今朝は、朝からジメジメ・ムシムシ、いわゆるうっとうしい梅雨なんだ・・・。

早く明けてほしいけど、その後おとずれる夏の暑さはを思い出すと、それも嫌だよな・・・。あぁ、温泉にでも行って足湯に浸かりたい気分だよ、ニャロメ。

今朝の驚き。映画「スター・ウォーズ」など数々のヒット作を手がけたジョージ・ルーカス監督が、長年の交際相手だった女性と結婚したようですね。

ジョージ・ルーカス69才、お相手のロディ・ホブソンさん44才。25才も離れた奥さんを貰うなんて、うまらやしい、うらまやしい、うまやらしい・・・、あれ、どうしても変換できん。

ジョージ・ルーカスの映画といえば、「スター・ウォーズ」ですよね。もちろん、かつてはあほまろも大好きな映画ではありましたが、この映画と悲しい過去が混在している複雑な映画になってしまったのです。

あほまろが「スター・ウォーズ」の映画を知ったのは、札幌に住んでいた頃、歯科医を営んでいた友人が、ワンボードマイコン(KIM-1)に、アメリカの雑誌を見てプログラムを打ち込んだゲームでした。まだ、ビデオディスプレイも無かったので、6×7セグメントLEDの表示を見ながらイメージで遊ぶ単純なゲームですが、そのイメージを膨らますのが、映画「スター・ウォーズ」のストーリーでした。

日本で「スター・ウォーズ」が公開される前なので、当然観てはいませんが、物語を読みながらプレーすると、頭の中にはほんとのアニメさながらのイメージが沸き、友人と徹夜でプレーしたこともありましたね。

「スター・ウォーズ」が日本で公開されたのは、その一年後、昭和53年の春でした。もちろん友人と札幌の劇場に封切り初日を観ましたね。あの感動が忘れられず、何度も劇場に通いましたよ。

「スター・ウォーズ」の続きを楽しみにしていた友人でしたが、二年後の昭和55年、「スター・ウォーズ帝国の逆襲」の公開直前に他界してしまったのでした。

その3年後の昭和58年に三作目となる「スター・ウォーズジェダイの復讐」が公開されたのです。

三作目は、「スター・ウォーズ」が大好きでロスアンゼルスに留学しジョージ・ルーカスとも親交があった、作曲家の同級生の誘いで、公開前の試写を観ることができたのでした。

試写を観終え、配給会社の重役に誘われ、彼と中村雅俊さんも一緒に銀座の高級クラブで、日本で「スター・ウォーズ」を超える映画を創ってみたいとか、酒の勢いで大胆な発想を語り合ったのも想い出だね。

彼とは高校の同級で、作曲家の木森敏之君。『心の色』(中村雅俊)『聖母たちのララバイ』(岩崎宏美)等の作曲で、当時のヒットメーカー作曲家でしたが、そのすぐ後に、病気で天国に逝ってしまったよ。

ジョージ・ルーカスと言えば、「スター・ウォーズ」。 遠い昔、はるか彼方の銀河系で、人類をはじめ多くの異星人種が共存する世界を描いた偉大な監督ではありますが、

ジョージ・ルーカスには全く関係が無いんだけど、あほまろの心に中では、友人達を辺境の惑星に連れて行ってしまった悪と恐怖の信奉者の存在なんだよ。そして、今日のニュースじゃ羨ましい奴。

ふと気づくと、6月ももう終わってしまうんだね。今年も暑い夏がやってきそうだね、かつては、 おなかすいた〜 のどかわいた〜って時は、冷たく冷えたキンキンのグラスにビールを注いで、くぅ〜〜〜って暑気払いをしたこともあったけど、酒を断ってしまった今となっては、誘いも断るしか無いんだよな・・・。

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