____________________________________ いよいよ三社祭が始まります。でも今朝の浅草はとっても静まりかえっている のです。祭りの当日ともなると、今までの緊張感が抜けたのか、それとも嵐の前 の静けさなのか。朝の挨拶だって昨日までは天気がどうのとか町会の半纏がどう のこうの、何か祭りの話題を話さなければ悪いかのように喋りまくっていたって いうのに、いざ当時になるとみなさんの口から祭り関連の言葉は一言も出ないん です。あまりにはしゃぎすぎて緊張感がいっきに途切れてしまったかのようにも 感じるのです。 もっとも、今日の夕方浅草6ケ町の神輿の渡御が有るだけで、その他の町会に とっては、午後から「大行列」が祭りの開幕を告げるだけなのです。どっちかと いうと明日からが本番ってところですかね。それまで鋭気を養っているのでしょ う。近所のみなさんも用も無いのに朝っぱらから家の周りをうろうろしています よ。ほうきを持ち出して普段やったこと無い玄関周りの掃除をしたりして。 そんなあほまろはというと、挨拶の中にも祭りの話題を一切出さないってこと は、やっぱり同類項なのでしょう。でも、すでに頭の中では祭り囃子が鳴り響い ているのですよ。モモちゃんだって、いつもとは違った雰囲気を感じとったのか 、なんとなくソワソワしている様子でした。 ------○------ 日本人にとって「祭」というものはいったい何なのでしょう。一言に「祭」と いっても様々なものがあります。商店街の大売り出しやデパートの祭事などにも 「祭」という言葉がしょっちゅう登場します。また、「イベント」などとカタカ ナ表記も見かけます。それらは、記念・祝賀・宣伝などのために催す集団的行事 であり、三社祭のような神を祭る儀式である祭祀・祭礼とは意味が異なるのでし ょう。 祭礼は古来から神事として行われてきたのです。いわゆる宗教儀式のひとつで す。いわゆる日本教の信者たちによって代々伝えられ、氏子たちの「無業息災」 ・「家内安全」を願って、氏子たちみんなが参加できるのが「祭」だったはずで す。 先日中国で起こった反日デモの時に、参加者全員が叫んでいた言葉に「愛国無 罪」ってのが有りました。それとはちょっと意味合いが違うのですが、「祭」だ けはなんでも有りの無礼講だったのです。しかし、三社祭では警察の厳しい規制 で、たとえ氏子で有っても、決められた人以外は神社の境内は入ることも出来ず 、それでいて氏子以外の同好会なる連中には入場を許すことが平気でまかり通っ ているのです。 これじゃ本来の「祭」とはいえないのではないでしょうか。浅草に住み、浅草 を愛する人達の氏神さまなのですから、氏神さまが氏子町内を渡御するため、お 出ましになる大切な「宮出し」だけでも、氏子だけが行っても良いのではないで しょうか。 他の神社ではそんなの当たり前なのですけどね。 そうなると、過剰な警備も大量の警察官も不要です。氏子のための「祭」本来 の姿に戻れると思ってしまうあほまろの考えは間違いなのかな・・・。 「祭り上げる」という言葉、一般的には、“まわりの者がおだてるようにして ある地位につけること”をさす言葉として使われていますが、本来の意味は“尊 いものとしてあがめる”ことなのです。その始まりはというと、“氏子が氏神さ まを祭(祀)り上げる”ことから「お祭り」になったのですよ。 ------○------ あほまろの予定は、午後から東京浅草組合(見番)前を出発する「大行列」を 追いかけ、浅草神社境内の神楽殿で行われる奉納舞踏の撮影をします。そして、 夕方から観音裏の草津亭で、三社祭りの時にだけ披露される浅草芸者さんたちの 「くみ踊り観賞の集い」に参加してきます。 今年は浅草の念願だった「つくばエクスプレス」(第三セクターですが、旧国 鉄)が開通します。開通は8月24日、これによって人の流れも大きく変わるこ とでしょう。三社祭の三日間は久しぶりに良い天気で向かえることができそうで す。浅草にとって、かつての賑わいを取り戻せるチャンスの年の三社祭、大いに 盛り上がることでしょう。
今朝の写真 CANON EOS-KissDN,CANON ZOOM 17-85 F4-5.6 IS 撮影枚数49枚 ____________________________________