令和7年(2025)6月7日(土)旧暦5月12日 仏滅
今朝の撮影 Data SONY α1-2 SONY FE 24-240mm/F3.5-6.3 OSS iPhone 16ProMAX 現像 Adobe PhotoshopLightroomCC 撮影枚数616枚
- 今日もまた小さな命たちの物語に彩られました。 -
今朝の浅草神社。 あほまろが境内に足を踏み入れると、あのキョエちゃんが、屋根の上からじっとあほまろを見下ろしておりましたよね。 あほまろを待っていてくれたのでしょうか。いや、もしかすると「今日も来たわね、遅かったじゃない」とでも言いたげな顔。 それにしても、その姿がすっかり変わってしまったことには驚きますよ。 かつては甘えん坊で、ママの影からチョコチョコと顔を出しては、羽ばたく真似事をしていた小さなキョエちゃんが、今ではすっかり母の顔になったのです。 その目は鋭く、それでいてどこか遠くを見据えるような覚悟を宿しておりました。育児は、それだけで立派な修行なのですね。 痩せたのか、締まったのか、とにかく精悍な顔つきになったキョエちゃんは、まるで忍者のようにあほまろの先回りをしながら高いところを渡り歩いていましたよ。 今朝は、どこで見つけてきたのか、口にくわえてきたのは……ヤモリ? あるいはトカゲの一種でしょうか。 それを神社の御神田で口から出して、水場で丁寧に洗い始めたのですよ。まるで料理番組の一幕のように、素材を清めてから調理に入る、そんな所作。 「我が子には、清潔で栄養のあるものを」とでも思っているのでしょうか。いやはや、見習わねばなりませんね。 子育てというのは、人間だけでなく、すべての生きものに与えられた尊い営み。 羽根の下に未来を抱えながら、今日もあちらこちらへと飛び回るキョエちゃん。 その小さな体で、大きな責任を抱いて生きる姿には、自然と頭が下がりましたよ。 やがて、キョエちゃんの子どもたちも、空を翔ける日が来るでしょう。 その日が来たら、あほまろにちょっとだけでいいから、お披露目してくれませんかね。境内の空に、親子で舞う姿を見せてくれたら、きっとそれだけで、今日一日が良い日だったと思えるのです。 あほまろは、そんな朝を、ただじっと見つめながら、今日もまた静かにキョエちゃんの姿を記録に収めたのでありました。 今日も高気圧に覆われ、昼間は晴れて強い日差しが照りつけ、気温は30℃前後まで上がる予想です。湿度はそれほど高くないものの、日差しの強さもあり、しっかりとした暑さ対策や紫外線対策が求められます。 一方、現在は梅雨前線が本州付近に停滞しており、明日からは全国的に梅雨空が続く見込みです。西から進む雨雲の影響で、午後には大阪などの関西地方や、名古屋を中心とした東海西部でも、にわか雨の可能性があるとのこと。関東地方も、そろそろ梅雨入りの気配が感じられてきましたね。 梅雨―― この言葉を聞いただけで、どこか背中にじっとりとした湿気がまとわりつくような気がしてくるのは、あほまろだけではありますまい。 じめじめと蒸し暑く、洗濯物は乾かず、窓は曇り、足元はぬかるみ。まったくもって、快適とは言いがたい季節ですからね。 けれども、そんな梅雨にも、風流という美点があるのですよ。 たとえば、しとしとと降る雨に濡れた紫陽花の葉が、まるで翡翠のように輝いて見える瞬間。または、雨粒を受けてそっと首を垂れる花菖蒲の、あの気高い姿。 そうした光景を写真に収めることができるからこそ、あほまろはこの季節が案外好きだったりもするのです。 傘を片手に、もう片手にはカメラ。雨の浅草を歩きながら、梅雨の一瞬をレンズに閉じ込めているのですから。 ところが、です。 この「レンズ」という存在が、梅雨と相性最悪なのですよ。ご存じでしょうか。カメラやレンズというものは、湿気に非常に弱いのです。 油断すれば、レンズの中にカビが生えてしまう。まるで心のスキマに忍び込む後悔のように、気づいた時にはもう遅いのです。過去には、あほまろの散歩用レンズにも白く霞むものが浮かび、「あら、これは朝霧かしら」と思ったら、なんとカビだったという苦い経験もありましたよ。 その反省を活かして、秘密基地には、ドライボックスをいくつも用意しております。カメラたちは、出番がないときにはその中で快適な“乾燥生活”を送っております。 しかしながら、問題は日々連れ歩いているレンズたち。ドライボックスに戻る暇もなく、毎朝毎晩、雨の中を連れ回されるという過酷な運命を背負っております。 