あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成17年10月28日 (金) 旧暦9月26日仏滅

- 七五三 -

日記


 ビデオなら青空の上に「秋晴れ」とタイトルを入れたくなるほど良く晴れた朝になりました。昨日の朝の土砂降りも午後10時頃にはあがってしまったため、“あほまろの日記の中だけがまだ雨がやまないのですか”(補足説明:昨日の日記の背景は、土砂降りのアニメだったのです)そんなお便りも頂いてしまいました。朝の様子じゃ一日中降り続くような勢いだったのですから。
 一転して清々しくて暖かい秋晴れを更に飾ってくれるかのように、あちことで七五三のお詣りに行く晴れ着姿の子ども達も目立っています。子供の成長を祝い、また今後の成長を祈念して氏神様に詣でる行事の七五三、本来は11月15日と決まっているのですが、神社だって、わずか一日だけに限定すると売り上げ(?)にも影響があるとの算段なのか、今月初め頃から七五三の幟などを掲げて人集めに余念がありません。
 この七五三の始まりは、江戸時代の中頃。三代将軍家光が、息子徳松(後の五代将軍綱吉)が病弱だったことを懸念して、袴着の儀式を執り行い無事成長を祈ったのが十一月十五日だったということから始まったのだとか。その儀式によって徳松がその後健康に過ごせたことから、庶民にもこれにならった習慣が出来たのだそうです。
 しかし、なぜ七・五・三才だけなのかというと、江戸時代は医療が十分発達しておらず子供の死亡率が高かったので、節目節目で子供のそれまでの成長を感謝するようになったと書かれている文献を目にしますが、七・五・三才は医学的には節目の根拠は無いそうです。やはり単なる語呂合わせだったのでしょうね。でも、七+五+三、三つ足すと十五ですよね。それで十五日(?)なのかな。何はともあれこのように才祝いは目出度いから祝うと言うだけでなく、祝うことで目出度い未来を招来する行事であったのでしょう。
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 今朝のポーちゃん、お天気が良いのを知って、早くからストレッチしながら出かけるのを待っていました。
   
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 浅草寺境内の「菊花展」の、本来は全体が咲き揃ってから審査を行うのですが、一本咲きだけの審査結果が張り出されました。特賞とか佳作などと書かれた金紙が光っていますが、いったい何が基準で選ばれるのでしょう。見た目にはもっと奇麗に咲いているのも有るんですけどね。
 評価とは関係なしに、田原小学校の三年生が育てた菊も展示されています。そこの、メッセージボードが設置され大勢の見物客のメッセージで埋まりました。
 「田原小学校3年生が菊花展に出品しています。4月から大切に育ててきました。是非ご覧ください。なお、メッセージカードを用意しております。菊の葉にお気づきの点や感想などを書いて頂き、画びょうでお止め下さい。子どもたちの励みにもなりますので、是非ご記入をお願い致します。田原小学校3学年担任」
 そんな貼り紙と、机の上には奇麗に造られた折り紙の菊の花や、葉の形をしたメモ紙が置かれていました。子供たちが育てた菊を誉める言葉が多い中、何を勘違いしたのでしょう「青山学院に推薦入学が出来ますように」なんてのも。おいおいおい、神社の絵馬と勘違いしているんじゃないの・・・。ま、お寺の境内なので良いことにしましょうかね。
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 今朝の大懸崖(だいけんがい)
 すこしずつですが、蕾は大きくなって中から花弁の一部も見えてくるようになりました。そろそろ花を見せてくれるであろう先端の一個、昨日までの固さが無くなったので、週末には小さな花を見せてくれるのでしょうね。
   

         
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 今朝の伝法院通り
 雨が上がったので、シャッター絵の一部が完成に近づいたようです。「おおもり衣装」の絵は出来上がり、あとは白く四角に塗られた枠の中に文字が入るのでしょうね。これらの看板の制作は、営業中には作業が出来ないので、夜間や早朝に行っているのです。しかし、昨朝のように激しい雨の日も多く、予定通にはいかないようですね。
   
 浅草公会堂前の一角は月曜日には覆いが取られるそうです。今朝は、二階の窓に取り付ける濡れ縁のようなものが運び込まれていました。こんな濡れ縁に和服の女性が腰を掛けて辺りを眺めている光景って、風流ですね。完成したら、週末にはそんなサービスがあっても良いんじゃないでしょうかね。
    


今朝の写真
CANON EOS-KissDN,CANON ZOOM 28-135 F3.5/5.6 IS
撮影枚数92