『今朝の浅草』
ちょっと捲れた毛布の隙間から入り込んで来る冷気、寒い!、こんな朝はベッドから出るのをためらってしまいますね。イヤだな・・・、イヤだな・・・、玄関の方ではドアが閉まった音が、女房はナナちゃんと出かけてしまったんですね。書斎ではモモちゃんが“早く行こうよ!”って騒いでいるし・・・。せめて女房は部屋を暖めてから出かけてくれたら良かったのに・・・。
寒さを堪えて起き上がって着替えを捜しても今朝はいつもの場所に置いていないんです。あちこち服を捜す間にも身体がどんどん冷え切っていくのが解るほど寒い室内、凍死するよりもマシだと、昨日脱いだのをそのまま着込んでしまいましたよ。なんて書くと、毎日着替えてきるかのようですが、こんなことしょっちゅうあるんですよ。なぜ、今朝は思うように頭と身体が動かないかというと、夕べちょっと○○過ぎてしまったからなのです。あ〜、深○止めたいな・・・。
昨夜、浅草寺の「温座秘法陀羅尼会(おんざひほうだらにえ)」が終わったことを告げる「亡者送り」が開催されました。午後6時、境内の総ての電気が一斉に消え、松明を持った赤・青の鬼が現れてきます。鬼達は手に持った松明を辺り構わず地面に打ち付けて境内を走り去るので、一緒に走る覚悟でいたのでしたが、なんと今年はゆっくりと歩いているのです。それも、所々でカメラサービス宜しく立ち止まってポーズしたりして。
毎年、赤鬼に扮するのはお坊さんで、青鬼は仲見世の方々が交代で行うのです。今年は松ヶ枝屋さんの松○君、慣れない格好で人前に出る緊張感、普段の態度とは全く違った別人になってましたよ。この詳細は「今日の余談」でご覧ください。
『デン助劇団』復活目指す。明日、テプコ浅草館で「デン助劇団」を復活させようと、「浅草がんばる会」がデン助を知らない世代に「君はデン助を知っているか?」と題したシンポジュームを開催します。
あほまろは広報と展示物を担当しており、より多くの人にデン助を知ってもらおうと、当時のデン助劇場の写真を中心に、大きなパネルを制作しました。明日、テプコ浅草館にいらしてください。午後1時から入場は無料ですが、参加希望者が多く立ち見になるかもしれませんが、みんなで、デン助パワーを体験しましょう。
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市民グループがあす浅草でシンポ
「東京新聞」の記事を転載します。
昭和二十年代から四十年代後半にかけて一世を風靡(ふうび)した「デン助劇団」を復活させようと、台東区浅草の市民グループ「浅草がんばる会」が動きだした。同会代表で浅草で飲食店を営む河野通夫さん(61)は、かつて同劇団の座員だった。復活の手始めとして二十日、テプコ浅草館(同区西浅草)でシンポジウム「君はデン助を知っているか?」と、同劇団の秘蔵写真やがんばる会の活動などを紹介する写真展を開催する。
(丹治早智子)
デン助劇団は、戦後間もない一九四七年に、喜劇役者の故大宮敏光さん(後に敏充に改名)が、浅草六区にあった松竹演芸場を常小屋に旗揚げした。
はげ頭にくりくり眼、口の周りに描いたひげがトレードマークの大宮さん演じる主人公デン助を中心に毎回、笑いやペーソスに富んだ下町の人情喜劇を公演した。五九年から十三年間、テレビ放映もされ、お茶の間の人気をさらった。
脚本、演出、主役と一人三役をこなした大宮さん。しかし、大衆芸能のメッカだった六区の衰微とともに客足も減り、「ファンには申し訳ないが、疲れちゃったんだよ」の言葉を残して、七三年四月のさよなら公演を最後に劇団を解散した。
名古屋出身の河野さんは、喜劇俳優を目指して十八歳で上京。同劇団前で三日間粘った末、念願の座員になった。三年後には、準主役級のデン助の息子役を射止めた。しかし四年後、地方回りの主役をめぐって大宮さんと対立、劇団を破門された。
その後は、漫才に転向、破門も許されたが、デン助劇団の後を追うように、河野さんもまた七五年に芸能界を引退した。同じように浅草で活躍し喜劇の帝王と呼ばれたエノケンこと榎本健一さんを語る人は多いが、デン助の名は忘れ去られようとしていた。
「ぼくが語り部にならなければ」。七七年に浅草に鯨料理の店「捕鯨船」を開店してからは、河野さんを慕って店を訪れる若手芸人や客らに大宮さんの偉大さを語り続けてきた。さらに、「地域ぐるみで芸人を育て、応援していた元気なころの浅草を取り戻そう」と、「浅草がんばる会」を設立した。
「デン助を見て育った団塊の世代がリタイアする時代になった。バブルに踊らされていた時代には忘れられていた人情喜劇を見直すには、今が好機」と河野さんは言う。
シンポジウムはすでに満席だが、当日、若干の立ち見席があるという。一部でデン助劇団のフィルム上映。二部では、河野さんを司会に、同劇団で「スミちゃん」役を務めた宮田圭子さんらによる座談会が開かれる。
問い合わせは、テプコ浅草館=(電)(5827)3800=へ。
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『今朝の雷門』
来月18日は、都心部が“封鎖”されます。アジア最大規模の市民参加レース「東京マラソン」の開催で、約3万人が走る大規模マラソンのため大がかりな交通規制が敷かれ、銀座や浅草周辺では、最長7時間車両通行止めになるなるそうです。
こんな事態は、警視庁始まって以来だそうです。当日の東京都内、特に浅草周辺はいったいどんな状況になるのか、今から楽しみですね。


