『今朝の浅草』
おはようございます。あほまろは60才と1日目を迎えました。嫌な響きですねぇ60才。子供の頃は、いやつい最近まであほまろ自体も60才といえば年老いたよぼよぼのお爺さんのイメージしかなかったのです。まさか自分が60才になってしまうなんて思ってもみなかったよ・・・。
「船頭さん」という童謡の歌詞の中に、“村の渡しの船頭さんは 今年六十の おじいさん 年はとっても お船をこぐときは 元気いっぱい 櫓がしなる それ ぎっちら ぎっちら ぎっちらこ・・・”
小学校のとき学校で習ったような気がします。そのころは60才ならおじいさんで当然だったのでしょうが、今となっては、たかが60才でおじいさん呼ばわりされるのは不当な気がするのは、同世代の方々みなさん同じですよね。
あほまろが産まれた1947年(昭和22)という年は、全国で268万人という戦後最高の出生率でした。人数が多いことでいつも厳しく狭き門を歩んできた団塊の世代といわれて他の世代とはっきり違った生き方をしてきたのです。今年は、そのうち84%が60才の還暦を迎えるのです。これで世の中は老人ばかりになってしまうのですね。試しに繁華街で、“おじ〜いさん!”と大声で叫んでみてごらんなさい。ほぼ全員が振り返えるかもよ。

モモちゃんも年寄り、あほまろも年寄り、いつまで一緒に散歩できるのかは仏様しか判りませんが、それが可能であればあと5年、せめて新東京タワーが出来るまでは続けていたい。そう思って、よぼよぼモモちゃんを見てみると、やっぱり無理かなぁ・・・。
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『今朝の雷門』
「Webマーケティングガイド」が東京都在住者に関する、意識調査を行っところ、「東京都内で最も好きな街」は「吉祥寺」と「銀座」。「働くなら」という質問では「中央区」と「港区」。ここ「上野・浅草」地区は「情緒ある街」のトップだったようです。今もこの付近は、下町情緒あふれる街という印象が浸透しているのでしょうね。



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『今朝の一写』
数年前、サラ金のCMでチワワが話題になった頃には、浅草寺境内で散歩をさせている犬の中で、その数がダントツ一位がチワワだったことがあります。特に若いお姉ちゃんたちがブランドモノのシャネルとかパネルとかの派手なお洋服を着させ、お姉ちゃんも負けじと朝っぱらからケバケバ。そんなブームもほんの一瞬でしたね。最近はチワワをほとんど見かけなくなってしまったのです。あのチワワたち、いったい何処にいってしまったのでしょうね。
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『今朝の境内』
♪男なら、男なら、花が散るまで、花が散るまで、咲けばいい。
そんな歌がありますね。花が散るまで咲くってことは、咲きすぎて散るのか、それとも散るために咲くのか、曖昧な歌詞ですよね。
曖昧なようで曖昧じゃないのは、軍歌「同期の桜」ですね。
♪咲いた花なら散るのは覚悟見事散りましょ国のため。血肉分けたる仲ではないがなぜに散ったか死んだのか。あれほど誓ったその日も待たずなぜに散ったか死んだのか。花の都の靖国神社春の梢(こずえ)に咲いて会おう。
これはあくまでも散るイコール死。僅か2週間ほどで散ってしまう桜の下を、♪貴様と俺とは同期の桜・・・。大声で歌いながら歩いている老人がいました。それを見ているあほまろも昨日から老人になってしまったんですよね・・・。

将来有望な若いひとたちを見ていると羨ましいですね。でも、60数年前の戦争時には、若者たちにも希望は無かったのです。
昭和二十年三月二十一日 陽光うららかな日。
美しく立派に散るぞ、そう言って一番機に向かう戦友の胸に俺はまだ「ツボミ」だった桜の一枝を飾って送った。明日は俺の番だ。死ぬ時が別々になってしまったが靖国神社で逢える、その時はきっと桜の花も満開だろう。
三月二十六日 花さわやかに開く日。
お父さん、お母さん、只今より出発します。この世に生をうけて二十三年、まさか、お父さんやお母さんより早く死ぬとは思ってもみませんでした。お母さん、泣くなと言うのは無理かも知れません、でもどうか、「よく死んでくれた」そう言って下さい。私達は祖国を護る為に死んで行くのですから。
四月二日 春雨のけむる日。
幸か不幸か、俺はまだ今日も生きのびている。だが、雨があがり、虹が橋をかけ、あかね色の夕焼け空が拡がる時に、俺は必ず征く、後に続く事を信じて、俺達の死を決して、犬死にしてもらいたくないのだ。
海軍少尉 小野栄一 身長五尺七寸体重十七貫五百 極めて健康。
鶴田浩二さんが歌った「同期の桜」の台詞です。

通勤時間に遅れそうなのか、猛スピードで走っていくお姉さんを見送りながら、左上の看板が目に入りました。バザールって文字と一緒に見ると、このお姉さんは、バーゲン会場に急いでいるかのようですね。全く関係ないんですけど。

週末になると大きなカメラを持った方々がやってきます。いったいどんな写真を撮っているのかは判りませんが、浅草寺境内はどこを向けても絵になるんですよね。

バイクの乗り入れは禁止されているはず・・・。そっか、自転車も境内乗り入れを禁止されているので、どっちも規則違反は同じですね。みんなでやれば恐くない。

この年代の方をなんと表現したら良いのでしょうか。あほまろの目には少年には見えないし、青年といったら叱られそうなので、やっぱり老人なのかな・・・。

浅草神社は、慶安2年(1649年)三代将軍徳川光公によって建立寄進されたと伝えられています。350年以上も経っているってことは、これも老人なのかな。

あれほどきれいだった桜の最後、結局はゴミになってしまうんですよね。

今週は気温が低かったので、なんとか週末まで持ちましたね。


歯抜けになった桜を見ていると、あとは野となれ山となれなんて、無責任な言葉も出てしまいますよ。

影向堂のお庭です。
六角堂のシダレザクラ。


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浅草に直接関係の無いお話も多いですが。ここは、あほまろの呟きですかね。
『今朝の余談』
昨夜は仲間たちが集まって、大好きなジンギスカンの「らむや」で、あほまろの還暦祝いをしてくれました。この年で祝ってもらうのは恥ずかしいのですが、ケジメの年なので素直に喜ばなければいけないのでしょうね。

このお店のジンギスカンは、岩塩で食べるのが美味しいのです。テーブルの中央には、モンゴル産の岩塩の固まりが置かれています。でも、これを食べちゃいけないのですよ。ちゃんと精製した岩塩が用意されているのですから。

後ろのテーブルはあほまろの家族たちです。人数が多かったので「らむや」は、ほぼ貸切状態でした。みんさん本当にありがとうございました。
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