まるで長距離通勤のサラリーマンのように、湿気に打たれ、時には泥にもまれ、それでも健気に働いてくれているのですよ。 もちろん、防湿剤を入れたポーチやら、カメラ用のレインカバーなども使ってはおりますが、それでも完璧とは言えません。レンズの内部に入り込んだ湿気が、じわじわとダメージを与えていくのです。これではレンズもたまったものではありませんよね。きっと「わたしに休暇をください」と、泣いているに違いありませんよ。 それでも、あほまろは言いたい。 レンズよ、すまぬ。 だが、君のその一本の描線が、雨に濡れた石畳を、紫陽花の青を、何より浅草という街の息遣いを、記憶の中に永遠に残してくれるのだ。思えば、レンズもまた、命ある道具なのですからね。 寿命があるのは当然ですし、カビ一つで騒いでいては、この情熱ある撮影人生は送れません。だからこそ、あほまろはこう思うのです。 「レンズは消耗品。でも、その一枚の写真は、永遠に残るものだ」とね。 さて、梅雨の風景は梅雨の時期しか撮れないのだ。カビのことは……帰ってから考えましょうってか。 アメリカデイゴは、その名のとおり、アメリカからやって来た木ではありますが、実はそのふるさとは南米のアルゼンチンやウルグアイです。 真っ赤な房状の花を誇らしげに咲かせ、まるで太陽の化身のように、境内の緑の中でひときわ目を引く存在ですよ。 あほまろは、初夏の浅草でこのアメリカデイゴの姿を見つけると、なぜか心がふっと熱を帯びるような気がするのです。 それは、あの燃えるような赤が、じっとしていては見逃してしまう“いのちの瞬間”を教えてくれるからなのかもしれません。 花の形は少し風変わり。平らな花びらに、筒のように突き出た中心。どこか鳥のくちばしのようにも見えて、見れば見るほど面白い造形です。 しかもこの花、驚くほどたっぷりと蜜をたたえているのですよ。 本場・南米では、その甘い蜜を求めて、小さなハチドリたちがひらひらと舞い降りるそうです。まるで、“赤い泉”に誘われた妖精たちのようにね。 初夏に満開を迎えるアメリカデイゴですが、彼らはそれだけでは終わりません。 なんと秋の終わりまで、何度も何度も花を咲かせるのです。 そんなに頑張らなくても……と声をかけたくなるほど、枝を伸ばし、葉を茂らせ、そしてまた真っ赤な花を咲かせるのです。 けれど、その成長の勢いがあまりにすさまじく、境内でも時折「丸坊主」にされてしまうのがこの木の悲しい宿命。ばっさりと枝を落とされ、まるで頭を丸められた坊主頭のような姿になることもありますが……そこからがまた、彼らの見せ場なのです。 切られても、削がれても、ひるむことなく新芽を伸ばし、枝葉を広げ、また見事な花を咲かせる。そのたくましさ、潔さに、あほまろは何度心を打たれたことでしょう。 「花はいつ咲くべきかを、自ら知っている」――そう語りかけてくるようなのです。 ですから、このアメリカデイゴが咲き誇るその瞬間こそが、シャッターチャンス。あほまろのカメラは、その鮮烈な赤を見逃すわけにはいかないのです。 今日もまた、レンズの奥に燃えるような花を一輪、そっと閉じ込めましたよ。 もうひとつ、この時期からあほまろが毎年そっと見守っている木があります。それが――ネムノキでです。今はまだ、枝先に小さな蕾の気配も見えず、静かに葉を揺らしているだけですが、あほまろは知っているのです。 この木は、やがて初夏の空の下で、ふんわりと夢のような花を咲かせるということを。 ネムノキの花といえば、まるで極細の筆先をそっと束ねたような、あるいは繊細な扇子を開いたかのような、美しい姿。 ピンク色の糸のような花弁が風にそよぐたびに、そこには儚さと優美さが漂い、まるで夢の中にいるかのような気分にさせてくれるのです。 いまはまだ花もなく、行き交う人々の目に留まることも少ない存在かもしれませんが、あほまろは知っておりますよ。 この木は、近いうちにそっと華を咲かせ、見る者の心をそっとほどいてくれることを。 そしてその時こそ、シャッターの出番。 カメラ越しに見るネムノキの花は、まるで時間の中に咲いた一輪の夢のよう――。そんな出会いを今年も待ちながら、あほまろは今日も境内を歩いてきたのですよ。 今朝の日の出は午前4時25分。折り返しが始まりました。 境内の周回を終えて、あほまろがいつもの場所に戻ると、そこにキョエちゃんママが、しとやかな足取りでやって来たのです。 どこか晴れやかな顔をしているのは、キョエちゃんの子育てがひと段落ついたからなのかな。 そこにキョエちゃんも飛んで来ましたよ。 ついこの前まで、母の背中を追っていたあの小さかったキョエちゃんが、今日は堂々たる佇まいで、母と並んで白い石柵に羽を休めているのです。 