あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成17年12月26日 (月) 旧暦11月25日大安

- 浅草は提灯が似合う町 -

日記


 今朝の浅草』
 赤いほっぺのお嬢さんたち4名、いつものお蕎麦屋さんに入ってきました。お国訛りの言葉でお蕎麦を注文します。お蕎麦屋の旦那が、何処から来たのと問いかけに、更にほっぺを赤くしながら“青森から”と照れくさくそうに答えています。来年から東京で就職をするため、面接にやって来たとのこと。でも、まだ採用が決定した訳じゃないそうです。
 東京は寒いでしょう、雪が無いだけ良いよ、何処に就職するの、蔵前の金属加工屋さんで、アクセサリーなんか作って原宿で売るんだよ・・・。
 彼女たちは、まだ採用が決定した訳じゃないのに、来年4月からの新生活のことで、頭の中がいっぱいのようです。
 ほとんどみんなが大学や短大に進学する時代では、珍しいことのようにも感じてしまうのですが、彼女たちの学校ではおよそ2/3が系列の大学や専門学校。残り1/3が就職希望で、家業を手伝える人以外が、東京やその他の都市で仕事を探すそうです。
 “真っ赤のほっぺの娘さんたち、東京で暮らすようになったらすぐに都会の顔になってしまうんだろうね。”
 彼女たちが立ち去った後、しみじみと蕎麦屋のご主人が呟いていました。そうでしょうね、あほまろも昭和41年、北海道の高校を卒業してすぐに出て来た東京。見る物総てが目新しくてキョロキョロしていたお上りさん。端の目なんて全く気にならなかったっけ・・・。最初に来たのはやっぱりここ、当時は大繁華街の浅草だったよな・・・。
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 今朝の境内』
 浅草出身で、老後はカナダのバンクーバーにお住まいの方より、昨日の境内の写真の中に「淡島堂」が無かったとのお叱り?メールを頂きました。このお堂は、この場所に移築される前はもっと本堂に近い所に有ったのです。そんなことより、元々この建物は浅草寺本堂が再建されるまで、仮本殿だったっていうほど由緒正しい存在。現在は、本堂から一番離れた西側に移築され「淡島堂」として、女性の守り神として親しまれているのです。
 「淡島堂」も、当然松飾りが飾られていますよ。ここが賑わうのは、針供養と放生会の時ですね。
   

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 今朝の一写』
 花やしきのタワーです。丸い輪のような椅子に乗ったみなさんが上から下まで一気に降りる快感を味わうようです。でも、このたぐいの乗り物、あほまろは大嫌いなのです。もちろんジェットコースターなんてのには死んでも乗りたく無いですよ。と、それは本物のジェットコースターのこと。速度の遅い花やしきのは好きですよ。下町の民家の軒先をかすめて通過する雰囲気は、路地で焼くサンマを盗んで一目散に逃げるドラ猫の目線になったような、とっても不思議な感覚をもたらしてくれるのです。
 寒空を貫くように真っ直ぐに立つ鉄塔。昭和45年当時は、観音裏の今の浅草寺病院の場所に、同じような格好をしてもっともっと高い、スペースタワーってのが建っていたのですよ。

   
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 今朝の街並』
 なんといっても浅草に似合うのは提灯でしょうか。昨日、あほまろの秘密基地のすぐ側の焼肉屋の正面に巨大な提灯が登場しました。どのくらいの大きさかというと、見た通りの大きさなのです。凄いでしょう。
 「昨日の午前11時ころの出来事」
 わいわいガヤガヤ、外で大勢の方の騒ぐ声が聞こえています。ベランダから下を見ると赤い半纏を着た連中が何かやっています。それを見るため歩道には大勢のギャラリー。いったい何なの?自称、浅草の情報通としては気になってしまいますよね。さっそく下に降りて様子を・・・、とは思ったのですが外はとっても寒いのです。
 そのための助手が居ましたね。助手の古麻呂に、
 亜“何やってるのか見て来い!”
 古“行って来ました”
 亜“おっ早いな、ところで何だった?”
 古“餅つきやってました”
 亜“何処で?”
 古“焼肉屋さんが”
 亜“何で?”
 古“クリスマスだからでしょ”
 亜“焼肉屋がクリスマス、そんな訳ないだろ!”
 古“で、でも、やってました・・・”

 単なる商店の売り出しで騒いでいたんだ・・・、その話題はその後すっかり忘れてしまったのです。
 その騒ぎがこの提灯のお披露目式だったのです。助手の古麻呂といったら、何をやっているかをタダ見て帰って来るだけじゃ無く、ちょっと係の人に聞いてみるってことも必要なんだよ。
 目をつぶっていては見せないけれど、近眼でも老眼でも物貰いが出来た目でも色眼鏡かけたスケベでも、こんなどでかい提灯、目に飛び込んでくるんじゃないのかな・・・。
   
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 浅草に直接関係の無いお話。ここは、あほまろの呟きですかね。
 今朝の余談』 
 以前にもこの日記で紹介した日本映画「美式天然(うつくしきてんねん)」、昨夜は横浜の BankART1929 に於いて、第二十三回トリノ国際映画祭グランプリと観客賞のW受賞受賞記念上映会が開催されました。
 会場となった「BankART 1929」は、横浜市が推進する歴史的建造物を活用した文化芸術創造の実験プログラムを実践する場所なのです。ちょうど映画の時代背景ともなっている1929年(昭和4年)に建てられた旧第一銀行のホールで開催したのも坪川監督自信の拘りだったのでしょう。約300名の方がレトロでモダンな会場を埋め尽くしたのです。
   
 トリノ国際映画祭でグランプリを受賞した時の映像を解説する坪川監督。映像に写し出されていた坪川氏、感動の涙を浮かべていました。
   
 パーティでは、坪川監督が結成した「くものすカルテット」のライブも行われました。
   
 パーティの料理にも拘りが。焼きそばパンなどの調理パンを始め、アンズジャムやのしイカなど、昔懐かしい駄菓子がいっぱい並んでいました。
   
 次はぜひ浅草でも、「美式天然」を上映したいですね。この映画と坪川監督の詳細は、雑誌「ん!?浅草」の2月号で特集いたします。浅草は日本の映画上映の原点なのですから。


今朝の写真
CANON EOS-KissDN,CANON ZOOM 10-22 F3.5-4.5
撮影枚数49枚