今年一番の暑さになるそうですよ。浅草寺境内のツツジの花が初夏の日差しを
受けてキラキラ輝いています。普段花など興味のないモモちゃんも、今朝の輝き
が気になるのか、ツツジの花を一つ一つ臭いを嗅ぎまわっていましたよ。花の蜜
を吸いに来るミツバチを避けながら、モモちゃんはモモちゃんなりに夏の到来を
感じているのでしょうね。できることなら、モモちゃんも自然の中で自由に暮ら
させてあげたい、今朝だけはちょっと自由にツツジの植え込みの中で遊ばせてあ
げました。
モモちゃんがツツジの植え込みをくぐり抜ける時、生え替わっている毛がツツ
ジの枝に擦れて絡み付いています。それも極々自然に取れていくような。これっ
て、自然で暮らす動物たちの本能なのでしょうね。
家の中だけで暮らしているモモちゃんでも、この時期になると自分の毛の処理
の仕方を本能が教えてくれているのかもしれません。ツツジの植え込みの中を、
奥へ奥へと進んでいくのでした。ツツジはツツジで、捕らえた毛玉から栄養を吸
収して更に育っていく、そんな自然の循環。ミツバチたちも驚いて一斉に飛び出
してきましたよ。
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浅草寺の五重塔前に鯉のぼりが揚がりました。初夏の風物詩、なんとか鯉のぼ
りが泳いでいる姿を写真に撮ろうと狙ったのですが、風も無くせっかくの鯉のぼ
り達もポールに巻き付いたままなのです。モモちゃんを遊ばせながら、のんびり
と風が来るのを待ってみましたが、結果はこの程度。五重塔を背景に元気に泳ぐ
鯉のぼりを撮りたかったのですが残念です。また明日狙ってみますね。
甍(いらか)の波と雲の波、
重なる波の中空(なかぞら)を、
橘(たちばな)かおる朝風に、
高く泳ぐや、鯉のぼり
もうすぐ5月の端午の節句がやってきます。端午というのは、五月の初めの午
の日という意味なのですが、それがいつのまにか五月五日に固定されてしまいま
した。奈良・平安時代の端午の日は、災厄を避けるための行事が行われる重要な
日でした。宮廷ではこの日、軒に菖蒲やよもぎを挿し、臣下の人々は菖蒲を冠に
飾ったり、菖蒲の葉の薬玉を柱に下げたりしたそうです。
江戸中期になると庶民のアイデアで鯉のぼりが生れました。これは、中国に古
くから伝わる登竜門の伝説になぞらえて竜門の滝を登り切ると鯉が竜になるよう
にとの縁起から、我子も健康に育ち、将来は大きく出世して欲しいとの気持を込
めたものだったそうです。この頃の鯉のぼりは、和紙に鯉の絵を描いたものでし
たが、大正時代なって破れない綿の鯉のぼりが生まれ、昭和三十年代の半ばには
雨にぬれても色落のしない合成繊維の鯉のぼりが誕生して現在に受継がれていま
す。
昔は東京でもあちこちの家に鯉のぼりが揚がりました。でも、最近では全く見
かけなくなってしまいましたね。浅草寺のような寺院の庭や、幼稚園など限られ
た場所でしか見られなくなってしまいましたが、今朝、散歩道のマンションのベ
ランダに小さな鯉のぼりを見付けました。こんな光景についついカメラを向けて
しまうあほまろなのです。
あほまろにも息子がいます。息子が小さい頃に、同じような鯉のぼりを買って
、ベランダにぶら下げたことがありました。いつか、庭付きの家を買って、大き
な鯉のぼりを揚げようね。息子とのそんな会話を思い出します。その息子も30
に近くなってしまったというのに、あほまろは未だにマンション住まい。きっと
息子に子供が出来たらその夢を叶えてくれるでしょうね。
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浅草寺裏の広場では「泣き相撲」の会場造りが始まりました。また、浅草神社
境内では三社祭の桟敷造りも行われております。そんな風流な作業の機材置き場
には、警備で使用するための無粋な鉄柵もいっぱい運ばれてきました。みんなが
楽しみにしているお祭りも、厳つい警察官に囲まれながら開催しなければいけな
いお祭りなんて味気ないですよね。御神輿の上に乗っかったモンモンのお兄さん
達に向かって、“東京都迷惑防止条例違反で検挙する!”なんて言いながら、装
甲車のような厳つい車から怒鳴りながら着いてくるんですよ。
江戸時代のお祭りは、庶民が無礼講で騒げる唯一の日だったはず・・・。
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