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2019年7月15日(月)~17日(水)
        たまには鉄道を離れ、有馬温泉・鞆の浦
・尾道

   15日  16日  17日
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日記写真

 久しぶりの旅二日目の朝は、広島県鞆の浦で迎えました。今回は、ちょっとお高いけど、朝日を眺められるので有名なお宿にしたのですが、朝日なんてみじんも望めません。これって、誇大広告なのか、詐欺なのか・・・。でも、地元でとれた魚が美味しかったので、許す。
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 昨日は、有馬温泉から福山に移動。いつも新幹線車内から見ている福山城に初めて入城してみようと向かいましたが、連休明けなので休館日でした。でも、誰も居ない福山城を写すことが出来たので、許す。
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 チェックインまでちょっと早いけど、福山城の観光を諦めてタクシーで、鞆の浦のお宿に向かいました。
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 広島屈指の風光明媚な鞆の浦は、世界遺産級と称されるノスタルジックな港町です。スタジオジブリの名作「崖の上のポニョ」やハリウッド映画のロケ地に使われたことで、若者にも人気のスポットらしく、町にはアンノン族(ちょっと古い表現かな)もうようよ。
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 さて、我々アンノンベェ族は何所に行きましょうか。ほぼ始めての地なので案内板を頼りに歩くことしか出来ません。
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 まずは鞆の浦のシンボルとして有名な灯台でしょう。でも、案内には灯台の表記はありません。
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 白壁土蔵や町家が残る江戸時代の古い町並み、見どころいっぱい有りそうですね。
写真00  とりあえず古い町並を歩き回っていると、どこのお店も「保命酒」が売られてます。
写真00  たぶん鞆の浦の地酒でしょうかね。酒とみると、灯台より興味津々になってしまう悪いあほまろでありました。
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 「保命酒」と記された工場のような建物を発見、さっそく行ってみましょう。
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 こちらのようです。
写真00  お店で「保命酒」の試飲も出来ましたが、酒と言うより、薬味の成分を溶け込ませた酢に近い感じで、口当たりは甘かったけど、アルコール分40%の強いお酒でしたね。
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 幕末にアメリカ艦隊ペリーやハリスが来航した際の幕府主催饗宴に、食前酒として出されたそうですが、酒飲みの口には合わなかったけど、鞆の浦ならではのお土産らしいので、数本購入し送ってもらいましたよ。
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 さて、アンノン族も歩いているので、本来の目的町並散策に戻りましょう。
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 立ち並ぶ民家は江戸時代そのままの雰囲気を残してますね。
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写真00  アンノン族が歩いて行った方を振り返ると、有った、写真で見たこと有る灯台ですよ。
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 灯台と思っていたのは、実は、「常夜灯」です。確かにあちこちの案内板にも「常夜灯」の文字がありましたね。せっかく鞆の浦を訪れるのですから、事前にちゃんと調べておかなくちゃいけませんよね。思い込みはいけません。
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 解説板によると、鞆の浦のシンボル「常夜燈」は、
 安政六(1859)年七月に建造されたのです。 南に弓状の港を有する鞆の浦は多島海の天然の良港で、豊後・紀伊水道がぶつかる瀬戸内海の中央部に位置し、“潮待ちの港”として栄えました。文政9(1826年)年、オランダ商館の医師・シーボルトは『江戸参府紀行』の中で「活気に溢れた町」と記しています。その港町の海上安全を支えたのが、この常夜燈なのです。
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 公文書には、「油一日五勺、燈しん一日五厘」とあり、当時はニシンの油の燈火で海を照らしていた、灯台だったようで、灯台でも間違いじゃ無かったんだよね。
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 「鞆の浦」とは「鞆にある入り江」という意味で、鞆港を中心とした海域のことです。
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 沿岸部と沖の島々一帯は「鞆公園」として、国の名勝および国立公園に指定されているのです。
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 江戸時代当時の町絵図が現代の地図としても通用する町は、全国でも鞆の浦以外には例がないらしいので、江戸時代の人々も同じ光景を眺めていたのでしょうね。
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 「常夜灯」のお隣には、坂本龍馬の「いろは丸展示館」なので、入ってみました。
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 思い出しました、坂本龍馬の「いろは丸沈没事件」は、ここ鞆の浦だったね。
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 いろは丸の模型と水中からの引き上げ物が展示されておりました。
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 桝屋清右衛門宅の龍馬隠れ部屋が再現されておりました。
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 常夜灯を後にして、海岸沿いに歩いてみました。
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 波止場の先には小さな祠がありました。
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 祠の先の円福寺に至る石段にはたくさんの猫たちがいて、のんびり過ごしております。
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 近寄っても逃げないので、人には慣れ、人懐っこい猫たちが多かったです。
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 かわいそうに前足が無い猫もおりました。鞆の浦は港町なので、魚がたくさん獲れるので餌の心配が無いのでしょうね。それと、坂道が多く車両が入って来ないので、猫にとって安全な場所なのですね。地域の方々も猫たちをかわいがっているのです。
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 いろは丸沈没事件の談判の際、紀州藩の宿舎に使用された円福寺です。
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 対岸の辨天島は5月に「鞆の浦弁天島花火大会」が催され、鞆の浦の初夏の到来を告げる風物詩になっているそうです。
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 残念ながら「お手火祭り」が終わった後でしたが、まだ御神輿が残ってましたよ。
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 「お手火祭り」は、青竹と神木・天木香樹(むろのき)で作られるお手火は、重さ約150kg。燃え盛る炎を担いで、氏子衆は頭に水をかけられながら熱に堪え、雄々しく拝殿を目指します。 参拝者はこの神火を小手火に移し、家庭に持ち帰り、家内安全を祈念。厄除けの護符とするとか。
 見たかったですね。
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 猫たちとお別れして、お宿にチェックインします。
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 猫が遊ぶ階段のすぐ下がお宿。
写真00  「汀邸 遠音近音」。難読なお名前ですね。
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 「汀邸 遠音近音(みぎわてい をちこち)」と称します。
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 約200年前の宿を改装した江戸時代に開業された宿で、何と蘭学者のシーボルトや戯作者の十返舎一九、昭和の大作家・井伏鱒二なども定宿としていたとか。
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 落ち着いて休めそうですしょ。
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 部屋に露天風呂もありますよ。
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 お食事も素敵でした。特に鯛飯が最高だったね。
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 新鮮な魚介類も堪能し、素敵な夜を過ごせました。
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