あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成18年3月10日 (金) 旧暦2月11日赤口

- 勝てば官軍 -

日記


『今朝の浅草』
 寒さも緩んだ春の雨の朝です。今朝のモモちゃん、いつもなら喜んであほまろの書斎から玄関に出て来るのですが、まだ眠たいのか、雨が嫌なのか、なかなか動こうとしないのです。おまけに、玄関まで見送りに来たポーちゃんをウ〜って威嚇したりして・・・。人間同様、犬だって機嫌の悪い日も有るのでしょうね。モモちゃんはもうお婆さんだし・・・。
 今日は「東京大空襲記念日」です。1945(昭和20)年3月10日深夜0時8分、アメリカ軍のB9爆撃機344機による焼夷弾爆撃があり、死者約10万人、焼失家屋約27万戸という第二次大戦で最大級の被害を出したのです。浅草寺の境内にはその時の爪痕を残す2本の銀杏の木、今でも頑張って生き続けています。下の写真(「今朝の一写」)は、当時の五重塔の前に茂っていた銀杏の巨木で、東京都の天然記念物にも指定されていた大木です。ご覧の通り焼け跡が木肌に生々しく残っているのです。あほまろがこの痕跡に気付いて写真を撮った昭和42年頃。まだ全体が真っ黒に煤けていたのですが、風雪に曝されている間に表面は奇麗に洗い落とされ、今では内部にのみ痕跡を忍ばせているのです。
   
 もう一本は、毎朝モモちゃんが遊ぶお地蔵さんの広場
に有ります。そちらも内部を焦がした姿で未だ健在です。このように、東京大空襲の姿を今に留めているモノって他に有るのでしょうか。あの日、近所の方々はみなさん焼夷弾を避けるために境内に避難したそうです。しかし、如何に観音様境内で有ろうとアメリカ軍の攻撃は容赦なく続き、境内はまるで地獄絵を見るかのようだったと語った古老の話が、台東区の記録に残っています。
 あの日の東京地方は遅い春一番を向かえた翌日。その日も風速十メートルを超す南西からの強い風が、朝から吹いていたのも被害を拡大させたのでしょう。
 アメリカ軍はこの時期に吹き荒れる「春一番」を見方につけようとこの日の狙ったのでしょうか。また、この日は、日露戦争において、奉天の会戦で勝利をした日を記念して設けられた「陸軍記念日」でした。かつては代々木の練兵場で天皇陛下臨席の下で陸軍による観兵式がおこなわれた日でしたが、その日を狙った可能性もあるのです。

 あれから61年。平和な日本には軍隊は有りません。その変わりとして自衛隊とアメリカ軍が国の治安を守っているのですが・・・。

 何度もこの日記で書いていることですが、今日の記念日にあらためてもう一度。

 昭和39年(1964年)、東京大空襲を指揮した米国空軍副参謀長(当時)のルメイは航空自衛隊の創設と育成に貢献したとして、日本政府から勲一等旭日章を授与しました。東京大空襲で十数万の非戦闘員を残虐に殺害した張本人に、日本が国家として彼の功績を誉めたたえた栄誉を授けたのです。ルメイ空軍参謀総長は授賞に際して、僅か19年前に行った大量の非戦闘員虐殺行為に後ろめたさを感じなかったのでしょうか。普通の神経の持ち主であれば、辞退するのが当然ではないでしょうか。
 ワシントン軍事資料館には、今でも受賞を喜ぶ ルメイ空軍参謀総長が婦人と雷門前で喜ぶ姿を写した写真が飾られているのです。これでは東京大空襲の焼死者の霊も浮かばれないでしょうね。

 東京大空襲で“成功”したルメイ将軍が率いる米国は、3月12日に名古屋、13、14日には大阪へと軍民無差別爆撃の対象を広げて行く。終戦までに150前後の都市が空襲され、犠牲者は50万人に上ったのです。
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『今朝の雷門』
 平和な佇まいの雷門。今朝も早くから観光客が携帯電話で記念写真を撮っていました。携帯電話の普及によって、今では一億総カメラマン時代になってしまいましたね。そんな便利な時代にもかかわらず、あほまろは毎朝大きな一眼レフをぶら下げての散歩なのです。
     

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『今朝の一写』
 上でも紹介した、かつては五重の塔を守るように立っていた広重の絵にも登場している銀杏の大木です。内部を真っ黒に焦がしたままでも、夏になると全体を覆い尽くすほどの葉を茂らすのです。樹木の生命力というのは凄まじいものですね。
  

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『今朝の境内』
 春の「桜茶屋」の準備が出来ました。奉納提灯を飾る枠も完成し、18日の示現会を待つのみとなりました。これから桜の名所隅田公園を訪れる方もどんどん増えてくるのでしょうね。
   
   
 かつては、花がいっぱい供えられていた浅草寺境内で犠牲になった方を始め、戦争で被害を被った非戦闘員を弔うために建立された「平和地蔵尊」「東京大空襲」の記念日だというのに訪れる人も、お供えも極端に少なくなりました。これも61年の歳月があの大災害を人々の記憶から消えていったってことなのでしょうかね・・・。
   
 「東京大空襲」の悲惨な状況を写した写真の中にも、満開の梅が写っているものがあります。当時の人々はいったいどんな気持ちでこの花を見つめていたのでしょう。
   
   
 「思いのまま」に咲き誇る二色の梅。満開の盛りも過ぎ、枯れ始めてきました。
   
   
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 浅草に直接関係の無いお話も多いですが。ここは、あほまろの呟きですかね。
『今朝の余談』
 映画、「男たちのYAMATO」。父の悔しい思いを胸に、大和の沈没した現場へ向かうというところからスタートし、かつての戦友たちとの思いをよみがえらせるというストーリー展開は、これまで太平洋戦争における映画で常識だったお国のために死ぬことを美徳とすることは無く、「生きて帰ってこい」というメッセージを発しているのが新鮮でした。もちろん、大和の命運をかける決戦の前夜には、「何のために死ぬのか」をめぐる兵士たちの言い争い、「お国の将来のため」と上官が取りなすシーンも描かれてはいるのだが、何を訴えかけようとしているのかを読み解くことは、決して無駄ではないでしょう。
 この映画から、現代の戦争の形態の変化や、それにとどまらない、戦争の本質の変化が見てとれるようです。戦後61年を経ても、東南アジアの国々からは未だに敗戦国日本の責任を問う発言が後を絶ちません。「勝てば官軍」138年も前の戊辰戦争以来の会津と長州との関係、未だに地元の方々に語り継がれていることを知れば、61年前の出来事は、まだまだ記憶の新しいところなのでしょうかね。

 かつて、ベトナム戦争介入責任者の一人だったロバート・マクナマラ元国防長官は、ドキュメンタリー映画「フォッグ・オブ・ウォー」の中で、「ルメイも私も、戦争犯罪を行ったのだ。もし負けていればだ・・・」と語っていたのが、あほまろには悔しい事実でしたけど・・・。
   


今朝の写真
CANON EOS-KissDN,CANON ZOOM 10-22 F3.5-4.5他
撮影枚数67枚