『今朝の浅草』
寒さが更に厳しい朝になりましたね。でも、今朝は風が無いので昨日よりはいくぶん楽なようにも思えますが、モモちゃんの尻尾が下がりっぱなしなのを見ていると、かなり辛そうでしたよ。あまりの寒さで出るものも出なくなってしまったのか、朝の便通は無かったのが心配なのです。そんなモモちゃんを余所に、若いナナちゃんは寒さなんか平気ではしゃぎ廻ってしましたよ。ナナちゃんは筋肉質でスポーティーな体つきです。本当は、リードを離れて自由に走り回りたいのでしょうね。

「おもいのまま」の定点観測のターゲットは白梅だけに終わってしまいそうです。今年は花の数も少なく、なんたって肝心の二色の花びらは今のところ僅かに一個だけなのですからね。
こちらだけが、かろうじて二色の花を見せてくれているのです。まだ蕾が数個付いているので、これからに期待したいのですけど・・・。

2月26日といえば昭和11年に、陸軍の皇道派の青年将校が、対立していた統制派の打倒と国家改造を目指し、約1500名の部隊を率いて首相官邸等を襲撃した「2.26事件」で有名な日です。内大臣・大蔵大臣等が殺害され反乱軍の将校2名が自決した事件でした。
今でも歴史に残っている「下士官兵ニ告グ」のビラをご存じでしょうか。歴史の生き証人として先日のオークションでかなりの高値を付けられていましたが、実は世の中にかなりの偽物が出回っているので、要注意の物件でもあるのです。これは、青年将校たちの行動を鎮圧しようと、急遽、当時の東京日日新聞社で墨一色で刷られた葉書大を一回り大きくした判型のビラ、それを飛行機から撒いて原隊帰順を呼びかけたのです。
刷った枚数は記録にありませんがさほど多い量ではなかったようです。内容は縦書きで以下の通りです。
下士官兵ニ告グ
一、今カラデモ遲クナイカラ原隊ヘ歸レ
二、抵抗スル者ハ全部逆賊デアルカラ射殺スル
三、オ前達ノ父母兄弟ハ國賊トナルノデ皆泣イテオルゾ
二月二十九日 戒嚴司令部
この現物と思われるビラは、過去に一度江戸東京博物館で拝見したことがありますが、ショーケースの中からだったので、文字や紙質の詳細は不明、オークションに出品されたものの真贋を確かめることも出来ないのですが、とりあえず妥当な金額で応札しておいた結果は、あほまろの希望額の3倍以上で落札されてしまったのです。
紙物を中心にコレクションをしているあほまろにとって、できたら一枚は持っていたかった歴史書でしたが、いつか再びチャンスが訪れるのを待つしかないのでしょう。同じようなビラに第二次世界大戦の末期、アメリカ軍が日本の大都市を中心にB-25爆撃機等で散布した「紙の爆弾・伝単」といわれるものがあります。内容は、当時の日本人に拾ってもらえるように偽10円札を印刷した裏には、国民を厭戦気分にさせるためのさまざまな文章が書かれていたのでした。
こちらは、昭和20年2月頃から終戦の8月までの半年間で、458万4千枚がばらまかれたと記録されております。しかし、拾ってこれを持ってると非国民として処罰されたようで、拾った「伝単」は総て警察によって回収されてしまい、今となってはとっても貴重品なのです。こちらは紙物コレクターとして所有するのは基本、あほまろは現在10種類ほど持ってます。実は、祖父のコレクションを引き継いだもので、祖父は生前、危険を承知で文面違いを隠し歩いたといってました。世が世なら非国民ですよね。でもね、それが真のコレクター魂っていうのでしょうね。
昨日、隅田公園に於いて「江戸流しびな」が開催されました。詳細は「昨日の行事」をご覧ください。
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『今朝の雷門』
軍閥が支那と戦争を未だ始めて居なかった昭和五年には十円で次の物が買へた。
一、上等米二斗五升
一、或ひは夏着物八着分の反物
一、或ひは木炭四俵
そうして絶望的戦争を続けた今は、十円で買へる物は、
一、暗取引(やみとりひき)して上等米一升二合
一、木炭少額(買ひ得れば)
一、木綿物(品なし)
以上が諸君の指導者の云ふ共栄圏の成行きである!
「伝単」の偽10円札に裏に書かれた文章です。戦時中は、ここ浅草にも多くの「紙の爆弾・伝単」が撒かれたのでしょうね。台東区下町風俗資料館でも現物をご覧になれますよ。


