雨予報。これでは無理せずに、いつもの早朝散歩は断念するほかありません。毎朝、境内を歩きながら移ろう自然を記録し続けてきたあほまろにとって、散歩の中断はちょっとした人生のブランクのようなもの。通風という厄介な訪問者のおかげで、しばらくは“定点観察”もお休みとなってしまったのですからね。 それでも、気にかかる存在がひとつだけあったのです。それは、昨年から枯れてもまだ枝にしがみつき、いまだ散らずに頑張っていた一枚のソメイヨシノの葉。その葉の姿は、あほまろの怠惰を叱咤するかのように、「まだ散らんぞ、どうだ参ったか」とでも言いたげでしたよ。ところが、その最後の勇姿を確認してくれたのは9月2日の益美さんでした。そして今朝、再び益美さんが訪れると、残念ながら、ついに地に帰っていたとのことでしたよ。 9月2日の一枚の葉。 あほまろの胸には、ひとひらの悲しみが広がりましたよ。枯れてなお、一年以上も幹にしがみつき続けたその意地と根性に、ただただ感謝の念を覚えるのです。人生において「粘る」ことが美徳とされるのは、こうした葉っぱから学ぶものなのかもしれませんね。いやはや、人間より葉のほうがよほど根性があるのかも。皮肉な話ですよ。 今朝の写真は、ウメちゃんママが送ってくれました。 だからこそ、これからはあほまろ自身が“定点観察”にしがみつき、あの葉の意志を継いでやらなければならないと決意を新たにしたのでございます。 去ってしまった一葉とともに、あのころの狂歌ともお別れですね。 「散りそびれ 時の流れに 抗(あらが)いて 幹しがみつく ひとひらの意地」 (阿呆人也) この一首を胸に刻みつつ、葉の不屈の姿勢を見習いながら、あほまろはまた新しい詩を紡いでいこうと思いますよ。 「葉は散るも 粘る心は 見上げたり 人は散り際 みな醜(みにく)しや」(阿呆人也) 葉っぱは枯れてなお美しく枝にしがみつくのに、人間はどうも散り際が潔くないものだと、あほまろの観察眼を少々毒舌気味に捧げてあげましよう。 雨上がりの浅草寺境内。なんと静謐で、なんと幻想的な光景なのでしょう。 濡れた石畳は、月の代わりに街灯や灯明の光を映し込み、まるで大きな鏡のように輝いております。人影のない参道は、時が止まったかのようで、ただ本堂の大きな闇と提灯の朱だけが呼吸をしているようですね。 あほまろは思いましたよ。雨はすべてを洗い流すもの。煩わしき埃も、積もった思念も、静かに流し去り、ただ「清められた余白」を残してくれる。雨上がりの境内に立つと、人間の喧騒など、いかに小さなものかを思い知らされるようです。 浅草神社の境内。雨上がりの早朝、木々の緑がしっとりと濡れ、社殿や鳥居の静かな佇まいが、まるで夢の一頁のように浮かび上がっていますね。 あほまろにとって、この境内はただの通い道ではなく、数えきれない思い出の舞台。ナナちゃんとヒロちゃんの物語、キョエちゃん親子の声、そして季節ごとの祭りや人の賑わい……それらがすべて、この石畳に刻み込まれているのですからね。 ふと、境内の片隅に植えられた稲のことを思い出しました。あの小さな田んぼ、夏には青々と育ち、秋には黄金色に染まる姿を見せてくれましたね。きっと今ごろは、雨粒を宿した稲穂が、月明かりの下でささやき合っていることでしょう。 「今年もここまで育ったぞ」「実りの日は近いぞ」と。早く、逢いたいな・・・。 人は米に生かされ、米は人の祈りに応える。浅草の真ん中にあるその小さな稲作は、昔と今をつなぐ象徴のようで、あほまろの心にも強く響くのです。 「雨しずく 稲に映りて 光抱く 小さき田にも 豊穣の夢」(阿呆人也) 今朝も、早朝のみなさんはいらしていたのですね。守護さん、ホッタイモイジルナ? 「雨しずく 石に残りて 光抱く 闇の伽藍は 夢を映せり」(阿呆人也) ここから開門までの写真は、益美さんが送ってくれました。 おはようございます。野崎さんと高橋さんがやって来て、定点カメラに向かって手を振ってくれましたが、ごめんなさん、この時間、あほまろは寝てしまいましたよ。 早朝参拝のみなさんも秋雨前線の長居に付き合わされ、なかなか骨が折れるものでしょうね。雨音に包まれる境内も風情があるとはいえ、やはり、あほまろの心と足は、久しく石畳の感触を恋しがっているのですよ。 明日はようやく雨雲が道を譲ってくれるとのことなので、久方ぶりに早朝散歩へと出かけようと思います。ようやく現実が見られることに、胸の奥にぽっと小さな灯がともるような気持ちになっているのです。 長雨の間にどれだけ境内の景色が変わったのか、木々はどんな表情を見せてくれるのか、そして、鳩たちは「おや、やっと戻ってきたか」と歓迎してくれるのか。すべてが楽しみでなりません。 歩けることの喜びは、何度も失いかけてからこそ深く味わえるもの。だからこそ、明日の一歩一歩は、まるで「再会の握手」のように石畳に響くことでしょう。 「雨明けて 石畳にも 再会す 足音軽き 朝のよろこび」(阿呆人也) 子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。 日本のナイチンゲール、瓜生岩子像。 おはようミーちゃん。 あほまろは明日から散歩を再開しますが、忘れられてませんよね。 ------------------------------------------------------- 夕べの睡眠は95%でした。 おはようヒロちゃん。 あまえんぼう。 今朝の朝の朝食は、野菜とハムチーズサンド。デザートはピレエネ。 妻のコレクションは、さくらさんとツィギーちゃん。 昨日の東京スカイツリー。 しゅと犬くん。 あほまろお帰りなさい。 夕べの夜の夕食の晩ご飯は、肉まん。デザートは無し。 妻のコレクションは、俊子さんと八千代さん。 Memo iPhone 16 ProMAX