あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成17年12月15日 (木) 旧暦11月14日赤口

- 年賀状上受付開始 -

日記


 今朝の浅草』
 あと半月で今年も終わってしまいます。浅草郵便局前では、今日から年賀はがきの特別扱いを開始するため、宣伝のポスターや幟は出されています。昭和3年に年賀特別郵便規則が改正されて依頼、年賀状に限って差し出し印が事前に押印されるようになったそうです。郵便の押印は正式な公文書としての証明でしたが、年賀印だけは証拠能力が無いってことを正式に規定したのだそうです。
 でも、あほまろの年賀状は毎年1月1日に、窓口で正式な公文書としても通用する押印を押してもらって投函しているのです。それが本当の年賀状じゃないのかな・・・。
 今朝も寒い朝です。女房が寒いので散歩はキャンセルなので、ポーちゃんが怒っています。寒くても出かけたかったのでしょう、可愛そうに、我々が帰ってくるまで寒い玄関で待っていたのです。
 浅草寺裏の「ガザ市」昨日の朝から見るとどこの商店も、堆く積まれた在庫がどんどん少なくなっているようです。良く売れているってことなのでしょう。とあるお店の前で、七輪で暖をとっている方が手を振ってモモちゃんを呼んでいます。“シャケ喰うか?”、シャケの荒巻を切りながら七輪の上で焼いているのです。でも、モモちゃんは歯が悪いので最近は流動食しか与えていないことを説明すると、“それじゃあんたが喰え”、そこまで言われると、しかたがないですね・・・。長い間築地の魚河岸で仲買の仕事に携わっていたというそのオッちゃん、魚を見る目は確かなのだそうです。おまけに、ちゃきちゃきの江戸っ子。一度出した物は死んでも引っ込めないんそうです(笑)。朝っぱらからシャケの頭を抱えて帰ってまいりました。これどうする・・・。
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 どこのチャンネルも昨日の証人喚問での姉歯関連のニュース一色ですね。一連の建物強度計算偽造問題はそろそろ核心に迫ってきたようです。昨日は姉葉さんが一番本当のことを喋っていたようですね。それにしても、最初に質問をした自民党の議員、質問にもならないようなくだらないことを延々喋ったあげく、“回答は短めに”だって。呆れてしまったよ。あの人、売名行為以外の何者でも無かったんじゃないのかな。それに比べて、民主党の馬淵議員、総研幹部が平成設計関係者にあてて、鉄筋量を減らすように指示した手書きの文書。あっぱれでしたね。

 下の写真は特に意味は無いのですが、影向堂のお庭にただ一本の紅葉が真っ赤に染まりました。せっかく奇麗に色付いているのですが、余り目立つ場所じゃ無いので気付く方は少ないようです。
   
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 今朝の一写』
 ほとんどが落葉してしまった銀杏の木ですが、観音裏の一本だけはまだしっかりと葉を保っている木があるのです。清掃員が言ってました。“この木は、毎年最後まで葉が残っているんだよ”、不思議ですね。何の要因でここだけ散らないのでしょう。本堂の影なので、日光が充分にあたらないってことかな。しかし、このように朝日だけは充分にあたっていましたよ。この木が枯れるとお正月が来るのですって。5年以上も毎日ここを歩きながら様々な変化を観察しているあほまろでも、見逃していた浅草寺の七不思議、有ったのですね。
   
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 今朝の伝法院通り』
 いよいよ今日が、通りの完成なのです。完成といっても、施工業者が正式に納入する日を示しています。7月から始まった工事、およそ半年を費やされたのです。総工費、1億8千万円、商店街が一割負担で、残りは東京都と台東区が負担したそうです。
 これで、六区通りの芸能人通りから続く江戸の街並み。次は仲見世をはさんで反対側の商店街も考えなければいけないでしょうね。浅草には昭和の街並みが似合っているようにも思うのですけど、あまり時代が近すぎるので話題にはならないかな。そうなりゃ明治・大正ってところでしょうかね。
   
 駐車場に引き戸が取り付けられ、番屋になりました。
   
 仲見世側のシャッターの細部を除いて完成です。
   
   
   
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 浅草に直接関係の無いお話。ここは、あほまろの呟きですかね。
 今朝の余談』
 あほまろの書斎は悲惨な状態で散らかっている、いつか整理しようとの気力があったら良いのですが、なんとなく書類を積み重ねながら仕事をしている方が便利なので、汚いままで何年も存続しているのです。その証拠に、昨年、本所松坂町公園の旧吉良邸前の通りで開催されていた縁日で頂いた資料、まだ目の付くところに残っているって訳です。
 昨日は、赤穂浪士による吉良邸打ち入りの日でした。あほまろはこの日を記念して、歌舞伎座に行ってきましたよ。それも、演目は「松浦の太鼓」です。このお話しは、「忠臣蔵」の外伝で、安政三年江戸の森田座で初演されたお芝居です。
 赤穂浪士の討ち入りの前夜、俳諧の宗匠宝井其各とその弟子でもある赤穂浪士大高源吾の物語なのです。其各を取り上げているため、お芝居の謎解きとして詠まれる句。
 其各が詠む「年の瀬や水の流れと人の身は」、の付け句として源吾は、「明日またるるその宝船」と詠んだことによって、いよいよ仇討ちが決行されると判明されたのです。
 内容はともかくとして、昨日のイヤホンガイド、とっても凝ってましたよ。解説者の奥田健太郎さんが、お芝居の最中に実際に両国橋から吉良邸まで歩きながらの解説なのです。最後の討ち入りでは、吉良邸前では道路工事が行われているので、回向院まで戻ってきましたなんて、普段の歌舞伎解説では味わえない、地元の空気を感じさせてくれる中継だったのです。
 あほまろは毎月欠かさず歌舞伎を観にいってます。そして、毎回欠かさずイヤホンガイドを借りているのです。なんとなく、イヤホンガイドは初心者の物なんてバカにされる方も多いようですが、これがまたとっても楽しいのですよ。台詞や音楽の解説だけじゃ無く、その時々の話題や役者さんの情報だって知ることが出来るのです。
 討ち入りの当日に観る討ち入りに関するお芝居も良かったのですが、雪が降る中を其各が歩いて来て、ふっと立ち止まって傘に積もった雪を見る。
 「我が雪と思えば楽し傘の上」 
 さすが其各。扮した弥十郎さんの台詞、とっても感動でした。いや、歌舞伎って本当に良いですね・・・。


今朝の写真
CANON EOS-KissDN,CANON ZOOM 10-22 F3.5-4.5
撮影枚数60