この冬一番の冷え込みと、テレビのお天気お姉さんが笑顔で語っています。外はかなり寒いんだ・・・、意を決してモモちゃんと外に出たんですが、このところの寒さに慣れてしまったのか、思ったほどの寒さは感じません。それよりもモモちゃんも早く散歩を済ませようと、お互いに早足で歩いたことで身体はポカポカでしたよ。でも、境内のハトたちは寒さをしのぐため。身体を丸くして身動きもせずに屋根上に停まっているのでした。 阪神淡路大震災から今日で13年が経ちました。あの日の朝、テレビの画面に映し出された光景は今でも鮮明に記憶しています。テレビを点けた瞬間。倒壊した高速道路、いったい何が起こったのかを把握することも出来ないほどの信じられない光景でしたね。兵庫県南部で死者約6300人、30万人以上の方が被害を受けたのでした。 ところが、その後、マスメディアなどが「阪神大震災」と報じていたことに疑問を持つ被災者もたちが、同じく被害に遭った淡路島北部や明石市などが考慮されていないとのことで、「阪神淡路大震災」とばれるようになってはいますが、それでも明石市は含まれていないのです。 明石市で両親を失ったあほまろの知り合いが、今でもこの問題の不満を零しています。本来「阪」の文字は大阪市とその府下の名称で、豊中市を除くとそれほど大きな被害が生じていないにもかかわらず、「阪」の文字が入っているのがおかしい。被害が集中したのは、神戸・明石・淡路島北部であり、この災害で亡くなった方々のためにも「兵庫県南部地震」と改称して欲しい。彼は、今でも同じ境遇の仲間たちとそんな呼びかけを行っているのです。 今朝は、早くから各地で犠牲者を追悼する催しが行われているようです。地震が起きた午前5時46分に合わせて黙とうをする様子がテレビでも流されていました。また、兵庫県内にある震災で家族を失っ老人たちが暮らす公営復興住宅では「孤独死」が問題になっているようです。仮設住宅が解消した2000年以降、8年間の孤独死者数は計522人、これからますます一人暮らしの入居者の高齢化はいっそう進む一方です。これじゃ、震災から13年を迎えても復興が完全に終わったとはとはいえないのではないでしょうか。 東京も関東大震災が起こった大正12年から85年目となります。専門家によると、地震の周期からして関東大震災と同規模の地震がいつ起こっても不思議ではないとのことです。人間がコントロールできない自然災害、いつか来ると恐れていては何も出来ない、だからといって来ないと決めつける訳にもいかない。そなったら、あほまろが長年溜め込んで来たお宝も総て失ってしまうことになるのでしょう。その時は諦めるとしても、普段から災害への備えだけは怠らないようにしておかなくちゃいけないのでしょうね。
『今朝の浅草神社』 浅草の街から松飾りが総て消えてしまったというのに、ここ浅草神社だけはまだ取り付けたままなのです。いったいいつまで飾っているのでしょうね。 浅草神社のおみくじ結びです。ここはお正月だというのに、お隣の浅草寺と比較出来ないほどの少なさですね。