寒いですね・・・。モモちゃんは震えっぱなしで歩いていましたよ。天皇誕生 
      日の今日、都営バスが日章旗を掲げて走っています。昔はどこの家の玄関にも旗 
      を掲揚する金具が取り付けられ、祝日の朝はみなさんが国旗を掲揚して祝ったも 
      のですが、最近では全くといって良いほど見あたらなくなりましたね。 
       国旗を掲揚している家を今日の写真に使おうと、いつもの散歩コースをちょっ 
      と延長し、民家の多い観音裏の柳通りを歩いてみたのですが、全く見あたりませ 
      ん。しかたが無いので都営バスの日章旗を載せてみましたが、ちょっと貧弱でし 
      たね。 
       何はともあれ、天皇陛下71歳の誕生日おめでとうございます。 
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       世の中、「日の丸」掲揚、「君が代」斉唱がいろいろと問題になっています。 
      でも、国際社会の中で主体的に生さていく上での日本人としての自覚を培うため 
      には、日本の国を示す表示としての国旗は絶対に必要なものなのです。先の大戦 
      で日の丸と君が代の下に自由を奪われた人達にとっては抵抗を覚える人々がいる 
      ことは判りますが、どんな意匠であれ国の印としての国旗は無くする訳にはいか 
      ないのです。 
       日の丸は、明治3年の太政官(明治政府の最高官庁)布告の「商船規則」に基 
      づいて寸法と様式が決定され、正式に日本の国旗となりました。しかし、紆余曲 
      折を経て今に至っているのを忘れてはなりません。 
       その一つに、明治政府樹立直後、フランスより正式な政府代表を立てて明治新 
      政府に対し、「日の丸を500万円(現在の価値でおよそ2000億円)で我が 
      国に売却して欲しい」と依頼してきたのです。財政が困窮している中で、新しい 
      国家創りに奔走していた新明治政府にとって、提示してきた500万円は喉から 
      手が出る程欲しい金額でした。 
       しかし、江戸幕府が「日の丸」の幟を日本惣船印に制定し、新政府も正式に国 
      旗と承認した矢先でもあり、「国旗を売り渡す事は、国家を売り渡す事と同様」 
      としてその要求を断った経緯もあるのです。当時、500万円の誘惑を断ち切っ 
      て国旗「日の丸」を守った明治の先人達が、「日の丸」反対を叫んでいる連中を 
      草場の影から嘆いているでしょうね。 
       あほまろは国粋主義者ではありませんが、日本人として当たり前に「日の丸」 
      が大好きな人間なのです。  
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       浅草の街はすっかりお正月の雰囲気になってましりました。雷門と本堂前の松 
      飾りも完成し、後は浅草神社の飾りですべてが揃うのです。公園通りや五重塔通 
      りでも松飾りの取り付けが行われています。そしてクリスマスを過ぎたころ、各 
      町内では一斉に注連縄や松飾りを売るガサ市の屋台が造られ、新年に向かってイ 
      ッキに時間を進めるのですね。 
       来年は終戦60周年の節目の年です。憲法改正問題、北朝鮮、中国台湾問題な 
      ど様々な懸案を持ち越した新しい年、いったいどんな年に成るのでしょうね。 
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