銭湯のペンキ絵とは
別名背景画。特に東京の昭和40ねんころまでに建てられた銭湯に多くのこっていま
す。浴室正面の壁に巨大な絵として描かれています。
ペンキ絵の発祥
ペンキ絵の発祥は大正元年の現在の千代田区神田猿楽町2−7−1にあった「キカイ
湯」の当時のご主人東由松さんが、お客で来る子供達に喜んでもらうように、という
ことから、画家の川越広四郎に依頼して絵を描いたのがその発祥です。広四郎は静岡
県掛川の出身で富士山が大好きだったといいます。(キカイ湯の跡地には現在ペンキ
絵発祥の地の記念碑があります)
ペンキ絵は誰が描くの?
現在銭湯のペンキ絵を専門に描いている絵師は私のしる範囲では全国に5名です、東
京3名、神奈川2名です、それぞれの絵師は地域が異なって受け持ちがあります。本来
は絵師はすべて銭湯に出入りしていた広告代理店所属で、絵の下にある近所の商店な
どの広告を1年1回更新時に更新料のサービスとして無料で描き変えていたのです。今
ではこの広告代理店はほとんど消滅してしまいました、最盛期はしょうは30年代
で、絵師も当時は数十人はいたそうです。
ペンキ絵はどうやって描くのか?
ペンキ絵は短時間に現場で仕上げるのが特徴です。大体1面を2時間から3時間で完成
させます。古い絵の上に直接次の新しい絵の色を塗っていくのです、使用するペンキ
は特殊なものではなく一般で使われるペンキです。
ペンキ絵のタブーとは?
ところで、ペンキ絵の題材としては使用してはいけないものがあります。まずは「紅
葉」これは葉が散る。次は「猿」これは客が去る。そして「夕日」これは落ちるから
で、このようにせんとうは縁起というものを大切にするからです。
富士山が多い理由
さて銭湯は基本的には男女それぞれ(まれに男女の壁面はつながり1枚の絵となる銭
湯もある)に絵があります、ほとんどどちらかに富士山が描かれています、ではもう
1面はなんでしょうか?答えは「特に決まっていない」です。しいて言うならば、日
本三景とか、なかには銭湯のご主人の出身地というのもありました。また架空の風景
のこともあります。
これは私の仮説ですが、東京のペンキ絵のある銭湯のおおくが浴槽がペンキ絵の下の
壁際にありますが、地方の伝統的な銭湯のほとんどは中心部に浴槽があります。これ
は富士山で浄化された清らかな水が湯船に注いでいるいう考えからではないでしょう
か。富士山は神聖な山でもあるからです。それが証拠には昔オジイサンが湯船に浸
かった時「ああ、極楽、極楽」と言ったり、お経を唱えたりしたではありませんか。
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