令和5年(2023)6月12日(月)旧暦4月24日先負
旅先より
- 故郷探訪 -
故郷は遠きにありて思ふものそして悲しくうたふもの・・・、(室生犀星)の「小景異情」ですが、彼はなぜ、故郷に居ながら、遠きにありて思ふものと言ったのかは、いつも疑問に思っているのであります。 あほまろは故郷に来ております。なかなか訪れる機会が無かったので、今回は墓参りを兼ね青春期を彷徨を追ってみたのでした。 今日は故郷のお隣、倶知安駅前で朝を迎えました。 ホテルの窓からの眺めは、日の出前の倶知安駅。昔と同じ佇まいではありましたが、北海道新幹線開業に向け建て替えられることで、今回が見納めでしょうね。 倶知安の素朴で家庭味のジンギスカンすら懐かしい。 ------------------------------------------------------- 夕べの睡眠は70%。夕方の地震には驚きましたが、よく眠れましたよ。 故郷旧狩太駅。あほまろが東京に出た後、町名と駅名がニセコに変わってしまったのでした。 駅前のこの場所にわが家がありました。駅まで数十秒なので、汽車通だった高校時代、毎朝汽車の汽笛で飛び起き、駅に走ったのでした。 かつてC62を運行するため、新得町から移設したターンテーブル。色を塗り替えられて綺麗になってますね。 ここには、蒸気機関車とニセコエキスプレスが保存されておりましたが、全貌を望むことができません、 今回は息子と友人三人旅でした。 わが家の前からの眺めも大きく変わってしまいましたよ。 最初は曇って見えなかったニセコの山、帰る頃に、お帰りなさいと姿を現してくれましたよ。 わが家の菩提寺にてお墓参り、 小学校の姿は大きく変わってしまいましたが、羊蹄山だけは変化無し。 小学校の隣だった中学校は、場所を変えてしまいましたが、羊蹄山を望む景色に変わり無し。 中学校はこの位置でしたが、今は、幼稚園になってましたよ、 毎朝、この山道を昇って中学校に通ったのでした。 大きな橋が出来て、わが家の有った下の町をバイパスしてしまいました。 橋上からニセコ駅。 倶知安駅です。 倶知安は新幹線の駅が出来、東京から直通で来られるようにはなりますが、あほまろは開通するまで生きていられないでしょうね。 新駅が出来るまでは、駅とホームは架設状態でした。 我が母校、倶知安高校です。 校章は芋の葉のままでした。 全く当時の面影は無し。 唯一記憶に残っていたのは、校歌が記されたこの碑だけでした。 何もかも変わってしまった故郷の建物でしたが、変わらずに残っていたのはニセコと羊蹄山の姿だけでした。夕べはニセコを眺めながら眠りに着いたのでした。 今回のマンコレ。倶知安町。 ニセコ町。どちらの町にもカラーマンホールはございません、 Memo iPhone 14 ProMAX Leica M11 APO-SUMMICRON-M f2.0/35mm ASPH. APO-SUMMICRON-M f2.0/50mm ASPH. APO-SUMMICRON-M f2.0/75mm ASPH. TRI-ELMAR-M f4/16-18-21mm ASPH.