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あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成18年11月10日 (金) 旧暦9月20日仏滅

- エレベータの日 -

日記


『今朝の浅草』
 秋晴れの良いお天気が続きますね。今朝は昨日に比べるといくぶん気温も高く寒さは感じません。その証拠にモモちゃんの尻尾も上がりっぱなしでしたよ。最近のモモちゃんは喜怒哀楽を態度で示すこともしなくなったので、ちょっとした動作と尻尾の観察によって機嫌を知るのですよ。人間同様に年老いてくるとケアは大変なのです。顔だけ見ているとまだまだ若くて奇麗に見えるんですけどね・・・。

 あほまろが寛永地蔵と称している三体のお地蔵さんが祀られている広場に昨年、笹の垣根が創られました。笹が育つまで立て札を建て踏まれないように周囲をロープで囲っていたのですが、南側の一部を残し他は枯れてしまいました。一時は
かなり根付いてきたのですけど、どうして育たなかったのでしょう。
 理由は単純、周りの建物と銀杏の大木のおかげで東側から北側にかけては、写真のように早朝の一時しか日があたらないからなのです。その点、南側(写真の反対側)は午後から日があたるのでかろうじて生き延びたのです。しかし、笹の性格上、ちょっとでも根付いてしまったら後は増えるだけ、そのうち、お地蔵さん広場全体に繁殖して根の処理に困るほどになってしまうのでしょう。
 以前のような無粋な鉄柵で囲まれるより、笹の垣根で覆われている方が雰囲気はとっても良くなることでしょう。

 今日は「エレベーターの日」です。明治23年(1890)11月、浅草に赤煉瓦づくりの凌雲閣(通称・浅草十二階)が建てられ、8階までは日本最初の電動エレベーターが設置されたことを記念して、日本エレベーター協会が昭和54(1979)年に制定したのです。しかし、相次ぐ故障によって僅か1年余りで使用を中止してしまったそうです。
 故障が多いので使用中止。当時はそれで良かったのでしょうけ。もしこれが現代だとしたら、シンドラ製のように大問題になっていたかも知れませんね。実際、エレベーター内部に半日取り残されたとの記録も残っているのです。

 この凌雲閣は、高さ52m、当時としては驚異的な高さを誇る八角形の高塔でした。エレベータが使えなくても、螺旋階段を徒歩で昇った眺望は抜群で、多くの作家がこの凌雲閣の魅力にとりつかれ、数々の作品に残して今に伝えています。

 田山花袋の「浅草十二階の眺望」によると、「十二階の上で見ると、左は伊豆の火山群から富士、丹沢、多摩、甲信、上毛、日光をぐるりと細かに指点することが出来る。第一に目に着くのは富士である。東海の帝王、実際屹然(きつぜん)として群を抜いている。その下にやや左に偏って、足柄群山が見える。二子山、駒ヶ岳、神山、矢倉岳の右に飛離れているのもそれと指さされる・・・」

 東京にまだ高層建築の無かった頃、さぞかし眺めは素晴らしかったことでしょう。下の写真は、完成当時の貴重な生(乾板)写真です。十二階の写真としてお馴染みの「中将湯」「仁丹」の看板が無い時代です。きっと手前の瓢箪池も奇麗だったことでしょう。
 大勢の作家や庶民を虜にした凌雲閣(通称・浅草十二階)でしたが、大正12年の関東大震災で倒壊、爆破されてしまうのでした。
   
 境内でモモちゃんを見付けたナナちゃんが飛んできました。喜んで顔を寄せてくるナナちゃんを嫌がるモモちゃんです。子供の相手をするのが煩わしいんでしょうね。モモちゃん、本当にお疲れなのですよ。
   
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『今朝の雷門』
 平日だというのに、仲見世を歩いている方が多いですね。よく見ると全員がこちらに向かって歩いて来るところを見ると、通勤通学の方々なのでしょう。
   
 おや、写真を撮っている方がいらっしゃいますよ。この方、最近よく見かけるので、きっとあほまろのように毎朝、定点観測を行っているのでしょうかね・・・。

 余談ですが、昨日、あほまろの日記
に関するご意見を頂きました。「せっかく毎朝写真を撮る努力をされるのなら、決めた場所を同じアングルで記録しなければ定点観測としての意味を成さない。私なら、もっと良い写真が撮れる。文章も的を絞って書くことができる。浅草に住んでいないのがとても残念だ・・・」。この方は、愛知県にお住まいの自称教育者。あほまろと同じ団塊の世代だそうです。「我が田舎町は、浅草のような観光地じゃ無い、被写体に恵まれず、たまの休日に使ってるだけじゃ、せっかくの高級デジカメも泣いている・・・」ですって。
 もしあほまろが田舎町に住んで居たとしても、モモちゃんと一緒に同じようなことやっているでしょうね。7年前に浅草に越して来る前、観光地じゃ無い千代田区一番町でもカメラを持って毎朝モモちゃんと散歩していたのですから。