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『今朝の一写』
最近、早朝のお遍路さんが目立つようになりました。「坂東三十三所観音巡礼」を二日間で廻るはとバスツアーのようです。板東札所は、関東一円に散らばった観世音菩薩なのです。金龍山浅草寺はその13番札所に指定された東京都で唯一の札所なのです。

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『今朝の境内』
浅草の仲見世と、浅草演芸ホールだけは一月いっぱいお正月しているのです。でも、この時期になると飾りはお正月でも、そんな気分には成れないよね。

おや、お線香の煙を棚引かせながら歩いていきます。本堂でお線香を買って、お地蔵さんにでも詣でるのでしょうかね。

修復工事中の宝蔵門にようやく朝日が当たり始めました。日が当たるまでは、とっても寒かったんですよ。
寒いね〜!
寒いので両手をコートの中に入れ、手放しで自転車に乗ってます。器用な方ですね。
浅草寺境内で最初に朝日が当たるのが本堂なのです。さすがですね。

公衆便所の横の空き地を整地し、何かできるようです。観光客用の休憩施設だったらみんな喜ぶでしょうね。でも、そんなの造るわけ無いか・・・。

浅草神社です。この時期こちらに朝日が届くのは午前8時半頃になります。

おはよう!お洋服を着せてもらって暖かそうですね。でも、モモちゃんは嫌がるので着ないんですよ。

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浅草に直接関係の無いお話も多いですが。ここは、あほまろの呟きですかね。
『今朝の余談』
午後6時、境内の電気が一斉に消され「亡者送り」の開始です。

今年は暖かい夜なので、見物客は昨年の倍以上でした。カメラを構えた方々は、できるだけ近くで写そうと階段に並んで撮ってましたが、あほまろが構えているこの場所が鬼の雰囲気を捉える最高の場所なのですよ。

階段を駆け下りた鬼達は、地面に松明を叩きつけながら大香炉の周りを三周します。

次は宝蔵門前、本来なら宝蔵門の中を廻るのですが、今年は修復作業中なので、前の広場を三周しました。


叩きつけられた松明から飛び散った炭、それを拾ってお守りとして持ち帰ると御利益があるといわれておりますが、まだ火が点いているのでとっても熱かったですよ。写真を撮りながらしっかり松明も拾ってしまいました。お守りとして大事にしますよ。

燃えさかる炎って、人間の心を刺激しますよね。

赤鬼の松明はとっくに消えてしまったのですが、こちら青鬼の松明は最後まで勢いよく燃えていました。

松明を銭塚地蔵尊のお庭に埋め、「亡者送り」の終了です。最後に、サービスカット。こんなサービス過去はありませんでした。

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