あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成17年11月30日 (水) 旧暦10月29日友引

- 富士山 -

日記



 浅草のあちこちに「新春浅草歌舞伎」のポスターが貼りだされ、雷門の前には今年最後の行事、納めの観音「羽子板市」の幟が並びました。明日から12月、いよいよ年末なのですね・・・。何もなく空だけが目立っている仲見世の通り、モモちゃんとポーちゃんが並んで仲良く歩く姿を、通りかかった人たちが微笑んでいましたよ。ここも明日の朝には、お正月飾りが取り付けられ、空が見えなくなっているのでしょうね。

 ここちよい木漏れ日と真っ青な空。木枯らしが吹きすさんでいた昨日とは違って、家に帰るのがもったいないような良いお天気になりました。昨日の強風で大気の埃が総て吹き飛ばされてしまたのか、雪を頂いた富士山がとっても奇麗に見えているのです。見えているといっても、今ではビルの間からかろうじて見える程度です。これも江戸時代には高い建物も無く、ちょっと小高い丘でも奇麗に見えていたのでしょう。
 北斎や広重を始め多くの浮世絵師が描いた富士山。また今月は、慶応三年に近代日本の統一の演出者、坂本龍馬と中岡慎太郎が京都近江屋にて暗殺された月です。残念なことに、維新をみることなく去っていった彼等も、この富士山を見ながら新しい日本を創造していたのでしょうね。
 富士山に向かって
手を合わせてしまうのは、日本人の証拠なのですかね。
 
 初音小路とJRAの間の浅草寺機材置き場が片付けられ、何か建物でも建てられるのか工事が始まりました。初音小路の入り口の細い路地が有るので、土地は二箇所に分かれてはいるものの、二つ合わせると隣のJRAの建物とほぼ同じ容積なのです。周りを囲っていた塀が取り払われ、全貌を明らかにした資材置き場、開放された様子を眺めていると、“浅草の一等地に良くもこんな土地が眠っていたものだな〜”
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 今朝の一写』
 二天門の前の消防署の改築工事が行われています。当初は昨年暮れに完成する予定だったのですが、地下を掘っている最中に遺跡が発見され、1年間の足踏みを経てようやく建築が始まったのです。
 いつものコースで、浅草神社に向かっていると、二天門の真上で長いクレーンが動いているのが見えています。二天門から外に出て、その様子を写してきました。クレーンが動くたびに土台がミシミシいってますよ。倒れることは無いのでしょうかね。二天門は国の重要文化財なのですよ。
   
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 今朝の伝法院通り』
 昨日の昼間から土橋さんは、靴屋さんのシャッターに取り掛かりました。下書きを見ると明治維新で賑わう浅草の表通りが描かれるようです。和服の人に交じって洋服の人や外人の姿も見えていますよ。
 昨日は下書きに沿って升目を入れ、これから下書きを写していくのです。ここはゆっくりで良いので、“完成まで三週間くらいかな・・・、最後まで生きていればね”、酸素の管を鼻に入れながら、にこっと笑うお顔、まだまだお元気ですよ。
   
 伝法院の前のコンクリートブロックが取り壊されています。こんな所にも江戸時代の拘りを見せてくれるのですね。
   
   
   
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 浅草に直接関係の無いお話。ここは、あほまろの呟きですかね。
 今朝の余談』
 坂本龍馬と中岡慎太郎、どっちが有名人なのかを問うまでもないことでしょう。でも、あほまろは中岡慎太郎の生き方と人間が好きなのです。その証拠に、息子の名前にも「慎」の字を頂いているほどです。
 ここで、彼等の功績を説いてもしょうが無いのですが、龍馬伝説の多くが史料や先行研究に依拠しない考えがまかり通っているのも確かです。龍馬に関しては多くの小説にも描かれ、それらが時代と共に尾ヒレが付いて定説のようになってしまったのです。小説は事実では無い。小説から派生したことすべてが、単なる妄想であって、ではありません。妄想ではは崩せないのです。
 あほまろは、何度も慎太郎の生家が保存されている高知県安芸郡北川村の資料館に出向き、彼が育った自然に触れながらその功績を辿っていました。中岡慎太郎を研究することで真の坂本龍馬が良く見えてくるのです。
 中岡慎太郎の命日は、浅草ではちょうど観音縁日。忘れずに毎年ちゃんとお詣りをしてますよ。


今朝の写真
CANON EOS-KissDN,CANON ZOOM 10-22 F3.5-4.5
撮影枚数67