洋装美人

 文明開化を向かえても、西洋文化が庶民レベルまで入り込んで来たわけ
ではなかった。明治期に洋式の制服が街で目立っていたのは軍人と巡査く
らいで、庶民の服装は相変わらず着慣れた和装そのままだった。日本人は、
有史以来2000年以上も和服を着用してきた。文明開化といえど服装文
化までは変えられなかったのだろう。

 服装史の資料によると、日本人の服装に洋装が多く見かけられるように
なったのは、昭和初期から戦後にかけてと書かれている。戦争中の女性の
服装も、相変わらず和装から変化したもんぺ姿が一般的であったことなど
からも頷ける。
 日本女性が本格的な洋装で世の中に登場したのは、明治10年代の鹿鳴
館時代であろう。しかし、鹿鳴館で開かれた夜会に洋装で集まったのは極
々特殊な階級の子女たち。そんな華やかな様子が新聞や雑誌で掲載される
と、さっそく新しもの好きな花柳界の芸者さんたちにもその影響が及んだ。
上流階級のお客さんの席に洋装でお座敷を勤めた新橋芸者の記録も残って
いる。また、京都の祇園では、節分に鬼より身を隠す為に普段と異なる扮
装をしてお座敷に出る「おばけ」の風習でも、扮装としての洋装写真も残
っている。
 これらの絵葉書に残る、どう見ても機能的とは思えない洋装姿。頭は日
本髪の者も多く、中にはスカートの上に羽織を着たものまで様々だ。そん
な彼女たちの表情からは、日清日露の勝利で大国と肩を並べた日本の奢り
も見えてくるようだ。