あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成18年3月11日 (土) 旧暦2月12日先勝

- 桜が接近中 -

日記


『今朝の浅草』
 春の陽気が戻ってきました。境内のソメイヨシノの芽もどんどん膨らんできました。今年の東京の開花予想は25日とされてますが、この調子じゃもっと早めに開花しそうな様子ですよ。弁天山の早咲きのサトザクラも、どんどん花の数を増しているのです。

 東京大空襲から61年目となった昨日、東京都内の各地で犠牲者を追悼する集会が開かれたことがニュースで流れています。浅草寺境内の淡島堂「平和の塔」前でも追悼集会が開催されました。また、折りからの雨にもかかわらず隅田川ほとりの戦災慰霊碑前にはおよそ50名の方が犠牲者の冥福を祈る集会も行われたのです。どんどん戦争の記憶が風化しつつある昨今ですが、今の平和と繁栄は尊い犠牲の上に築かれていること、いつまでも忘れてはいけないのでしょう。

 東京大空襲犠牲者名簿に、昨年判明分の犠牲者978人を追加。
 被災者の合計7万7762人となりました。


 最近、都内にどんどんその数を増してきた高層建築を見上げるたびに映画「タワーリング・インフェルノ」を思い出します。でも、近年の建築法によって消火設備は映画公開当時(1974年)とは比較にならないほど充実してきたことも確かです。おかげで、高層建築での火災は少なくなりましたが・・・。
 昨夜、江東区辰巳にある高さ約105メートルの都営住宅「ベルタワー」(地上32階、地下1階)の最上階の部屋から出火し、約35平方メートルを焼く火災が報じられたのです。このような高層マンションとしては始めての出来事だったようで、マスコミ各社が高層ビル火災の恐ろしさを報じていました。
 報道によると、高層階のためにポンプ車のホースが届かず、マンションの「連結送水管」に水を送り込み、31階の放水口につないだホースを消防隊員が32階に駆け上って消火したそうです。なんと、32階には放水口も設置されていなかったようです。更に、非常ベルで避難するのに、住民はエレベーターを使っていたとか。

 アメリカでは、過去にエレベータロビー付近の火災でエレベーターの呼び出しボタンが熱で押し続ける状態になってしまい、出火階より上の階からエレベーターで避難した人が出火階でエレベーターの扉が開いたままになって亡くなるという事故が頻発し、火災が起こればエレベーターは即座に地上へ降ろして運転を停止する規則になったそうです。
 安全の基準は、地面に接しているところからビルを建てて空中高く上がれば上がるほど、また、地面の下へ深くもぐればもぐるほど、危険度は高くなってくるのです。最近は、新しく建てるビルの耐震構造などだけ問題にされていますが、既存のビルの在り方、もう一度確かめることも必要じゃないのでしょうか。

 先日、都内の有名百貨店の階段室にダンボールが堆く積まれている光景を見かけました。ほとんど人が通らない階段なので、お客様はエレベータを使うものだと考えているのでしょうか。こんな状況を見付けたら利用者全員で注意するってことも必要じゃないのかな・・・。とはいえ、あほまろは横目に見て通り過ぎただけでしたが・・・。
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『今朝の雷門』
 事故でも事件でも無いのに、無人のパトカーが回転灯を回して止まっています。通りがけに中を覗いてみると、正面が写せるようにビデオカメラが設置されているのじゃないですか。こんなカメラで撮影した映像が「警察密着24時間」なんてテレビ番組になっているのでしょうかね・・・。
 週末なので、いつもより多めの人が行き交う雷門前。今朝のモモちゃんは大提灯の真下で御用の格好・・・。慌てて離れた場所に連れていきましたよ。
     

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『今朝の一写』
 弁天山のサトザクラです。まだほとんど開いておりませんが、開き始めると総てが一気に開花してしまうのです。昨年は、一夜にして満開になったのを見てるので、この調子じゃそろそろ来ますかね・・・。
  

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『今朝の境内』
 奉納提灯の枠だけ設置されましたが、まだ提灯は一個も付けられておりません。不景気風で毎回その数を減らしている提灯、今回はいったい何個の提灯が下がるのかな・・・。景気が良い頃には希望企業が多くて断ってきたことも有ったとか。
   
 浅草神社のソメイヨシノの芽です。触ってみるとすでに柔らかくなってました。
   
 あほまろは、このソメイヨシノが満開になった光景が好きですよ。
   
 こちら2色の梅は盛りを過ぎた「思いのまま」です。
   
 梅の花は完全に終わると、次は桜の写真でこのページを飾るのでしょうね。

   
   
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 浅草に直接関係の無いお話も多いですが。ここは、あほまろの呟きですかね。
『今朝の余談』
 浅草の灯が消えたのは、芸をする場が無くなってしまったからでしょうね。萩本欽一さんが率いる劇団の常設小屋だった頃の面影を残したままのパチンコ屋さん。
明治から大正・昭和を通し演劇やオペラその後、喜劇・映画と時代と共にその時代に一世を風靡した役者などを育てながら繁栄した六区の興行街でしたが、今では一大ギャンブル街となってしました。この通り添いには、競馬の場外馬券場を中止に、大型パチンコ屋さんが急激にその数を増やしているのです。また、競輪の場外車券売り場の誘致話も囁かれています。
 こうなったら、いっそのこと浅草六区をラスベガスのような「ギャンブルの街」として再開発した方が、観光の目玉にも成るんじゃないのかな・・・。なんて考えてしまいますよ。
 モモちゃんとレトロな街路灯を見ながら、今朝もくだらないことを考えてしまいましたよ。

  


今朝の写真
CANON EOS-KissDN,CANON ZOOM 10-22 F3.5-4.5他
撮影枚数65枚