あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成17年12月12日 (月) 旧暦11月11日先負

- 初雪 -

日記


 浅草寺本堂に特別な飾りが掲げられています。今日は何かの縁日なのでしょう。いつもと違う飾り、ちょっと気になるのですが、寒いので確かめようとは思わなかったよ。
 東京でも初雪が降りました。ニュースによると千代田区大手町や六本木付近では、午後7時から10分間みぞれのような雪が舞ったと報道されていましたが、ここ浅草では午後9時ころでしたかね。何かゴミのようなものが舞い降りてきたような。もしかしたら雪かな、そんな程度でしたよ。
 それでも、気象庁ではちゃんと初雪と記録されたようです。都心の初雪は平年より22日、昨年より18日早いとのことでした。今年は寒波の襲来が予想されているそうです。そういえば、福岡、熊本、佐賀、長崎市、山口県下関市などでも既に初雪を観測しているのですからね。
 そんな翌朝も冷え込んでいます。今朝の気温は3〜4度ですが、モモちゃんもポーちゃんも寒さには慣れてしまったのか、寒がる我々を余所に、そんなこと気にしないで元気に歩いてましたよ。
   
 浅草寺境内に降り積もる銀杏の落ち葉もほとんど落ちてしまい。木々の枝の間からも青空がのぞいています。空が広がったことによって、視覚的に寒さが増してきたようにも感じられるのです。いよいよ冬本番に突入したのでしょうね。
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 浅草寺裏広場に設置されていたガサ市の会場。早朝から業者の飾り付けが始まりました。このガサ市は今日から17日まで5日間開催されます。小屋がけはまだ始まったばかりだというのに、既に大きなトラックで注連縄のワラや、門松用の竹が運び込まれているのです。準備をしている業者の方々、“今年のお酉さまは良かったので、景気が戻ってきたのかもしれないね”、そんなこと言ってましたよ。お正月の飾りといっても、今では生活必需品では無くなってしまったので、景気に左右されてしまうのでしょうね。
 門松や注連飾りを飾るのは、商売をやっているお店だけです。ちょっと昔は、どこの家でも注連飾りを飾るのは当たり前だったのです。というより、どこの町会でも年末になると、三社祭同様で強制的に飾られていたのです。いつのまにか、そんなことをする町会も無くなってしまったようです。「みなさん自主的に飾りたい人は飾りなさい」こんなところにも、地域の結束が失われつつあるのでしょうね。それより、経済的理由も大きいのかな。
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 今朝の一写』
 六区の場外馬券場の周りには、競馬にやって来る人を目当てに多くの居酒屋が営業しています。そんなお店には競馬中継の衛星放送が不可欠なのです。みなさん、レースが始まるとテレビ画面に釘付けになっているのです。
 これは現代の話で、ちょと前までは居酒屋さんを回る伝達屋さんってのが居て、レースが終わると契約しているお店を回ってあらかじめ用意されている貼り紙に順位を書き込んでいくのです。また、配当が確定すると走り回る。そんな光景を良く目にしました。実は、以前に、あほまろの友人がそんなバイトをしていたことが有るのです。走り回るので体力を使いますが、契約するお店を増やすことで結構良い収入になっていたのです。
 そんななごりなのでしょう。今でも競馬新聞の連中が勝ち馬を記載する紙を配っているのです。昨日は、G1レースが行われたのでいつもより多くの競馬ファンが詰めかけたという浅草の場外馬券売り場。せっかくの勝ち馬表を貼っているのに、書かれている情報は飛び飛びです。こんな勝ち馬表も今となっては絶滅危惧されるものになってしまったのでしょうね。どこのお店でも、表を貼る板だけは有るのですけど・・・。
   
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 今朝の伝法院通り』
 工事の完成まであと3日となりました。後は、仲見世側の塗装と、作業用の道具や機材を置いていた駐車場を番屋にする作業が残るだけです。あほまろが当初考えていたイメージとは、全くかけ離れた本格派なのです。そんじょそこらのテーマパークとの大きな違いは、どこのお店も実際に営業をしているってことです。
 同様な商店街で有名なのは、伊勢の「おかげ横丁」ですが、あそこはそれ用に囲まれた一角で、どっちかというとデパートの中の展示会を大きくしたような場所なのです。これまで本腰を入れて改築した商店街は、始めてじゃないでしょうか。

 完成すると、今までは仲見世から浅草寺の往復だけだった観光客も、六区への導線としてこの伝法院通りに導かれるのでしょうね。でも、週末になると、ちょっと先では競馬新聞片手にした、一種独特の雰囲気のオッサンたちがたむろしていてるのです。そんな中を通り抜けなければいけないという現実、きれい事ばっかりじゃ、世の中は動けないのでしょうね。
   
 番屋の入り口には門が出来るそうです。
   
 最後になってしまった仲見世側の商店。下書きを終え、これから色が入るようですね。
   
   
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 浅草に直接関係の無いお話。ここは、あほまろの呟きですかね。
 今朝の余談』
   
 『そして枕橋からサッポロビイル会社の「枕橋ビアホオル」の大看板を左に見ながら、彼らは隅田公園へ入った。元の枕橋の渡に鉄橋が出来ようとして、大川の真ん中に起重機がすえられ、その真向かいに五重の塔が立っている。その緑色の屋根は、鉛色の水と町との上に浮ぶと、も早建築物ではなく、緑の植物のなつかしさだ。』
 昭和4年に発表された川端康成の「浅草紅団」の一節に登場するサッポロビイル会社。当時は今のアサヒビールはサッポロビールに統合されていたのだ。
 それは良いとして、「浅草紅団」の中に、『浅草は、東京の心臓・・・。浅草は、人間の市場・・・。浅草は万人の浅草である。浅草にはあらゆるものが生のままほうり出されている。人間のいろんな欲望が、裸のまま踊っている。あらゆる階級、人種をごった混ぜにした大きな流れ、明けても暮れても果てしのない流れである。浅草は生きている・・・』
 当時の浅草をこれまで的確に表した文章な他に例を見ない。川端康成は、この小説を書くためおよそ1年間、浅草で暮らした。実際に浅草の中に入り込むことで浅草をもっと知ろうと思ったのだが、現実は排他的な人が多く、よそ者には厳しい街であったそうだ。
 あほまろは浅草に暮らして7年目になる。川端康成より長く浅草に住んでいる。確かに最初の数年はよそ者には住みにくい街であった。しかし、とけ込む努力を惜しまなかったこともあり、結構すんなりと地域に密着してしまった自分に今となって驚く。
 浅草に生まれ住む人は、浅草は空気のような存在。当たり前にいつも浅草は有る。しかし、外から浅草を見たことは無い。“当たり前のことが何で重要なの”。昨日、とあることを調べていてそんな疑問を投げかけられた。“当たり前なら、もっと深く知識を持ってはどうだろう”と言い返えしてはみるのだが、“そんな努力はしなくても、浅草のことを調べる人は大勢いる”。結局よそ者に頼っているじゃないか。
 浅草は万人の浅草である、川端康成がいう、何もかにもが、生のまま放り出されている、浅草が好きだ。


今朝の写真
CANON EOS-KissDN,CANON ZOOM 10-22 F3.5-4.5
撮影枚数56