『今朝の浅草』
「明暦の大火」ってご存じですか。「振り袖火事」ともいわれている江戸城天守閣と市街のほとんどを焼失した江戸時代最大の火災が、明暦3(1657)年に起こったことを記念する日なのです。この火事は、現在の文京区本郷本妙寺より出火し、焼失区域は現在の千代田区と中央区のほぼ全域、文京区の約60%、台東区、新宿区、港区、江東区のうち千代田区に隣接した地域一体となったのです。死者は6万8000余人、幕府は、ただちに被災者への給食を行ったほか、焼けた米穀の放出、資金の下付(大名や旗本・御家人だけでなく町人も対象とした給付)などを実施したのです。
この火災を切っ掛けに、幕府は本格的な防火対策を次々に打ち出しました。まず、江戸城内から親藩御三家の藩邸を移転させ、跡地に馬場や薬園などとし延焼防止帯を設置、寺社や町人地を外堀の先か新開地へ移転、道路の拡幅、広小路や火除地の設置、茅葺きや藁葺きなどを禁止し、塗屋や蛎殻葺きなどの耐火建築を推奨、幕府では予防や消火だけでなく、火事場の治安維持にもあたる定火消制度を創設するとともに、町人に対しては、従来の措置を徹底し、町人たちの間では自主的防火組織を発足させたのです。
これが江戸火消しの原点だったのです。この江戸の文化を語る上で欠くことのできない火消文化を後世に伝えるため、現在も江戸町火消・市部消防組の後裔などによる伝統文化を保存継承する「江戸消防記念会」が残っています。浅草の祭事のたびに登場する勇壮な梯子乗りや木遣り唄、でもお馴染みですね。しかし、現在では消防機能は無く、火消の文化を後世に伝える役割だけを担っているのです。
今年の出初め式はあいにくの雨で、梯子乗りを見ることができませんでしたが、毎年5月25日には、消防殉職者慰霊祭「弥生祭」が開催され、東京中の火消し組が纏を持って浅草寺裏広場に集まるのです。87組の纏と梯子、迫力ありますよ。
それはそれとして、この時期はとっても乾燥しています。お互いに、火の元だけは気をつけましょね。
とっても冷え込んだ朝だというのに、あちこちで撮影が行われています。浅草寺本堂前で行われているのは、ファッション撮影のようです。気むずかしそうなフランス人デザイナーがデカイ声でモデルになんやかんやの注文をつけ、それを通訳が日本語で同じ調子で怒鳴るのです。“ホニャラカ▼ホニャ△ホニャ!○▲◇ガガガッジョ!”、間髪入れず“違うだろ!言われた通りの目線をしろっ!”、“*ホーミホーミ、$ボンチョ、&チョンチョンチョメ”、“そう、それで良いんだよ、かわいいね〜”。怒りは怒り、喜びは喜び、感情まで翻訳してしまう通訳の言葉を聞いているだけでも楽しい撮影現場でした。撮り終えた写真はその場でパソコンチェック、最近のスチール撮影はとっても便利になりましたね・・・。

カメラはなな、なんと、ハッセルブラッドのH2デジタルです。これ、あほまろも欲しいと思っているカメラなんです。モデルよりもカメラの方が気になってしまいましたよ。

こちらはお馴染み「浅草ふくまる旅館」、料亭の玄関で何か揉めている様子を撮影中の小野武彦さんです。いったいどんな展開になるのでしょうね。毎週月曜日が楽しみです。

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『今朝の雷門』
振り袖火事は江戸市中の7割近くを焼き尽くしたのですが、ここ浅草寺周辺だけは助かったのですが、それ以外の火災によって何度も焼失しているのです。
寛永12年(1635)に初めて建立され、同19年には焼失、その後、慶安2年(1649)に再建、明和4年(1767)焼失。寛政7年(1795)再建、慶応元年(1865)焼失。その後、何度か建てられたのでしたが、昭和35年(1960)、本格的に建立され現在に至っているのです。

“風神さん、雷門に居候”、本当の名前は「風雷神門」と「風」が最初に付いていたのですけど、いつの間にか「雷」だけが有名になってしまったんですね。

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『今朝の一写』
おはよう!下向きながら歩いていると危険ですよ。最近、こんなスタイルで歩く人が多くなりましたよね。昨日の朝、こんな格好で歩いていた女学生にモモちゃんが蹴られてしまいました。もちろん、相手は蹴るつもり無かったんですけど、歩く時はちゃんと前を見ていないと危険がいっぱいですよ。

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『今朝の境内』
宝蔵門の最初は天慶5年(942)に建立され、火災で焼失した後の記録はありませんが、雷門と同じ慶安2年(1649)に仁王門として再建されました。その後、東京大空襲で焼失し、昭和39年(1964)に再建され、名称を宝蔵門と改められました。

おや、境内の公衆便所の横に何かできるのでしょうか。工事用の囲いが造られました。

お正月飾りが総て無くなってしまった浅草寺、ちょっと寂しい光景ですね。
お酒の樽は、毎年使い回しているそうです。当然、中身の入っていないモックアップですから。
あほまろの後ろでファッション撮影が行われていますよ。
浅草神社です。

昨日の日記で、浅草神社の屋根には鬼瓦が無いと書いたところ、地元町会の青年部の方よりメールで「ウソを書くな、よく調べてみろ」とのご指摘を受けましたので、今朝、再チェックしました。ご覧のように浅草神社の屋根には、鬼瓦の変わりに三つ葉葵の紋所が付いているのです。まさか、これを鬼瓦と思っているわけじゃ無いでしょうね。写真は、あほまろの名誉のために・・・。

メールをチェックしながら歩くのは、危険ですよ。モモちゃんにつまずかれると困るので、毎日、こんな方を避けて歩いているのです。携帯電話に夢中になっていると、本当に危険なのです。以前に、冗談のような電信柱にぶつかった方を見たことありますよ。

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浅草に直接関係の無いお話も多いですが。ここは、あほまろの呟きですかね。
『今朝の余談』
今日も話題の少ない朝でしたね。被写体として面白い自転車も少なく、更に話題が狭まった日記になってしまいました。

放置自転車問題はどこの行政も悩みの種です。EXの駅の真ん前に停めているこの自転車も撤去勧告が貼られているので、すぐに持っていかれるのでしょう。台東区では、引き取りには5000円かかりますよ。

あほまろの秘密基地前で自転車コレクション。

後ろに停まっているのは、「浅草ふくまる旅館」のロケバスです。

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