今朝も良いお天気でしたが、やはり朝は寒かったね。
今日の昼間は暖かい春の陽気になるようだけど、明日は雨が降るかもしれないんだって。
明日は青山斎場にて圓歌師匠のお通夜が行われますが、お弔いの雨にならなければ良いのですが、心配だな・・・。
圓歌師匠の訃報を受けて、あほまろのところにも取材が来ました。
落語家でも無いのに弟子として名前をいただいているので仕方が無いですが、圓歌師匠との思い出話を何か聞かせてくださいと言われても、長いお付き合いだったので、思い出がいっぱい有り過ぎて困ってしまいましたよ。
あほまろが圓歌師匠と初めて知り合ったと言うか、師匠と会話を交わしたのは、昭和41年の夏、浅草フランス座で、呼び込みのアルバイトをしていた時でした。
当時は、今の浅草演芸ホールの隣が松竹演芸場(現ROX)で、アルバイト同士、どっちにも自由に出入り出来る良い時代でしたよ。当時の大スターだった歌奴師匠(現圓歌師匠)は松竹演芸場に良く出演され、楽屋で何度もお使いを頼まれたことが有って、その時に会話を交わした、ただそれだけでしたけど、あほまろにとっては大スターと会話が出来るだけで光栄なことだったのです。
そんなある日、フランス座を経営する東洋興業には、軟式野球チーム「フランス座」というチームが有って、荒川の河川敷球場で試合の応援の帰りの電車で、偶然歌奴師匠とお逢いし、お使い以外のまともな会話を楽しむことが出来たのでした。
それ以後、楽屋で親しく声をかけていただけるようになったけど、アルバイトを止めてからは疎遠になって、圓歌師匠のお顔はテレビで拝見するだけとなってしまったのでした。
圓歌師匠との再会は、あほまろが麹町に引っ越し、近所の日本テレビの敷地内での町会の盆踊り大会の時でした。圓歌師匠も麹町にお住まいだったので、お弟子さんたちと町会の行事に協力をしていた時のことでした。
とっても記憶力の良い師匠なので、当然、あほまろはあの時の奴だってことも知ってましたよ。
約30年ぶりの再会からが急接近ってワケで、三遊亭あほまろというペンネームを頂き、今に至っているワケであります。
再会以後は、毎月一度は一緒に呑みましょうってことでお付き合いが始まったであります。実は、明日も上野の伊豆栄で午後6時から呑む予定は入っていたのに、それがお通夜となってしまったのが残念です。あほまろは約束通り、明日の午後6時に合掌で逢いに行きますからね。
圓歌師匠のご冥福をお祈り申し上げます。
おはようございます。いつも元気なおかあさん、朝のお参りは欠かしません。
おはようございます。今朝は開門1分前にやって来た野崎さん。人呼んで浅草の野崎参り。
桜が終わり新緑がきれいになって来た影向堂の境内です。
境内のツツジも満開に近づきました。
今日はこれから浅草商連の理事会なので、ナナちゃんは秘密基地でお留守番ですよ。
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浅草公会堂前のスターの広場に圓歌師匠を偲んだお花が捧げられました。
東京新聞の朝刊に、あほまろが圓歌師匠を偲ぶ記事が出ました。
詳細はこちらでご覧になれますが、2〜3日でリンクが切れてしまいますので、コピーも載せておきますね。
昨年12月、忘年会にて。
今年の1月、師匠の誕生日でした。
明日のお通夜の準備完了。
夕べは一門での仮通夜でしたが、あほまろはひとり安酒場で偲酒。
Memo
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「浅草六区ゆめまち劇場」
『4月公演』
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アミューズカフェシアター「虎姫一座」
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