平成17年3月7日 旧暦1月27日先負

- 浅草の音頭が -



____________________________________
 とっても冷えています。一昨日降り積もった雪がまだ残る浅草寺境内には、場
違いな連中が大勢集まっています。旅行者でも無くホームレスでも無く、その数
およそ6〜70名、そのほとんどが無骨で恐そうな中年の男性なのです。みんな
黙って寒そうに佇んでいます。不気味な団体です。
 こんなのってとっても気になりますね。モモちゃんが連中の方に歩いて行きた
かったかのようにそっと近づいてみました。なんとなく消化不良のような感じで
帰るのは悔しいので、勇気を出してみんなからちょっと離れた場所にいる、もし
も殴られても痛くはなさそうな、ひ弱な感じのおっさんに恐る恐る聞いてみたの
です。
 な〜んだ、テレビドラマのエキストラなんですって。どうりで団体のようでも
みんな余所余所しかったんですね。これから浅草演芸ホールで寄席の撮影が行わ
れるので集められたのだそうです。それも、わざわざ千葉からやって来たってそ
の人は言ってましたよ。昨年の秋に会社を定年退職をして、友人の薦めでエキス
トラの派遣会社に登録したのだそうです。“俺は、今までに武田鉄矢や西田敏行
とも共演したんだよ、いつも孫と一緒に自分が出演しているテレビを観るのが楽
しみでやっているんだよ”、これも仕事なのですね。でも、“共演”って表現、
こんなのに使って良いのかな・・・。
------○------
 浅草には様々な顔があります。様々な人が様々な目的でやって来る観光地です
。週末になるとどこからともなく集まってくる競馬の場外馬券場にの人々、人の
少ない平日を狙って行われる映画やテレビのロケ、今でも東京観光という目的に
は欠かすことができない観光地の一つとやって来て必ず雷門前で記念写真を撮っ
ている観光客、お金さえ払えば提灯記事を書いてくれる、ルルなんたらとか、ル
ックなんたらとかいうガイドブックに割引券が付いているって理由だけでやって
くるニワカグルメ。地元の連中は誰もが認めていないような店にも行列が出来て
しまうのです。それも、提灯雑誌に特集が組まれたその月だけ。
 「有名な店が有るから人が来る」、そんな浅草の時代はとっくに消え失せ、今
では「人が来るから店ができる」、そんな雰囲気も漂うまるで映画のセットか、
今朝のエキストラのようにも思えるのです。よって、料理の内容は浅草でなけれ
ば、そんな内容は無いのです。しいていえば、浅草なので“お足が高い”っての
が最大の特徴かな。
------○------
 誰が言い出したのかは判りませんが、そんな浅草に、新しい音頭が欲しい。そ
の音頭が完成し、昨日発表会が行われました。浅草の中心部の浅草西地区商店街
協議会が合同で行ったこのお披露目イベントは、午後1時から4時まで主な商店
街7カ所に儲けられた特設会場で行われたのです。
 「浅草音頭」
 作詞:東海林良(写真右、あほまろの知り合い)
 作曲:世志凡太(写真左、浅香光代の旦那)
 振付:若旅かずこ(元SKD)
 歌 :久保田健司 山中明美(写真中央の二人)
 浅草音頭は春夏秋冬と4番構成で、その中には浅草の風俗を始め年中行事がび
っしり詰め込まれているのです。歌詞を見て驚いたのは、よくもまあここまで詰
め込んだと思えるほどギッシリ詰まっているのです。たとえば春の項では、

 春の浅草 千本桜
 ジャズも流れる 屋形船
 オペラ かっぽれ ノンキ節
 演芸 踊り子 振り袖さん
 下町 浅草 大衆の街
 心躍らす 心躍らす 江戸の華
 
 こんな調子で続くのです。あほまろはお披露目イベントを三カ所付いて回って
三度続けて聞いたのですが、詰まりすぎっていうか、脈絡が無いというか、聞け
ば聞くほど浅草っていったい何なの・・・、そんな疑問を感じてしまったんです
よ。それに、帰ってから歌詞を見ても三度も聞いたっていうのに、メロディーが
全く浮かんでこない。ただ、曲の途中に入る“セイヤ、セイヤ”のかけ声だけ覚
えているだけ、何故かを考えてみると、各節の後に同じ部分を繰り返す、いわゆ
るリフレインがないんです。音頭っていえば、一番重要なのがこのリフレインで
は無いでしょうか。
 たとえば有名な「東京音頭」の“♪サテ、ヤートナソレ、ヨイヨイヨイ、ヤー
トナソレ、ヨイヨイヨイ”、オッとちゃんもオッかちゃんも・・・って続くやつ
です。詰め込むのも良いですが、そこんんとこちょっと考えて欲しかったな、東
海林さん。踊りは楽しかったんですけどね。
------○------
 昨日、「エノケンの生き証人」として知られた作家の吉村平吉さんが、自宅マ
ンションで死亡していたのが発見されました。あほまろが参考にしている、昔の
浅草や吉原など、賑わっていた頃の歓楽街の喜怒哀楽を描き続けてきた作家なの
です。
 浅草から花が無くなったのではない、浅草の花が育つ土壌が枯れてしまったん
です。これも化学肥料を大量に蒔きすぎたんでしょうかね。生前、吉村が語って
くれたことを思い出します。享年84才、台東区竜泉のマンションで一人暮らし
だったんですよ。ご冥福をお祈り申し上げます。
 浅草には化学肥料は似合わないのです。古賀メロディーやお座敷ソングのよう
に、もっともっと泥臭さくても粋な香りが漂っていなければならないのは・・。

今朝の写真
SONY DSC-F828
撮影枚数22枚
昨日の浅草音頭
CANON EOS-1 DsMK2
撮影枚数279枚
____________________________________