あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成18年3月5日 (日) 旧暦2月6日先勝

- どぜうと美人 -

日記


『今朝の浅草』
 ちょっと肌寒い朝ですが、天気予報によると日中は気温も上がり春本番を思わせてくれるお天気になるそうです。久しぶりに晴天に恵まれた日曜日、お出かけの方も多いことでしょう。せっかくのお天気ですが、今日のあほまろは歌舞伎座で幸四郎の「水天宮利生深川(すいてんぐうめぐみのふかがわ)」。悲惨のどん底で正気を失ってゆく主人公の凄絶さを幸四郎が初役で挑むお芝居なのです。朝からワクワク、水天宮の御利益はいかに。
 今日は、明治の絵葉書を収集しているあほまろにとって忘れてはいけない記念日、「ミスコンの日」です。明治41年、東京の時事新報社が全国から良家の淑女を対象に「東京美人」を募集し、浅草の凌雲閣(十二階)において審査会が行われた日です。
 それまでは、写真のモデルといえば芸者さんや舞子さんなど花柳界の女性が主流でしたが、この日本初のミスコンテストで。これを機に、ごくごく普通のお嬢さんたちもモデルとして登場するようになったのです。
 見事1等に選出されたのは、小倉市長・末弘直方氏の四女・ヒロ子さん、学習院女子部3年に在学中でした。しかし喜ぶのはつかの間、ミスコン参加は学習院で大問題となってしまい、彼女は退学処分。その波紋は全国的に報道されてしまったことで、小倉市長だった父親も辞職に追い込まれてしまったそうです。
   
 その彼女の写真は残っていませんが、上記の女性も当時の「東京美人」の一人です。彼女の格好から見て女子学生でしょうね。「東京美人」問題が発端となって、素人美人が続々絵葉書のモデルに登場してくるようになったのです。特に、地方から出て来た女学生にとっては、良いアルバイトにもなってしたようです。こんな風潮、今の女子大生となんら変わるところは無いようですね。

 美人の記念日に時を合わせたのかどうかは知れませんが、今日は、「スチュワーデスの日」でもあるのです。昭和6年、東京航空輸送(現日本航空)が実施した日本初のスチュワーデス採用試験の結果が発表された記念日です。 当時は、「エアガール」という呼び名で募集され、2月5日に試験が行われたのでした。応募者141人、「民間航空の父」と呼ばれる長岡外史中将らによって面接が行われ、合格者は僅か3人でした。彼女たちは、4月1日から乗務を開始しましたが、搭乗機は旅客6人乗りの水上飛行機。その、あまりの狭さと薄給で、4月29日には3人全員が辞めてしまったそうです。

 昨夜は、息子たちと老舗飯田屋さんで「どぜう鍋」を食べてきました。あほまろ、好物のドジョウですが、実は、女房も息子も息子の婚約者も食べるのが始めてです。特に、女房は泥の中に住む汚いイメージしか持っていなかったのです。あんな魚は食べるものじゃ無いとの先入観、みんなで恐る恐る、でもでも、食べ始めると、それが早いのなんの、お変わりまでしてしまったのです。癖になってしまったりして・・・。
 これらドジョウ料理店などでは「どぜう」という文字が使われていますが、本来の仮名遣では「どぢやう」が正しいとされています。「どぜう」の表記は、江戸時代の商人は、「どぢやう」と四文字は縁起が悪いと、「どぜう」と書くようになったと言われていますが、島根県の民謡安来節(注:どじょうすくい)では、「土壌掬」と書かれ、発音は古来から「どじょう」のようです。「どぜう」は、江戸っ子の造語なのでしょうね。
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『今朝の雷門』
 雷門前で、アメリカから来た親子連れに写真を撮って欲しいと頼まれました。お安い御用です。撮影後にお母さんがトイレに行きたいというので、案内をしてあげたのです。待っている間、息子がガイドブックを見ながら片言の日本語で、こんなのを「ツレション」って言うんですね。“えっ、それは・・・、一緒に並んで小便をすることであって・・・”、ガイドブックのトイレの項目にそんな事まで書かれているのですよ。
 ガイドブックを見せてもらうと、もっと訳の解らない言葉が載ってましたよ。「アメション」って言葉、貴方は知ってますか?帰ってから、その意味を調べてみると、
「アメリカへ行って小便をして来ただけの奴」との意味です。目的もない短期間の渡米を皮肉った言葉なのだとか。そんなの知りませんよね・・・。三省堂の「忘れかけてゐた言葉」にも掲載されているということは、これもちゃんとした日本語だったのですね。
 恐るべきアメリカのガイドブックでした。ちなみに、雨の漏る車は「アメ車」それって、やっぱ日本語?
   

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『今朝の一写』
 境内に建つ「まよい子のしるべ石」、安政七年庚申歳三月建立と書かれていますが、これは復刻の石なのです。本物は関東大震災の時に倒壊してしまい現在は有りません。何の目的でこのような石が置かれたかというと、柱の右側には「志らす方」左側には「たづぬる方」と彫られています。その上にある四角いくぼみは、迷子やたづね人の特徴を書いた紙を貼り、それに心当たりがある人は迷子の消息を書いた紙を右側の窪みに張りました。この石碑は江戸の町に多くの人がいて賑わっていたことを物語っているのでしょう。この「まよい子のしるべ石」は、岡本綺堂の「半七捕物帖」にも登場していますよ。
 この 「まよい子のしるべ石」で有名なのが、外堀から日本橋川へ流れるところの「一石橋」が有名です。そちらは、安政四年に建立された本物ですよ。また、江戸東京博物館には「一石橋」の模造も展示されております。
  

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『今朝の境内』
 週末は朝から訪れる人が多いようです。前の犬たちはモモちゃんのお友達です。
   
 浅草神社の賽銭箱の上に、古いお札が置かれていました。こんな所に置いちゃいけないですよね。
   
 浅草寺本堂前の平和の時計です。この右側に大きな時計があるのです。九重の塔のようなスタイルはいったい何を表しているのでしょうね。
   
 2色の梅、紅梅もちょっと開いてきました。
   
 淡島堂の白梅です。
   
 
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 浅草に直接関係の無いお話も多いですが。ここは、あほまろの呟きですかね。
『今朝の余談』
 昨夜は、「どぜう鍋」を堪能したあほまろ、朝食は毎朝が立ち食い蕎麦なのです。いつもの蕎麦屋さんの近所の朝定食屋さん、ごくごく普通の朝食を提供しているのですが、モモちゃんが一緒だと入ることはできません。ここのショーケースの中は招き猫や縁起物がいっぱい詰まっていますよ。特に浅草らしいのが、お酉さんの熊手それも「吉田屋」さんの物です。う〜ん、やるな・・・。
   


今朝の写真
CANON EOS-KissDN,CANON ZOOM 10-22 F3.5-4.5他
撮影枚数50枚