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『今朝の一写』
ここ六区通りが奇麗に変身して満二年が経ちます。それまでは街路灯や公衆電話ボックスに例のいやらしいチラシが氾濫していた通りだったのが、見違えるような大変身を遂げてしまったんですよ。
そう、「伝単」は日本軍も印刷してあちこちにばらまいていました。米英豪軍に対して撒いた伝単は、カラー印刷の立派な物で、内容は、兵士の奥さんや恋人が祖国で他の男と浮気をしている様子を描いた、いわゆる電話ボックスに貼られているピンクチラシまがいの物が多かったのです。

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『今朝の境内』
宝蔵門前に設置されたライトアップの柱に「平和の光」と書かれています。光のプロムナードやイルミネーションにはどこでも決まったように使われる「平和」の文字。この横の平和地蔵尊の前で、東京大空襲の時の思い出を話してくれた旦那、“不謹慎だけど子供心にも、あの時の奇麗だった光は忘れないよ。今の花火よりも奇麗だったよ”、奇麗だった東京大空襲で父親を亡くし、辛かった記憶を毎日のお詣りで晴らしているのだそうです。
「平和の光」と「不幸の光」、どっちも火の光に違いないのですけどね・・・。

“おはよう”、今朝も平和ですね。

寒い朝でも、空は青く写真に撮ると気持ちの良い朝に見えますね。モモちゃんは震えながらあほまろが撮り終えるのを待ってましたよ。

“ニイハオ マー”境内に響く中国語、台湾からの観光客のようです。二年前に、このすぐ後ろに外国人専用のホテル「サクラホテル」が出来たので、境内で出会う外国人が多くなったんですよ。

本当は、本堂前は自転車乗り入れが禁止されているんですけどね・・・。

浅草神社には自転車乗り入れ禁止の看板は無いのですが、この境内に自転車を乗り入れる人は少ないんですよ。

ソメイヨシノ。この寒さをジーっと絶えて、そろそろ・・・。

芽の色が黒褐色から茶色に変色してきましたよ。

石垣が倒壊しそうで危険なので、周囲はパイプ補強されました。三社祭までになんらかの対策をとるのでしょう。
放置自転車に毎朝警告書を貼り付けている自転車対策の係員です。これだって、イタチごっこですが、ここに停めて通勤通学に行く人の数はいつもと変わらないのです。持って行かれて5000円で引き取るか、スーパーで5〜8000円で新車を買うか。そう、目玉商品として1980円で売るというチラシをチラホラ見かけますよ。日本人の自転車所有感覚、まるで使い捨ての傘のようですね。このように回収された自転車が、北の世界の将軍様のお国で軍人さんが使ったとしたら軍事使用として輸出禁止にならないのでしょうかね・・・。

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『昨日の行事』
「江戸流しびな」が吾妻橋の親水テラスで開催されました。今年で22回めとなる「江戸流しびな」は、「子供たちの無病息災を祈り人形に厄を託して水辺に流した流しびなは、平安時代に始まり、江戸時代になってひな人形を飾るという現在の姿になった」と言われています。今年も1500名以上が参加し隅田川の風物行事として「江戸流しびな」を楽しんでおりました。

水溶性のオブラート加工紙製のお雛様に長いと託して隅田川に流すのです。

みなさん思い思いの願い事を書いてましたよ。“何を願うの?”、“えっ、願いごとを書いて良いの?”、なんて素っ頓狂なこと言ってたお二人です。いったいどんなことを書いて流したのでしょうね。

はい、私も書いたよ。かわいいですね。

“お姉ちゃんと同じこと書くよ”、おやおやお母さんが困ってましたよ。

日本堤消防所も会場で火災予防のPRを行っています。消防少年団のみなさんも願いごとを書いて流していました。

昨年までは「下町たいとう親善大使」のお嬢さんたちも参加されていたのですが、今年は欠席、その変わりに振り袖さんが会場にイロを添えてくれました。

10秒前のカウントダウンと共に、色とりどりの風船と伝承鳩が放され、隅田川岸に設置されたピンクの流し器から次々とひな人形が流されました。

ちゃっかり男の子も混じってますね。

女の子も男の子も、子供も大人も、お婆ちゃんもお祖父ちゃんも、息子さんもお孫さんも、不細工な方も奇麗な方も、顔黒コギャルまでも分け隔てなく、みんなが参加できるんですよ。


幼稚園児達は、ひな飾りを施した特別仕立ての船からもおひなさまを流します。

今回の行事、ピンクの流し器を写そうとちょっと危険な体制での撮影でした。来年は、船から撮れたら良いのかも。

流し終えたみなさんは、振り袖さんと記念撮影です。

こちらは近所の食堂に植えられたソメイヨシノ。温室育ちなので、一足早く花が咲いてますよ。

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