収穫の秋ですね。我が家の近所の柿の木も大きな実が色鮮やかになってきまし
た。渋柿なので誰も獲っていく者はいないのですが、あほまろだけは毎年この実
の成長を撮っているのですよ、なんてのは語呂合わせ。
浅草という大都会の中でも、このような柿やミカン、ザクロ、びわなんて植物
を見ることができるのです。どれも観賞用として植えられているのですが、いま
ごろからの変化は著しいですよ。こんなのを見ながら、“収穫の秋だな〜”なん
て、都会に住みながらも季節の節目を知れるのです。
あほまろが子供の頃に住んでいた北海道狩太町は、ジャガイモ(男爵芋)の名
産地です。この時期になると収穫のために農家の子ども達はみんな学校を休んで
お手伝いをしていました。
あまり大勢が休んでしまうと、学校に残っている子ども達も拍子抜けです。そ
んな時はクラス全員でお友達の畑にいも堀のお手伝いに行くのです。掘り出され
て畑に積まれたイモを、大きなカゴに入れて一カ所に集める作業です。泥だらけ
になりながら日没までお手伝い。仕事を終えると、友達のお母さんが煮てくれる
収穫したばかりの自然の恵みを、おなか一杯味わったのですよ。
あほまろの故郷はその後町名をニセコ町と変更され、農作業もどんどん機械化
されていきました。久しぶりに訪れた収穫の時期、広い芋畑の中で、芋を掘り起
こして後の荷台に積み込むまでを総て自動でこなすトラクターが一台だけで作業
をしていましたよ。今は、収穫の時期に学校を休んでお手伝いをする子供なんて
いないのでしょうね。
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浅草神社の社殿の前で育てられていた稲(でしょうね)が刈り取られてしまい
ました。何か神事で使うのか、社殿の下で乾されています。確か、神嘗祭(かん
なめさい)とか新嘗祭(にいなめさい)とかってのは、もう少し後だったと思う
のですが、ここで栽培されていたこの稲のようなものには、全く実が入っていな
かったのです。
神嘗祭(かんなめさい)というと、本家の伊勢神宮では、年間1800回以上
もあるお祭りの中で、最大の重儀なのです。9月の末から10月15日まで、豊
かな恵みに感謝し、皇室の安泰と国民の幸せを祈る祝詞は、微音で神様だけにお
聞かせするという祝詞は、神秘の空間なのだとか。
また、新嘗祭(にいなめさい)は、明治以降11月23日と定められ、その年
の新穀から作った、米、粟のご飯と粥、白酒と黒酒を供え、天皇がそれを食す儀
式だそうですよ。
我々庶民には関係の無いお祭りですが、この時期になると色々と初物が店頭に
並びます。「初物を食べたら、東を向いて笑いなさい」それで、75日長生きで
きるのですよ。そんな諺もありますね。笑うから長生きできるのか、長生きでき
るから笑うのかは判りませんが、風水から東が良いとされ、75日は人の噂と同
じ期間、そのようにして、初物を10個食べたら2年も長く生きられるのでしょ
うかね。75日とは、長い様で短い時間って意味なのでしょうかね。
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浅草寺境内では、テレビの撮影が行われております。テレビや映画の撮影なん
てのがしょっちゅう行われている浅草を歩いていると、“あのドラマは何処で撮
影したの”とか、“テレビに出ていたお店は”なんてことを良く訪ねられます。
特に、昨年の春から夏にかけて放送されていたNHKの連続テレビ小説の時には
毎日といって良いほど聞かれましたよ。
ついこのあいだも、映画の名前は忘れましたが、“大きな耳のなんたらのなん
たらが走っていた場所・・・”、ん!、そんなの知らないよ。映画を見た人には
なんたらがなんたらでは無いのでしょうが、知らない者にはなんたらですよ。
そんな連中のために、浅草一帯に、映画やテレビのロケ地を示す看板があった
らおもしろいとは思いませんか。それを見ているだけで、映画の名前も覚えるっ
て訳、なんたらだって実態を持つのでしょう。実際、あほまろだってマイナーで
すが、二度も浅草で映画を撮っているのですから、思い出の場所もたくさんある
んですよ。
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