あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成17年10月5日 (水) 旧暦9月3日大安

- 新世界 -

日記


 起きあがって外を見ると、まだ雨が降っているようです。こんな朝はなんか憂鬱な気分になってしまうのですけど、モモちゃんのために散歩は欠かせないのですよ。あほまろが雨の日に困るのがカメラのレンズが濡れることです。レンズを濡らさないためには当たり前ですが、レンズを下を向けて歩かなければいけないのです。そうすると、自ずと下ばかり見て歩いているのです。歩道の石畳の間隔が短いとか、歩幅が合わないとか、くだらないことを呟きながら歩いているのです。昨年新しくなったばかりの雷門通りの歩道の敷石の形や、傷みなども気になってしまうのです。ちょっと目線の位置が変わっただけでも結構楽しいものです。今度、モモちゃんの頭に小型のビデオカメラを取り付け、モモちゃん目線も見てみたいですね。
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 いつもモモちゃんが臭いを嗅ぐバス停に2個並んで置かれているベンチに、警察の警告書が貼られています。「この物件を、この場所に置くことは、法令により禁じられており、通行者にめいわくとなっております。直ちに撤去(移動)してください。」、そんなことが書かれています。いつもバスを利用する方が便利に使っているこのベンチに、こんな警告書が貼られたのはあほまろが浅草に越して来てから始めてです。そのすぐ隣の行列が出来る肉屋さんの前に置かれた立派な造りのベンチには貼られておりません。ってことは、広告用に置かれたベンチだけが排除の対象になっているってことなのでしょう。でも、警告書には通行者にめいわくと書かれているだけじゃないですか。広告が有っても無くても迷惑には違いないのじゃないのかな・・・。
 都内各所で見かけるバス停のベンチ。あほまろの記憶で一番目にしたのが赤地に黄色の文字で「桐タンス」と書かれたベンチです。10年ほど前、「桐タンス」ベンチを求めて日本橋から銀座通り、国道一号線を品川まで4〜5時間かけて50個余りを地図と写真に記録しながら歩いたことがありました。
 「桐タンス」ベンチは、浅草の国際通りにも並んでいたのですが、つくばエクスプレスの工事が進むにつれてどんどん撤去され、最近は全くお目にかからなくなってしまいましたね。あの「桐タンス」のベンチ、今朝の警告書にあるように総てが撤去されてしまったのでしょうか・・・。みなさんもご存じですよねあの懐かしくちょっとレトロな「桐タンス」ベンチを・・・。
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 レトロといえば、花やしき前の長屋風に連なった屋根の商店街といっても、現在は理容店が一件だけ営業しているだけです。その長屋に掲げられた文字がすっかり無くなってしまった看板です。かすかに残った文字の痕跡から「新世界総合案内所」と読み取れます。その隣の看板も「新世界・・・」のような文字が見えます。
 新世界といえば、昭和34年(1959)総合娯楽センターとして埋め立てられたひょうたん池跡に開館したビルのことです。地上9階から12階は五重塔の造りで、浅草一の展望台があったビルなのです。当時新世界といえば、通天閣で有名な大阪でしたが、「皇太子殿下(現在の天皇)ご成婚を記念して浅草にも大阪に負けない新世界を・・・」、そんな当時の新聞記事も残っています。この「新世界」の内部は、キャバレー・遊戯場・食堂・宴会場・温泉などを備えた東京一の娯楽の殿堂でした。三島由紀夫の小説「百萬円煎餅」にも、この「新世界」が登場しております。
 しかし、「新世界総合案内所」っていったいどのような案内場だったのでしょうね。今でもどこの繁華街にも有るいかがわしい案内所のようなものだったのでしょうか。「新世界」の中んは、多くのキャバレーやバーなどが有ったようですからね。この「新世界」も、昭和47年(1972)に店終いをし、現在は競馬の場外馬券場になってしまいました。
 あほまろも昭和36年に、北海道から中学校の修学旅行で「新世界」を訪れているのです。もちろんいかがわしい場所じゃありませんよ。一階がおみやげ屋さんだったのです。当時の記録も記憶もまだしっかり頭の中に残っているのですよ。
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 雨の朝、カメラを濡らさないようにと下を見ながら歩いて見付けた、ひょんなことから、懐かしい浅草の歴史を振り返ることになってしまいました。モモちゃんとの散歩コース総てが、何かしらで紹介された現場そのままの空間として今でも存在しているのが、浅草の良さなのかも知れませんね。


今朝の写真
CANON EOS-KissDN,CANON ZOOM 17-85 F4/5.6 IS
撮影枚数41