平成16年(2004)9月9日 木曜日

- 退院の朝 -

 中国では、奇数は縁起のよい陽の数とされ、一番大きな陽の数である九が重な
る今日は、「重陽の節句」といわれ、平安時代には「重陽の節会」として宮中の
行事となり、江戸時代には武家の祝日にもなっていたおめでたい日なのです。
 明治時代までは庶民のあいだでもさまざまな行事が行われていたそうですが、
残念ながら今では私たちの日常生活とは縁遠くなってしまったようです。でも、
我が家ではお赤飯を炊いてお祝いしなければいけない日になりました。そうです
、モモちゃんが退院する日なのです。
 先週の土曜日から調子が優れなかったモモちゃんは、月曜日に緊急手術をして
子宮を摘出したのです。その後、みるみるうちに回復し、お家に帰りたいと泣い
ているようです。今朝はまだ逢っていませんが、昨日のモモちゃんは、いつもの
だだっ子に戻って、病院の先生を困らせていましたよ。
 これでまた明日から一緒に散歩ができるのです。良かった良かった。あまり無
理をしないように歩きましょうね。いつもモモちゃんにナルトをくれるそば屋さ
んのおばさんも心配してましたよ。
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 モモちゃんが入院してからも毎日浅草寺境内の散歩は欠かさなかったのですが
、いつものように変化の観察なんて頭は働かず、どうしても元気な愛犬を連れて
いる連中にだけ気をとられてしまうのです。
 でも、今日はモモちゃんが帰ってくる日、そんな心の余裕から周りを眺めてみ
ると、二天門前の日本堤消防分署の建て替え工事現場に異変が・・・。なんと、
埋蔵文化財の発掘調査が行われているではありませんか。ただの工事現場である
かのようにテントで覆われていたので、全く気付きませんでした。看板によると
、この発掘調査は今年の5月30日〜10月31日まで行われるとの表示がされ
ています。テントを剥がす準備をしている係員に聞いてみると、消防署を取り壊
した際、地下2〜3メートルのところから古い建物の基盤が見付かったとのこと
です。モモちゃんが入院するよりも、ず〜っと前から調査が行われていたではあ
りませんか。何で今まで気付かなかったのでしょうね。
 浅草がまだ浅芽ケ原と呼ばれていたころ、檜前浜成、竹成の兄弟が江戸浦で漁
をすると一体の観音像を感得し、この地の豪族、土師中知にお見せする。すると
、その像は、聖観音の尊容であることがわかり、奉安して礼拝供養に生涯をささ
げた・・・。浅草寺縁起に記載された頃の本堂遺構だとしたら・・・。この現場
から、古い瓦や素焼きのかわらけなども多数見付かっているそうです。
 浅草の縁起、推古天皇三十六年(628年)頃のものだったとしたら、これは
大発見と思ってのぞき込んでいると、調査をしている人は、どうも江戸初期の遺
構らしいなんていってました。それにしても、関東大震災や戦火によって総てが
焼け尽くされてしまった表面とは違い、地下2〜3メートルで江戸初期が静かに
眠っていたとしたら貴重な文化財には違いがないのです。そのうちに、教育委員
会より何かの発表があるのでしょうね。楽しみです。
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 「飢餓海峡」「五番町夕霧楼」などで、人間の宿命とあわれさを見つめ続けた
作家の水上勉さんがお亡くなりになりました。彼は、80才を過ぎてからパソコ
ンを勉強し、「電脳暮らし」でも話題になった作家です。数年前、日経主催の講
演会で、「電脳暮らし」のお話をお聞きしたことがあります。あの年で、専門用
語を交えたお話に驚いたのを今でも懐かしく思い出します。
 ヴェルサイユ条約締結の年の、大正8年 (1919)生まれ。死因は肺炎。享
年85歳でした。ご冥福をお祈り申し上げます。

今朝の写真
SONY DSC-F828
撮影枚数14枚