平成17年2月23日 旧暦1月15日先負

- 春一番 -

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 春一番がやってきたようですね。ちょっと生暖かいようでもまだ寒いようで、
そんなのが春の予感なのでしょう。時々強く吹き付けてくる風で浅草寺境内には
低い金属音が鳴り響いています。いったい何の音なのでしょう。あちこちを見渡
してもそれらしい音源が見あたらないのです。耳を澄ましてその位置を確かめる
と、なんと五重塔の屋根の軒先にぶら下がっている鐘のようなものが鳴っていた
のです。
 この鐘は、五重塔の総ての屋根の四方に取り付けられているので、その数50
個。これらが一斉に鳴り響いているのです。下から見上げるとたいして大きくは
見えないのですが、屋根に止まっているハトよりはるかに大きいようです。こん
なのがガランガランと鳴っている今朝の境内、春を告げているかのようでした。
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 春一番を調べてみると、「南よりの風の正体は太平洋上の暖かい空気ですから
、春一番は暖かい南よりの強風なのです。」、そういえば、天気予報の森田さん
が西高東低の気圧配置が反時計回りで南高北低になった時に春一番が吹くのです
。そんなこと言ってましたね。
 春一番が吹くと、「三寒四温」(寒い日3日,暖かい日4日)をくり返しなが
ら冬は遠ざかっていくのです。
 あほまろはこんな季節の変わり目になると決まって風邪をひくのです。それも
、とっても重傷なんです。おまけに、近所の薬局のセールで5箱350円のティ
ッシュ、一束じゃ足りなくなってしまうんですよ。おかげで、鼻の周りはガバガ
バ、これもあほまろの風物詩、春一番なんですね。
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 東京大空襲60周年の今年、あちこちで様々なイベントが行われるようです。
先日も紹介しましたように、浅草公会堂では、海老名香葉子さんの被災体験語る
「平和のつどい」と共に、「東京大空襲資料展」が開催されます。この資料展は
毎年この時期に開催されております。会場に設けられた談話室では、当時被災に
遭遇した人達が当時の様子を生々しく語ってくれるのですが、あの惨事から60
年も経過してしまった今となっては、当時を知る人もどんどん少なくなっている
のです。
 台東区では、そんな方々の戦争経験をまとめた書籍なども刊行しておりますが
、読むと聞くとでは大きく違う悲惨な戦争と卑劣な行為の数々。思い出すだけで
涙が出てくるのです。
 あほまろの師匠、三遊亭圓歌も東京大空襲の経験者です。当時、鉄道高校の学
生で、新大久保の駅で空襲に遭遇したのです。「今、思えば東京中が花火大会で
も開催しているかのように綺麗だった。でも、あの炎の下ではいったい何人の人
が苦しんでいるのだろう。人生は花火のようにパーッと咲いてパーッと散る、パ
ーッと咲けずに消えていってしまう花火もあるね。大きく咲いても、小さく咲い
ても、どちらも消えていく運命は同じなんだよ。消防車も居なく消す人も無く、
焚き火のように燃えるにまかせている家々を避け、道路に点々と転がっている死
体を除けながら向島の家にたどり着くまでの数時間、始めて人生なんてのを考え
たんだよ・・・」酒を飲みながら当時のことを語ってくれたのです。
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 あほまろが毎朝お参りしている浅草寺境内のお地蔵さん。ここにも毎月やって
来ていたおばさんが居ました。あの大空襲の夜、ここに避難して生後間もない息
子を失ったといっていました。今は埼玉に住んでいるのですが、毎月の命日には
ここにお参りに来ていたのです。でも、この半年以上もお目にかかっていないの
が気がかりなのです。
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 今朝の写真の銀杏の大木。戦前までは五重塔の前で都の天然記念物として有名
でした。しかし、東京大空襲で上部が燃え落ちてしまいましたが、まだ生きてい
ます。でも、幹の中を覗くと真っ黒に炭化した燃え跡がまだ生々しく残っている
のです。こんな木こそ、戦争の生き証人として再び天然記念物に指定されても良
いのではないでしょうか。

今朝の写真
SONY DSC-F828
撮影枚数16枚
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