あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成17年9月9日 (金) 旧暦8月6日先勝

- 旧暦も重要です -

日記


 ポーちゃんが朝から騒いでいます。“今日こそは絶対に行くんだ”そんな意気込みで、ベッドの周りを行ったり来たり、わざと女房に見えるように大げさなストレッチまでしているのですよ。そうです、このとこる雨や台風で散歩に連れていけなかったのですからね。
 ポーちゃんが一緒だと、モモちゃんはいつもより甘えるのです。あほまろがちょっとポーちゃんに優しい言葉をかけただけでも嫉妬して吠えるのです。もしあほまろが、ポーちゃんを抱き抱えたりしたらモモちゃんは怒り狂うのです。そんなわけで、ポーちゃんは女房が面倒を見るって決まり、それが我が家の掟なのです。以前、ポーちゃんが我が家にやって来た時、みんながあまりに可愛がるので、モモちゃんと同じ年のヨークシャテリアのハニーちゃんが嫉妬して、ポーちゃんに齧り付いたことが有ったのですよ。それ以来、みんな平等に可愛がってあげるようにしているのですが・・・、一番下のポメラニアンのタマちゃん、ちょっと知恵遅れっぽいので子ども達が可愛がってくれないんですよ。
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 秘密基地の並びに名古屋の味噌煮込みうどん屋さんがオープンしました。雷門通りに堂々と名古屋名物の看板にはちょっと違和感が有るのですけど、隣が韓国焼き肉ってのも許されているのだから、何が出来ても浅草の味に入るのかもね。
 開店二日目、女房と一緒に行ってみました。以前、名古屋で何度か食べたことがある味噌煮込みですが、これにも様々な種類が有り、このお店は独特の固いそば粉混じりの麺を使うのが有名なのです。
 固いうどん、どんなに固いかは食べなければ想像がつかないでしょう。我々が入った瞬間、隣のお姉さんが大きな声で文句を言っているのです。“あたしゃね、本場の名古屋で何度も食べているけど、こんな固くはなかったよ。もっと煮込んで柔らかくしてちょうだい”、知らないね、このお姉さん。味噌煮込みうどんには、大別すると、きしめんを使った柔らかいのと、このようにそば粉を使った固いのと二種類存在するのですよ。
 あほまろは好きですよ。歯が悪いっていうのに、とっても固くて、高血圧だってのに、八丁味噌と白味噌の秘伝の調合でどえりゃしょっぱくて、痛風持ちだっていうのに、プリン体こってりのうどん粉と水だけで打った生きた麺。たまらない味なのです。みなさんも浅草にいらっしゃったら、いっぺん食べてもみちょーせどえりゃーうみゃーでかんわぁ。 名古屋では、味噌煮込みうどんと言えば、この「山本屋」が超有名なのだとか。でも、ちょっと高いのが気になるところかな・・・。
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 伝法院通りの江戸の町並み再現工事、本格的に始まりましたよ。まずは全体の家の外壁を統一する作業から取りかかるようです。どんな変貌を遂げるのか、ここから目が離せなくなってしまいますね。
 浅草寺本堂前の水舎、敷石が総て取り外されて運び出されています。新しくどんな石が入るのか、こちらも楽しみですね。
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 9が重なった「重陽の節句」です。奇数は陽の数であり、陽数の極であるが重なることから「重陽」と呼ばれます。 陽の極が2つ重なることからたいへんめでたい日とされ、邪気を払い長寿を願って、菊の花をかざったり「菊酒」を飲み交わし、菊に長寿を祈る日とされています。
 なんていっても、これは旧暦のお話。今年の旧暦9月9日は10月11日です。この時期の浅草寺境内には菊の花が咲き乱れる「菊花展」の真っ最中なのですからね。これに限らず、旧暦をそのまま新暦に当てはめてしまった行事はとっても多いですね。特に、江戸期から明治初期にお亡くなりになった方の命日(忌)、お亡くなりになった月日をそっくり新暦に当てはめてしまっているので、たとえば、天保2年(1831年)8月6日67歳で江戸長谷川町の裏長屋で病死された十返舎一九。

 この世をば どりゃおいとまに せん香の煙りと共に 灰左様なら

 などと洒落た辞世の句を残し、みずから粋で陽気な最期を演出しました。ここにもちょっとした歪みが。彼の死を嘆く弟子たちが師匠を送る言葉の中に、ようやく秋風が涼しくなって・・・、とか、暑さが過ぎたという・・・。そんな表現も見られるのです。そう、旧暦の8月6日といえば、今年の新暦では9月9日、これが閏月だとしたら10月になってしまうのです。
 明治5年から旧暦を廃し新暦を導入したのですが、春夏秋冬の伝統的な行事や、二十四節気、立春、立夏など旧暦による月の決め方など、今でも生活の中には残っているのです。たとえば、浅草の演出家として有名な久保田万太郎さんは、1963(昭和38)年の5月6日にお亡くなりになっております。彼の俳号の傘雨から傘雨忌とも呼ばれています。
 あほまろの秘密基地の隣に建立された彼の石碑には、「ちょうど立夏 (りっか)の旅立ちで・・・」、そうです。その日は二十四節気を更に細分化した二至二分・八節の立夏だったのです。昭和38年当時だって、生活の中にはちゃんと旧暦が生きていたのです。
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 あほまろは、海上保安庁に勤務する鈴木充広氏の著書、「暮らしに生かす旧暦ノート」で暦による日本の習わしを学んでおります。「美しい自然をうつし、四季の移ろいを知らせてくれる旧暦。旧暦の本当の姿を知れば、古人の思いにもっと寄り添える。」
 「旧暦礼賛」ではなく、旧暦と新暦の関係、旧暦となじみ深い月との関係を通して正しい「旧暦」を知って欲しいと思って書かれたこの本、とっても生活に密着している必需品でもあるのです。お勧めですよ。


今朝の写真
CANON EOS-KissDN,CANON ZOOM 10-22 F3.5-4.5
撮影枚数43