親子並んで、まるで「どう?大きくなったでしょう」とでも言いたげに、こちらをじっと見つめてましたよ。 あほまろが見守り続けてきた命の営み。 カラスといえど、いや、だからこそ愛おしい。 声をかければ、ちゃんと振り向いてくれるし、いつかの出来事を、ちゃんと心に留めているような、そんな気さえしてしまうのです。 キョエちゃん、そしてママ。どうかこれからも、浅草の空を自由に舞いながら、また時々、あほまろの前に姿を見せてくださいね。 そこへ、遅れてやって来たのが、我らがビクトリー君。 ビクトリー君、ふと目をやると、彼の視線の先には、先ほどから仲睦まじく佇むキョエちゃんとママ。 どうやらビクトリー君、その空気をしっかりと読んだようで、どこか遠慮がちに近づき、控えめに羽ばたきながら、ごく小さく、ささやかな舞をひとつ披露してくれましたよ。 いつものような華やかなターンも、羽ばたきの高さも、どことなく抑え気味。けれどその気遣いが、あほまろには何とも微笑ましく、そして温かく映りましたよ。 さて、今朝の舞台に最後に登場したのは、ハトのハートちゃんですよ。 かつて足に傷を負い、毎朝こつこつと治療を続けてあげたので、今ではすっかり元気に歩けるようになったのです。 今朝のハートちゃんは、羽根の艶も良く、歩きぶりも軽やかで、その姿はどこか自信に満ちておりました。 なんと今朝は、場所も特別。 本堂の真ん前。観音さまのご加護でも受けているかのように、堂々と胸を張って、華麗な舞を披露してくれたのですよ。 くるりと一回転、片足を高くあげてからの、小刻みなステップ。 そのたびに羽根がふわりと舞い、まるで本堂の風格に応えるかのような、見事な“奉納舞”。 観ていたあほまろは、思わず拍手……はできないので、心の中でスタンディングオベーションでした。 思えば、命あるものは、皆それぞれの舞台を持っているのかもしれませんね。 傷を負いながらも、それでもなお、自分の居場所で、できることを精一杯やろうとする姿。それこそが、尊くて、美しくて、あほまろにはたまらなく感動的なのです。 キョエちゃん親子、ビクトリー君、そしてハートちゃん―― 浅草の朝は、今日もまた小さな命たちの物語に彩られました。あほまろは、それをそっと見届けるだけ。この舞台の照明係として、今日もまたシャッターを切るのでございました。 あほまろは写真が上手ですねとは言ってくれませんでしたが、陽子さんがやって来ました。 おはようございます。今朝は開門2分前にお友達とやって来た野崎さん。 海外からのお客さんが夢中になって、池の鯉を撮ってましたよ。 「Oh my god! Look at that one! So big!」、なんて声が聞こえてまいりましたが、確かに今朝の鯉は、いつにも増して堂々たる姿でしたよ。 あほまろが子どもの頃は、鯉なんて“ただの大きな魚”くらいの認識でしたが、こうして異国から来た人々がレンズ越しに夢中になる姿を見ていると、なんだか鯉も誇らしげに見えてくるから不思議ですね。 子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。 日本のナイチンゲール、瓜生岩子像。 初夏の境内をご覧下さい。 昨年から落ちずに、いまだに枝にしがみついているソメイヨシノの一枚の葉。 キンシバイ(金糸梅) 紫陽花。 良いお天気の週末をお過ごしください。明日から天気は下り坂ですよ。 あほまろは今日も秘密基地で、執筆活動に専念します。 ------------------------------------------------------- 夕べの睡眠は85%でした。 おはようヒロちゃん。 今朝の朝の朝食は、妻が創った色とりどりのフルーツを載せたクレープ風味にクロワッサン。 妻のコレクションは、ルナちゃんとペコちゃん。 昨日の東京スカイツリー。 あほまろお帰りなさい。 しゅと犬くん。 夕べの夜の夕食の晩ご飯は、久しぶりに近所の寿司屋さんから出前一丁。 いやはや、これは奇妙な偶然というか、もはや寿司の神さまのお導きだったのでしょうか。出前一丁の近所の寿司屋が、テレビ番組で紹介されていたのですよ。 ちょうどお寿司を頬張っている最中に、近所のお店がテレビで紹介されるとは、これを“寿司シンクロ現象”と呼ばずして、なんと呼びましょうかね。 思わず弾みで、呑めない酒まで呑んでしまいましたよ。そんなワケで、禁酒は明後日から。 Memo iPhone 16 ProMAX