あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成17年7月9日 (土) 旧暦6月4日先負

- ほおづき市始まる -

日記


 あほまろは早朝からスケジュールが入っているので、6時半に散歩の出発です。昨夜来の雨はあがったのですが、道路はまだ濡れていますがポーちゃんが騒いでいるので、一緒に連れていってあげることにしました。すっかり散歩に慣れてしまったポーちゃん、今日はいつもになくキョロキョロと周りの風景を楽しみながら、余裕で歩いていましたよ。
 今日から四万六千日・ほおづき市が始まった境内では、早い時間から気の早い人達がほおづきの鉢を下げて歩いてます。赤い実が付いたほおづきの鉢、見慣れない光景にポーちゃんは興味深々って感じでしたよ。
 一方モモちゃんはというと、“おやおや、また見慣れたイベントが始まったか”、って表情で、ずらっと並んだほおづきの臭いを嗅ぎながら歩いています。しょっちゅうイベントが行われる浅草寺境内、何が起こっても平静を装っているモモちゃんではありますが、今朝の目線はいつもと違って、ず〜っと上を見ながら歩いていましたよ。そして時々ポーちゃんに耳打ちで何かを教えてあげているような態度も。
 “今日お参りをしたら、四万六千日分の御利益があるんだよ”なんてこと教えているのかな・・・。
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 まだ早いので、ほとんどのお店はテントを閉じたままです。中を覗くと、どこのお見せもほおづきを運んで来た段ボールの箱が山積みされています。「長崎」、「大分」、「宮崎」等々、ほとんどが九州からやって来るのですね。確か、数日前の新聞には、“栃木の農家ではほおづきの収穫が最盛期を迎えた。9〜10日に東京・浅草の浅草寺である「ほおづき市」や、今月中旬の盆入りに向けて出荷する予定だ”、そんな新聞記事を見かけて、浅草寺のほおづき市は栃木や群馬などで栽培されたものが売られるんだ、なんて思っていたのです。
 それが、意外にも九州産が多いってのにも驚きました。帰ってからさっそくネットで地方のJA関連を調べてみると、
  『宮崎県西郷村のJA日向の集出荷場で6日、関東などへ出荷されるホオズキの検品が行われた=写真。集められたホオズキは東郷町、北郷、西郷、南郷、諸塚の4村で生産され、9〜10日に東京・浅草で開かれる「ほおづき市」にも並ぶという』
 『長崎県小佐々町では、冬場のキュウリなどの野菜の裏作として、11戸がハウスや露地でホオズキを栽培している。9〜10日に東京・浅草の浅草寺である「ほおづき市」や、今月中旬の盆入りに向けて、関東地方を中心に計約2万5千本を出荷する予定だ。』
 『大分県大田村と豊後高田市で、新盆(十三―十五日)向けのホオズキの出荷が最盛期を迎えている。東京都で開かれる浅草のほおづき市への出荷分を含め、主に関東方面に五百ケース・約二万五千本が出荷される』
 浅草寺の境内に並んでいるほおづきのほとんどが九州各地からやって来たってことなのでしょうね。“江戸時代から江戸っ子が育てたほおづきの実の締まり方でを競い合った”といわれるほおづき市、現在ではわざわざ東京まで持ってきて、九州各地のを競い合うのがほおづき市ってことになってしまったようですね。
 特に、大分県の大田村と豊後高田市では、約五万本を関東を中心に出荷するのだそうです。生物の生息ラインがどうのこうのといっていた時代では考えられないことでしょうね。そんなこといったら、雷門前の芝生も沿道を飾るハナミズキの木も、アメリカ製なのですよね。便利な世の中になって、動植物の生息ラインなんてのはとっくに消え失せてしまったのかな・・・。
 そういえば、北海道と本州とでは鳥類や哺乳類 の分布が異なることに気づき、津軽海峡が動物分布上の境界線であることを指摘したトーマス・ライト・ブラキストンさんが引いた境界線、ブラキストンラインってのもありましたね。あれって、今でも境界として保たれているのでしょうかね。
 あほまろが北海道に住んでいたころ、“青函トンネルの開通によって、本州にしか住まなかったドブネズミの種類が北海道にも入ってきた”とか、“北海度でもゴキブリが住み着いてきた”とか、新聞で読んだことあったっけ・・・。
 茨城産でも、九州産でも江戸で売られれば江戸のってことで楽しみましょう。
 注:浅草寺の「ほおき市」は、「ほおき市」じゃないようです。念のため。
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 十五夜は中秋の名月。十三夜は中秋の名月の二日前、樋口一葉の小説にもありましたね。十二夜とはあのシェイクスピアが描いたロマンチック・コメディーなのです。昨夜は、江戸歌舞伎の老舗・菊五郎が、蜷川幸雄演出で新境地に挑んだ「十二夜」を観劇してきました。
 「歌舞伎で何か新しいことを、と考えていた時、知人に『シェークスピアをやってみたら』と勧められた。喜劇性の高い話がいいかな、と思って選んだのが、この作品。歌舞伎とシェークスピアを融合するのに、下手に分かった顔もできないな、と思って演出を蜷川さんに頼みました」
 企画の発案者である尾上菊之助さんはこう語っています。父親の尾上菊五郎さんもすんなりとこんな試みを認めてくれ、歌舞伎ファンを絶対に満足させれる舞台にしたい。と始まったお芝居です。
 物語のおもしろさはもちろんですが、普段の歌舞伎では見られない舞台演出の
奇抜さが観るもの総てに大きなインパクトを与えてくれたのです。お芝居の幕開けは、なぜか客席全体にライトが充てられた中での幕開き、観客一同の驚きは舞台全体が鏡なのです。客席全体がそっくり舞台に上に写し出されているじゃありませんか。
 客席の照明が消され、照明は鏡の後ろに移ると、鏡がマジックミラーであったことに気付きます。まるで天正時代のエリザベス1世時代のイギリスに派遣された少年使節団のような格好の少年たちが、オルガンと鼓の演奏歌うコーラス、日本語では無く、また英語にも聞こえない意味不明の言葉を奏でながら物語が始まっていくのです。
 男女の双子を中心に複雑な恋の糸が絡みあう物語。詳細は、歌舞伎座で実際にご覧になってください。とっても、とっても楽しい新しい、今年始めに話題になった勘三郎襲名興業より、うんとうんとおもしろい蜷川幸雄創作歌舞伎ですよ。


今朝の写真
CANON EOS-KissDN,CANON ZOOM 17-85 F4-5.6 IS
撮影枚数60