 「定点観測」の定義からすれば、同じ場所にカメラを固定し、毎日同じ時間にシャッターを切ることをいうのでしょうけど、それを記録したところでどんな意味が有るのでしょうか。あほまろの目的は、写真を撮ることじゃ無い、モモちゃんの散歩なのです。そのついでにカメラも持って行く、そして気付いた場所を気ままに撮って楽しんでいるのです。

 本来の撮影の目的は、日記に公開するためじゃないのです。毎朝、通勤や通学の方々、観光でいらっしゃった方々、早朝からお仕事をされている方々、そんな浅草の人間模様を記録し続けているのです。もちろんそれらの写真は公開出来ないものが多いのです。

 現在、あほまろが研究している明治〜戦前までの街並みと庶民風俗の手助けになっている当時の貴重な写真や絵葉書のおかげで、失われつつある歴史の抜け穴を埋めることが出来るのと同様、今の時代の風俗と生活の記録を撮り続けることによって、数十年後、数百年後の研究者のお役になれるかも知れない。そんな想いも兼ねているのですよ。
   
  
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『今朝の一写』
 最近は、誰もが携帯電話を持つようになりました。あほまろは重たいショルダーホン時代から町中で携帯電話を使う連中の記録を撮り続けています。僅か10年足らずで大きく変わってしまった携帯電話スタイル、これからも変わり続けて行くのでしょうね。
 今朝のこのお嬢さん、携帯電話をかけながらも目線はモモちゃんです。運転しながらの電話、注意しましょうね。
  
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『今朝の境内』
 秋晴れ!
   
 秋晴れ!本堂前の石灯籠の修復も行われるようですね。この石灯籠は明治の始めに寄進された物ですが、関東大震災で倒壊し基石部分だけが新しくされたのです。
    
 秋晴れの浅草神社。
   
 狛犬も「火の用心」に一役買っています。
   
 定点観測の懸崖、浅草寺賞を頂いたのですね。
   
 花は綺麗ですが、姿はバラバラ。懸崖といえば縦横奇麗に揃っているのが価値のはずですけどね・・・。
   
 お隣の小振りの懸崖は、浅草観光連盟賞でした。
   
 鉢に植えられた菊も品評されました。これが最優秀のようです。
   

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 浅草に直接関係の無いお話も多いですが。ここは、あほまろの呟きですかね。

『今朝の余談』

 昨日の水星が昇ったばかりの太陽の前を横切る「太陽面通過」天体ショー、観音裏の住民さんから写真が届きました。あほまろの写真を見て、あまりのひどさに驚いたのでしょう。専門家が撮るとこんなに奇麗に見えていたのですね。この写真も、浅草で撮った写真といえるのでしょうね。
 日記で公開する許可をいただいたので、みなさんにもご覧いただきましょう。観音裏の住民さま、ありがとうございました。

写真をクリックすると大きくなりますよ。

解説
○水星の太陽面通過
 現在、太陽は活動期ではないため、黒点があまり現れませんが、今日は朝から一つ現れました。(1)の写真で下にあるのが黒点。右上にある黒い点が水星です。水星は太陽の1/200の大きさ。黒点より小さく、色も黒点より薄いのが判ります。水星は写真(1)の下から右上方向へ進み、写真(2)のとおり午前9時10分頃、太陽面より消えていきました。
【撮影データ】
タカハシ 口径65mm、f800mm、F12望遠鏡、ISO400
コリメート法、FinePix S2 Proボディ、国際光器製減光フィルター、
午前7時10分〜午前9時10分、シャッター1/90〜1/125

観音裏の住人 記


 写真(1)午前9時前ですね。
   

 写真(2)天体ショーのお終いは午前9時10分頃です。
   


今朝の写真
Panasonic DMC-L1 LEICA D VARIO-ELMARIT F2.8-3.5 14-50mm
OLYMPUS ZUIKO Digital 7-14mm F4 / 50-200mm F2.8-3.5
撮影枚数63枚

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