平成16年(2004)9月3日 金曜日

- ピーちゃん -

 とっても爽やかな朝です。モモちゃんの足取りも軽やか、普段はすれ違う犬た
ちに見向きもしないモモちゃんですが、今朝は自分から挨拶に寄っていくのです
よ。とっても気分が良いのですね。
 今朝もいつものそば屋さんで朝食です。家では女房が朝食の用意をして待って
いるのですが、そば屋さんのおばちゃんと目が合うと挨拶だけで通り過ぎる訳に
もいかず、また、モモちゃんも強引に入ろうとするのです。そんな時は女房に電
話、“用意してたのに!”、なんてお決まりの怒りに絶えて・・・。
 あほまろの好物は「きつねそば」です。何も言わなくても、おばちゃんが作っ
てくれます。そして、モモちゃんのために「なると」をいっぱい乗せ、大好物の
「ネギ」を山盛りかけて食べるのです。
 木の上でスズメのピーちゃんがこっちを見ています。でも、隣には他のお客さ
んがいるので警戒して机の上には上がってきません。こっちを見ながら木の上で
、ピーピー鳴いているだけなのです。可愛そうなので、長めのおそばを一本地面
に放り投げてみると、それを遠巻きに地面に降りてきて、周囲を見渡しながらチ
ョコチョコ歩いて来るのです。その仕草がとっても可愛いんですよ。
 ピーちゃんは。そばを数ミリ頬張ってから、それを持って飛んでいってしまい
ました。いつものように巣で待っている子供たちに持っていったのでしょね。あ
ほまろとモモちゃんは食べ終わって再び境内の戻ると、我々の目の前をピーピー
鳴きながら行ったり来たりのピーちゃん。きっとお礼をいってるのですよ。
 でも、ハトが餌で人間になつくのは知ってましたが、すずめが人の顔を理解す
るとは思いませんでしたよ。今ではピーちゃん、ちゃんと我々を認識しているか
のようですよ。またあげるからね・・・バイバイ!
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 つくばエキスプレスの開通が来年8月15日と決まったようです。地下30メ
ートルに出来る浅草駅もそのほとんどが完成し、現在は内装工事が行われている
ようです。駅の内装は「お祭り」をテーマとし、壁面一帯が有名画家のお祭りの
絵で覆われているのだそうです。そんな話を聞くと野次馬根性むき出しのあほま
ろ、さっそくツテを辿って完成前に見学しようと思ってますよ。
 明治16年(1883)、当時は私鉄だった日本鉄道会社が現在の上越線の元
になった、上野ー熊谷間に鉄道を走らせました。当初の予定は浅草ー熊谷間を予
定していたのですが、浅草の住民の猛反対によって上野の寺町に協力を求め、寺
院を移動して上野駅を建設したのが始まりです。
 現在のJR線路を見ても一目瞭然、本来は大宮方面から真っすぐ浅草方面と予
定していたのが、猛反対にとって変更せざるを得なくなり、鶯谷付近からほぼ9
0度曲がって上野に入っているのが地図にも見てとれます。日本鉄道会社の予定
図では、ちょうど今の寿4丁目の交差点付近が浅草駅で、そこから蔵前、浅草橋
、人形町を通って東京駅に入っています。
 当初の計画通りで推進していたとしたら、浅草はもっともっと発展したのかも
知れませんね。そんな過去の反省も兼ね備えた今回のつくばエキスプレスの浅草
誘致、第三セクターでの運営とはなりますが120年ぶりに旧国鉄が入ってくる
ようなもの。地元の期待は大きいのです。
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 六区の浅草名画座に、「昭和残侠伝」のポスターが貼られております。昭和4
0年の映画なので、後ろに写っている雷門の提灯は初代の大提灯ですね。初代の
ものは、ポスターでもお解りの通り今の楕円型じゃなく丸形に近かったのです。
 この映画、太平洋戦争終結直後の浅草露天商が、新興やくざが牛耳る縄張りの
中で、売上げ、場所代を組織に納めさせようとする連中を戒めるために正義(?
)のヤクザが立ち上がるって内容です。当時の闇物資や統制品の横流れにささや
かな商品の糸口を求めていた連中の苦労がけっこうリアルだったり、当時の境内
や屋台が参考になる映画ですよ。
 でも、一つだけ言わせてもらうと、戦後の動乱期(昭和21年当時)は、まだ
雷門は無かったんですけど・・・・。そんなのどうでも良いことでしたか。

今朝の写真
SONY DSC-F828
撮影枚数26枚