あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成17年6月22日 (水) 旧暦5月16日友引

- 思い上がり -

日記


 梅雨入り宣言から一週間経って、ようやく本格的な梅雨がやってきました。雨の日のモモちゃんは外に出るのを嫌がって、なかなか玄関から足を踏み出そうとはしないのです。濡れるのが嫌なのは判りますが、行かないと用を足せないでしょう・・・。
 始めは怪訝な顔して嫌々歩くモモちゃんでも、2〜3分もすれば開き直ってしまい自分から率先していつもの用足し場に急がせるのです。端から見ていると、まるであほまろが犬に引かれているかのように、ぐんぐん引っ張られるのです。おかげで傘をさしているっていうのに、体はずぶ濡れですよ。体は濡れても良いのですが、カメラだけは濡れないようにとガードするのが大変でした。
 仲見世で、ずぶ濡れになったモモちゃんのみすぼらしい姿をしゃがんで撮っていると、“こんな日でもカメラを持って歩くの”、モモちゃんのお友達の柴犬ゴンちゃんのお母さん、物好きね・・・、なんて顔して急いでました。柴犬ゴンちゃんはちゃんとカッパを着ています。あほまろの目には、そっちに方が物好きに見えてしまうんだけどな・・・。
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 一日でもっとも日の長い日の夏至が過ぎましたが、梅雨の時期でもあり長いって実感は湧きませんね。普段から日が射す日中が少ない北欧のフィンランドでは夏至を祝う夏至祭なんてのが行われるようです。クリスマスに次いで2番目に大きなお祭りなのだそうですよ。そんな様子がテレビで紹介されているのを見ると、人間っていのは本能的に太陽の動きに敏感に反応する生き物だってのが判りますね。実際、日本でも古来から夏至は二十四節気のひとつに数えられているのです。いったいどんな方法で、一年中で一番昼が長く夜が短い(科学的には太陽黄経が90度)ときを知ったのでしょう。
 「陽熱至極しまた、日の長きのいたりなるを以てなり」 (暦便覧)
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 「伝法院通り」が、東京都の地域連携型モデル商店街事業の指定を受けました。その指定を受けて商店街では、今年の8月開通する「つくばエクスプレス」から続くこの通りを乗降する観光客らに、江戸情緒を味わってもらうとともに、浅草の回遊性をより高めようという計らいで、江戸時代の街並みを再現しようと取り組むのだそうです。
 「浅草伝法院通り商店街振興組合」(二十三店舗)と「伝法院通り商店会」(十店舗)でまちづくり協議会をつくり、建物の外観を改装して、瓦ぶきの屋根や白壁、のれん風の日よけや木製の看板などを設置して、江戸の街並みを演出する等々と、東京新聞に書かれています。
 でも、なぜ浅草に江戸時代が必要なのでしょう。浅草を訪れる人の中で、浅草に江戸を求める人ってどれほど居るのかな。ほとんどの人は東京の下町のいわゆるレトロを求めて街を散策しているんじゃないのかな・・・。
 あほまろは、どことなく戦後の闇市の延長のように時代の流れから取り残されたように佇む、この「伝法院通り」の雰囲気が好きなのです。これが瓦ぶきの屋根で白壁が並ぶ商店街になってしまったら、安物のテーマパークじゃないですか。それより、大正ロマンの町並みを再現した方が、よっぽど浅草らしいとは思いませんか。いや、大正でなくてもついこのあいだの浅草でも良いんです。美空ひばりの東京キッドが似合うような終戦直後の浅草・・・、せっかく「伝法院通り」に続く「六区通り」が芸人の町に生まれ変わったんですからね・・・。
 今回つくられた「まちづくり協議会」は、こうした外観などの基準を定めた景観協定を、台東区の景観まちづくり条例に基づいて、区内で最初に締結されたのです。これに伴う区の支援事業と、都のモデル商店街事業によって、事業費のうち九割の補助が都と区から出ることになるそうです。九割の補助ってみんな我々の税金からなのですよ。
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 「思い上がり」。浅草には黙っていても人が来る時代がありました。でも、まだ終わった訳じゃないのです。台東区の発表では浅草に来る観光客の人数を、毎年3000万人と発表しております。何を根拠に数えているのかは判りませんが、この数字はこの20年間全く変わっていないのです。
 三社祭や隅田川花火大会などの人出が多いのは判りますが、普段の平日に観光客が歩いているのは仲見世から本堂にかけてだけです。実際に数えたことは有りませんが、先日密集して歩いている人の状態を数えたところ、浅草寺方向に歩く人たちは10秒間に8名、雷門に向かう人が同じく10秒で7名、そんな平均でした。これでいくと一分間に48名と42名、一時間では2880名と2520名になります。
 この差、(行っても戻らない人)僅か1割ちょっとの人が仲見世以外の商店街に流れているのでしょう。
 これが週末ともなると仲見世は数え切れない人で埋まるのです。それに大きな行事を合わせると、確かに年間3000万人の数字はまんざら眉唾でもなさそうですね。それじゃ写真などに見る昭和初期の浅草の混雑ってのは想像を絶するような人出だったのでしょうね。
 “いつまでも有ると思うな親と金”そんなことわざをもじったような、“いつまでも有ると思うな客と金”、先日、浅草の「思い上がり」を指摘し、浅草以上に人が来る商店街を創ろう、そんな商店街活性化の書物を読みました。浅草の中でも、“何もしなくても客は来るのが「仲見世」”“何かをしなければ客が来てくれないのが「周辺商店街」”、そんな構図の打開策ですが、たいした内容じゃなかったような。
 先日、日本テレビの生活情報バラエティー番組に1年ぶりテレビ復帰として話題になった久米宏キャスター。過去、出演番組のすべてをヒットさせてきた「ミスター・視聴率」の異名もあった人ですが、1年間の充電をへて現場復帰したにも関わらず、視聴率が伸びずに降板を余儀なくされるそうです。あの人だから、そんな神通力があてにならないように、浅草
の神通力だって弱まってきているようです。
 人が来るので江戸の町、そんな「思い上がり」だけじゃ客は戻りませんよ。もっと謙虚になって“初心忘れるべからず”の精神で見直さなくてはいけないのでは・・・。

 伝法院通りの「瓦ぶきの屋根や白壁、のれん風の日よけや木製の看板・・・」それだけで、江戸っていえるってのも不思議ですけど。まずは、お手並み拝見ってことで・・・。


今朝の写真
CANON EOS-KissDN,CANON ZOOM 17-85 F4-5.6 IS
撮影枚数26枚