あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成17年10月8日 (土) 旧暦9月6日友引

- 運動会の季節 -

日記


 東京の最高気温は30度近くまで上がる。そんな予報ですが、昨夜来の雨も上がった朝は、さほど暑さは感じません。こんな調子で本当に気温は上がるのでしょうかね。ま、寒いより暖かい方が良いでしょう。
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 朝7時をちょっと過ぎたというのに、浅草寺幼稚園の前に行列が出来ています。普通このような行列はちょっと殺気だって、みなさん無口で余所余所しいのですが、ここは知り合い同士なのかとっても和気藹々。いったい何が有るのかな。子供連れのお母さんに聞いてみました。そうか、幼稚園の運動会だったのですね。それで、みなさん敷物や携帯椅子そしてお弁当の包みのようなものを持って朝から楽しそうに開門を待っていたのですね。
 この時期は運動会の季節ですね。思い出すな・・・、実はあほまろは運動会が大嫌いだったのです。何故かというと子供の頃は肥満児だったので、当然駆けっこはいつもドンケツ、それをバカにされるのがとっても嫌だったって訳。しかし、運動会の朝は応援に来てくれる両親や親戚のためにゴザを持って場所取りをしなければいけなかったのです。自分の姿だけは見られたく無いっていうのに、“どうして朝っぱらからこんなことしなければいけないのだろう・・・”、そんな時期もありました。
 小学校6年生の時でした。あほまろは徒競走で、始めてドンケツを脱したのです。それも3等賞だったのです。両親はもちろん近所の人達の驚きは今でも忘れません。“あのあほまろが変わったよ・・・”、あちらこちらからそんな声が聞こえていましたよ。
 昼休み、賞品を持って両親が待つ場所に行くと、あほまろの努力を地域のみんなが拍手で讃えてくれました。ちょっと照れくさく、ちょっと嬉しく、母親が横を向いて涙を吹いていたのが印象的でした。その後に行われた地域対抗リレーでは始めて選手にも選ばれたのです。
 同じ地域に住む人達みんなが、住んでいる人の名前はもちろん、その特技までも熟知しているのは当たり前だったあの頃、田舎に限らず東京にだってそんな地域のコミュニケーションは当然有ったのしょう。
 しかし、あほまろの子供達が小学生の頃の運動会では、コンクリートの運動場を痛めないためなのか、場所取りは禁止。まして子供達と一緒に昼食をとるなんてことも無くなっていました。“都会では隣に住んでいる人の素性も判らなくなってしまった”、そんなことを良く耳にします。そんな状況を作り出した学校の方針にも問題が有ったのじゃないのでしょうか。ほんのちょっと昔の学校は、地域コミュニケーションの重要な場所だったはずですよね。
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 伝法院通りの江戸の街並み、第二期工事(勝手な想像です)が始まりました。すでに完成した西側から東側にかけて足場にシートが取り付けられ、工事関係者が忙しく動き回っています。前回の様子から見てここの完成は2週間後になるのでしょう。
 一方、浅草公会堂をはさんだ東側の一部分のお店も完成しました。こちらは、大きなビルなのでちょっとした軒先と、お揃いで染め抜いたのれんが並ぶだけです。その中の「もんじゃ焼」のお店のシャッターには子供達がもんじゃを焼いている光景が描かれました。この絵は、向かいのお店のシャッター絵を描いている土橋氏じゃ無く、昨夜から若い女性が一人で描いていたのです。一連の土橋氏のタッチとは異なった絵ですが、これはこれで良いのかも。今朝は、真ん前に作業用の車両が止まっていたため正面から撮影することは出来ませんでしたが、次回はちゃんと写してきますよ。
  

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 今月10日まで、「かっぱ橋道具まつり」
が開催されております。なぜこの時期に開催するかというと、10月9日を音で読むと「ドーグ」なので、「ドーグの日」と制定したのだとか。セール、パレード、抽選会など楽しい催しものが開催されますよ。詳細は、ホームページをご覧ください。


今朝の写真
CANON EOS-KissDN,CANON ZOOM 28-135 F3.5/5.6 IS
撮影枚数59