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2018年8月9日(木)〜10日(金) |
一日目9日(木) 二日目10日(金) |
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さて二日目の朝は忙しいのです。
乗客のみなさんもお守りなどを買っていたので、このような巫女さんの役割も大切なのですね。 縁結びのご神木。娘もお守りを買ってご神木に抱きついていたので今年こそ良縁に巡り会うかも。 僅かな時間でしたが、「ななつ星」の立ち寄り観光のようで楽しかったね。 穂高を出て列車はアルプスを望みながら進みます。 再び、鉄道好きなお子さんと展望車。沿線に登場する様々な標識の意味を教えてもらいました。 太鼓の音に迎えられて信濃大町到着。大糸線の建設当時はここが終点で、信濃大町の「大」と糸魚川の「糸」から大糸線になったのです。 信濃大町4分停車なので、ちょと降りてみた。 信濃大町11:51出発。 ここから水で有名な安曇野・白馬地区に入って行きます。 日本でトップクラスの透明度を誇る青木湖が見えてきました。 白馬駅到着。 学生時代にスキーで何度か降りた懐かしい白馬駅、5分停車じゃ駅の外には出られませんでしたよ。 白馬駅を出ると約20分で終点南小谷駅です。 新宿行きのあずさとのすれ違い。 今は新宿から南小谷まで直通で来られるますが、これには一度も乗ったことはありませんが、例の子どもは去年乗ったと自慢されてしまいました。 この鉄橋に見覚えがあるけど、スキーで栂池(つがいけ)高原行く途中に大雪で列車が立ち往生した場所の近所だったように記憶してます。 国鉄完乗で走り回っていた学生時代は、雪で列車が立ち往生した経験がいっぱい有りましたね。 大糸線には何度も乗っていたので、何処を見ても懐かしいのですけどね。 姫川橋梁を渡るといよいよ終点です。 駅の信号が見えてきました。 懐かしの南小谷駅です。 この先は非電化区間なので、架線はここまでですね。 「リゾートビューふるさと」は、定刻12:47南小谷に到着しました。 南小谷と言えば、40年ほど前の仁科明子主演のテレビドラマ「早春物語」で、卒業式の日に、帽子の白線とセーラー服のスカーフを結び合わせて川に流す「白線流し」をご存じですか。 雪国の風習「白線流し」のロケハンでスタッフと急行「アルプス」で来たことがありましたが、ちゃんと調べたはずの卒業式まで一週間早かったので、見られずに帰った記憶が蘇ってきましたよ。 「リゾートビューふるさと」は、15:16発の折り返し長野行きとなるのです。 駅舎は40年前に訪れた時と変わっておりました。 駅の下を流れる姫川で「白線ながし」が行われているのです。 次の大糸線糸魚川行まで2時間近くもあるので、食堂を探しながら歩いてみました。 商店や骨董店はあるのに、食堂がなかなか見つかりませんね。 ようやく見付けた食堂、村営博物館のお隣でした。 ここで食べた山菜そば、今回の旅でいちばんの美味しさでしたよ。さすが本場の信州そばですね。 この付近は、昔も歩き回りました。 姫川の対岸から望む南小谷駅です。右が松本方向です。 1番線ホームには新宿行きのあずさE257系が停まっていました。 娘は、これに乗ったらすぐに帰れるのに、何で遠回りして帰らなくちゃいけないのなんて、とぼけたこと言ってたけど、それじゃ目的が違うでしょ。 ここがJRの管轄分岐点になっているのです。 2番線にはJR東日本の松本行の電車が停まっています。 そのお隣3番線はJR西日本の糸魚川行。こちらは電化されていないのでキハ120系のディーゼルです。 大糸線の南小谷ー糸魚川間は、山岳地帯を通るのでトンネルが多く、たびたび雪害で運休になることも多いので廃線の危機にさらされているのです。 JR東日本が管轄する松本―南小谷間の平均通過人員が、3364人から3179人へと5%減で持ちこたえているのですが、 JR西日本が管轄する南小谷―糸魚川間では、平均通過人員は100人と極端に少ないのです。 同じ大糸線なのにJR東日本区間とJR西日本区間では、なぜこうも利用者数が違うのでしょうね。 理由は、南小谷と糸魚川の交流人口がそもそも少ないのと、北陸新幹線の開業で北陸本線がJR西日本から経営分離され、JR西日本にとって大糸線は自社のどの路線ともつながらない飛び地のような路線になってしまったからでしょうね。 今はJR西日本は何も語っていませんが、沿線自治体では危機感を募らせているのです。 ここから先の線路には架線がありません。 この状況を眺めているだけで、一抹の寂しさを感じざるを得ませんね。 