あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成17年11月29日 (火) 旧暦10月28日先勝

- 木枯らしの音 -

日記



 “木枯らし”、晩秋から初冬に吹き荒れる強風、読んで字の如く色付いて緩んだ木の葉を、容赦なくもぎとっていく風のことです。散歩の途中にも強烈に吹き抜ける木枯らしが木の葉を振るい落としていきます。
 パラパラパラ・・・、音をたてて地面に舞い散る木の葉と吹き抜けていく風とのハーモニー、もうすぐ訪れて来る寒い冬を予感させるようにも聞こえています。それもそのはず。木枯らしをテーマとした文章に必ずといって良いほど一緒に登場するのがその「音」ですね。源氏物語の帚木では、“木枯らしに吹きあはすめる笛の音を”こんな表現も見られますよ。
 ヒューヒュー、見上げれば、まるで五線譜のように等間隔で並んでいる電線を揺らしながら辺りに金属音を響かせています。ちょっと心地よいリズム、きっと音楽家ならその音を音符に書き留めるでしょうね。
 “電線に 音符並べて 遊ぶ木枯らし”
 木枯らしも見方に付けると、寒さなんてのも忘れてしまいますね。落ち葉が敷き詰められた今朝の浅草寺境内、モモちゃんもポーちゃんも楽しそうに落ち葉を踏みつけながら歩いていました。
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 今朝の一写』
 お地蔵さんの広場にも銀杏の落ち葉が溜まっています。清掃のおじさんが集めても集めても、後から後から落ちてくる落ち葉とのイタチごっこ。でも、楽しそうな声で、“おはよう”あほまろとモモちゃんに声をかけてくれました。
 この時期は特に奇麗な落ち葉ですが、ここにも温暖化などの影響が出始めているようです。そう、最近の都会の銀杏は葉の根が緩く。ちょっとした風でも落ちてしまうようになったのだとか。木枯らしが吹きすさんでも、必至にしがみついている木の葉の姿が見られなくなってきたって訳なのでしょうかね。
 地球温暖化は、季節にも
めりはりをなくしてしまうのですね。
   
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 今朝の伝法院通り』
 昨日の土橋さんは、お蕎麦屋さんが定休日なので日中にお仕事をすることが出来たのです。あほまろが午後3時ころ訪ねると、シャッターの文字が“浅草名代の”まででしたが、最後まで完成させて帰ったのですね。
 今日からお向かいの靴屋さんのシャッターに取り掛かるといっていたのですが、今朝はまだ姿が見えません。靴屋さんは定休日なので、きっとこれから出かけて来るのでしょうね。午後にでも様子を見にいってみましょう。
   
   
 伝法院通りの仲見世寄りの一角も土橋さんの担当です。障子風の下書きは助手の方が仕上げ、これに土橋さんが絵を入れていくのです。
   
 反対側の宝飾屋さんのシャッターもそろそろ完成ですね。魚を運ぶ天秤桶に乗ったメガネのかけた大久保彦左衛門さんが描かれています。
   
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 浅草に直接関係の無いお話。ここは、あほまろの呟きですかね。
 今朝の余談』
 先日の東京時代祭には、シャッターに描かれた大久保彦左衛門さんの直系と称する方が出演していました。「一心太助」の物語で有名な彦左衛門(1560-1639)は三河の松平家の古い家臣の家に生まれ、徳川家康を守って徳川幕府の成立に多大の貢献をしたことで有名な人物です。
 しかし、彦左衛門と「一心太助」の物語は鶴屋南北の弟子河竹黙阿弥が書いた歌舞伎用の物語で世に知られるようになり、その後、講談・小説などにも書かれ、特にTVシリーズで取り上げられてからはすっかり人気者になりました。無論一心太助は架空の人物であり、“彦左衛門が天秤桶に乗って登城した”などという事実はありません。
 ただ、大久保彦左衛門が自家の歴史とともに記した「三河物語」がヒントになってこの物語が完成したとも伝えられていますが、肝心の大久保家は家訓に則って、「立身出世を望まず、訓えに忠実に生きた嫡男」を貫き通してきたとか。
 徳川家康が臨終のとき、彦左衛門に遺言を残した、「彦左衛門のわがまま無礼を許す。今後将軍に心得違いがあるときは、彦左衛門に意見させよ」、この言葉によって天下のご意見番と呼ばれた由縁なのでしょうね。
 その末孫が豊橋市に現住し、毎年東京時代まつりで大久保彦左衛門役を演じているのです。
 シャッターに描かれたひょうきんな顔の彦左衛門を見ての余談でした。


今朝の写真
CANON EOS-KissDN,CANON ZOOM 10-22 F3.5-4.5
撮影枚数63