何度も乗った大糸線、次はいつまた乗れるのか、それよりも、次は廃線しているのかも。 線路は続くよ何処までも、いつまでも・・・。 大糸線沿線に、「がんばれ大糸線」の看板も見えていましたよ。 南小谷駅から二つ目の北小谷駅ホームで、例のあの子が手を挙げて列車を待ってますよ。 この子は地理にも詳しいようで、南小谷からタクシーで道の駅の温泉に入ってきたとのことでした。おばあちゃんはお疲れ気味ですが、この子は元気いっぱいで、再びあほまろの隣から離れませんでした。あほまろにこんな孫がいたが、いつでも付き合ってあげるんだけどな・・・と、霧中でスマホに見入っている娘に呟いてしまった。 この沿線は、険しい渓谷をなす姫川と、フォッサマグナが通る険しい山岳地帯の渓谷に沿った深い山中を気動車はゆっくりけなげに進んで行くのです。 長い隧道を抜け、姫川を渡ると新潟県に入ります。 新潟県最初の駅は温泉宿が立ち並ぶ平岩。山峡ながら一応の集落がありますが、全く活気が感じられない寂しい集落でしたが、遠慮がちに「がんばれ大糸線」と記された紙も破れてました。 この辺は姫川の流れが長野と新潟の県境を流れているので、鉄橋を渡るたびに県も変わるのです。 線路は新潟県、対岸は長野県。そんな場所も多いですね。その後は線路も鉄橋で姫川を渡り、一旦長野県に入る。車窓左手に姫川が流れる間は長野県。 再この鉄橋を渡るとまたまた新潟県に入りますよ。 こちらは、かつての大糸北線の終着駅の小滝駅ですが、交叉する線路も撤去されて寂しい駅ですね。 小滝から姫川沿いに渓谷をどんどん下って行きます。 ようやく平坦地になると根知駅です。ここは唯一列車交換のできる駅なので、相対ホームもあり、列車が始めてすれ違いましたよ。 ここから緩やかな地形で水田も見えて来ました。 頸城大野(くびきおおの)で、地元の学生が乗車して車内が賑わってきました。 姫川駅を過ぎて新幹線の陸橋が見えると、終点の糸魚川は間近です。 ようやく終点糸魚川駅に到着です。 線路はいっぱいあるけれど、いったいどのホームに入るのでしょう。 おや、大糸線のホームは行き止まりのようですね。 ここは、えちごトキめき鉄道が管理する駅になってしまったので、JR西日本の大糸線は飛び地なので形見の狭い状態になってしまったようです。 はい、終点。もちろんこれ以上先に行くことは出来ません。 糸魚川駅は、北陸新幹線開業以前はえちごトキめき鉄道に移管される前の北陸本線が所属線として乗り入れていたのですが、かつての特急は姿を消して寂しい駅になってしまったのです。 こちらがえちごトキめき鉄道の日本海ひすいラインの車両です。 予定の新幹線まで時間があるので、糸魚川の街を散策しました。 さっそく、糸魚川の「マンコレ」。 昨年12月の訪れた時には、まだ大火災後の整地作業が行われていましたが、あれから9ヶ月も経つと、宅地もどんどん増えてきたようでね。 もう、あの大火災の痕跡なんか無くなってしまいましたね。 しかし、だだっ広い空き地が目立ってましたけどね。 海岸沿いの展望台yほり、駅方向を眺めてみました。 えちごトキめきリゾート雪月花の食事をプロデュースする「鶴来家」さんは、まだ空き地のままですね。ここのお料理は美味しいので有名なので、復興を願いたいものです。 雁木通りも綺麗に整備されましたね。 焼け残ったフィリピンパブ、営業しているのでしょうかね。 時間が余ったので、帰りの新幹線を早めて、時間まで糸魚川駅のジオステーション「ジオパル」を見ることにしました。このキハ52 156は静態保存され「キハ52待合室」になっているのです。 糸魚川の記念切符も展示されてますが、もう少し丁寧に扱っても良さそうですよね。 「ジオラマ鉄道模型ステーション」には糸魚川市周辺の沿線風景をテーマにした、NゲージとHOゲージのジオラマコーナーがあり、有料ですが、来場者が持参した模型を実際に運転して楽しむこともできるのです。ここでまた、例の子どもと再会をしたのでした。 何故か東京スカイツリーを見ると、地元民として嬉しくなるのです。 そろそろ時間となりました。 糸魚川駅は「かがやき」がどんどん通過して行くのですが、各駅停車タイプの「はくたか」は一日14往復、一時間に一本だけなのです。 ホームからさっきの展望台が見えていますた。 おや、例の子どもがこっちを見てました。またどこかでお逢いしましょうね。 「かがやき」がもの凄いスピードで通過して行きます。 我々の「はくたか570号」がやって来ました。 糸魚川17:00発、上野19:06着です。 帰りはお疲れなので、グリン車でのんびりと。 牛肉弁当と加賀鳶効果で、上野まで熟睡できましたよ。 |
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